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エッセイ&コラムもくじ









私と剣道
内田清作(寄居剣道連盟第四代会長)


 私は大正10年、三重県桑名市で生まれた。今年4月で68才になる。
    
 桑名は昔から徳川の親藩であった。蛤御門の変に際し、出兵のとがにより桑名へ 官軍から問責の軍使が派遣された。時の城代家老、森 陳明は、時運に恵まれずと察して城主に代わり在城将兵の助命を乞い容れられるや、自らは大手門におい て壮烈にも立腹を切り果てた。城閣は既に炎上喪失していたが、幾百の尊い人命は全うしたという。これは武士道の精華として語り継がれ、当時その命日には香 華が絶えず幼少の吾々も恭しく頭を垂れ、ご冥福を祈ったものである。
        
         
       
    
 また、全市民参加の剣道大会、由緒は不祥乍ら「打毬」と呼び、数百人の小学高 学年生を白虎、朱雀の2隊に編成し号鐘、早鐘合図で打毬、押し出し相撲等々が実に勇壮活発に奉納され、観衆も熱狂しこれに参加できる事が少年時代の誇りと して定着し伝承されていた。「文武不岐」という旧藩の名残であったと思う。
      


     


  
 

 この如き時代背景もあり、昭和7年、小学4年生になり正課であった剣道には自 然に馴染み、更に文武館に入門し稽古に励んだ。指導は当時三段の山本、河合両先生であったが、かなりのご年輩とお見受けしていたが、それ程でもなかったの かもしれない。動きも剣もそんなに速くないし本当に強いのかなあ等と疑ったりしていた。ところが武専、国士舘の学生である先輩達が夏冬の帰省中によく稽古 にきたが全然通じない。これを見て矢張り俺達の先生は強いんだと畏敬の念を抱いたりした。
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 礼儀作法を除き日常生活とか、勉強との関連には余り言及される事は無く、それ は伝統的に上級生の役割であった様だ。ビンタも貰った。当時は恨んだりもしたが剣道の目付、気配りについて教えてくれた気がして今では寧ろ懐かしい思い出 となっている。
 
   
 昭和11年、二段を頂いていた私としては、もっともっと剣道を続けたかった が、家庭の事情から18才になった昭和13年から終戦迄の6年8ヶ月間、兵役の為に剣道から離れざるを得なかった。ただ入隊した頃、連隊内に剣道有段者は 十数名のみ、それだけに有段者としての誇りと自覚から短剣道の錬磨にも気は抜けず人一倍精励し、後の剣術徽章も受けた。
 昭和16年、大東亜戦宣戦3日後の12月12日、比律賓ルソン島南端レガス ピーに敵前上陸、マニラ攻略、バターン攻略では連隊戦力半減という死斗であった。この間数多の戦闘に参加したが数ヶ所の軽傷で済んだ。またバターン陥落直 後はマラリヤに悩まされ、正に生死の境を彷徨したが、幸いにして一命はとりとめることができた。



 昭和18年6月、師団司令部付、後昭和19年4月、レイテ島タクロバンへ転進 する迄の間、参謀部附、三橋大尉剣道五段(戸山出身)に稽古を頂いたが、身が戦場にあるだけに明日の命も知れず、実に真剣に取組み精神的に大いなる薫陶を 受けた。



 昭和19年5月、レイテ島から豫科士官学校附に転属した。学校では生徒が午前中授業、この間教官助教は剣道、体操、実兵指揮の錬磨、一般教養等々生徒共 々多忙で息つく間もない慌ただしい生活の連続であったが、その頃既に戦局の急迫により閉鎖された戸山学校の教官多数が学校附となり、それこそ徹底的に鍛え あげられた事であった。この頃三段に昇段したが、終戦となり剣道は禁止された。終戦後に得た職も追放令により失った。



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 昭和21年、警視庁奉職、練習所卒後は練馬署警務係、他の部署に比し割に暇で あったのと、当時の署長が大の剣道好きで負け嫌い、これ幸いと終日道場に居据る主となり稽古に励んだ。方面師範斉村五郎範士、助教は海軍出身の内田重利部 長であり、兎角為になるご指導を頂けたのは幸いであり、私にとって最も充実した稽古の期間であったと思う。
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 昭和23年、警視庁4級下位合格の矢先、家庭の都合により残念乍ら退職し帰農 した。
 昭和25年頃か偶々同好の士、柴崎要八先輩の知遇を得、協力して寄居剣連の発起人会を結成し、寄居剣連の基をなしたと、いささか自負している次第。
 昭和29年、五段。この頃は長女・長男子連れの稽古の毎日、31年、錬士、この後数年職務専念のため中断は残念であったが、この後再起、44年、六段。
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 特に47年以降は、警視庁を退職後、後輩育成のため道場を設けられた先輩、成 心館々長清水義一氏にご指導を仰ぎ、50年、教士称号を授与され、53年11月、夢にまでみた剣道七段合格。56才の時である。
 顧みれば特定に師事する先生にも恵まれず、その時々の身の周りの先輩を師とし 野武士の如く貪欲に剣道修行を続けてきた訳であるが、諸先輩、同士、友人、知己のすべてが得難い師であり、またこれにまして環境に恵まれもした自己を振り 返り、感慨一入なるものがある。私は剣道の技もつたないし、決して強い剣士ではないが「継続は力なり」の格言を信じつつ微力ではあるが、日本伝統の文化 「剣道の心」を伝承すべく精進したいと希うものである。
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「寄居町生涯学習に関する調査報告書」生涯学習体験文より
寄居町教育委員会発行(平成元年頃)