難しい話は割愛して、私は『原風景』という言葉が好きで、仕事でも意識的にこの言葉を使います。コンペでもマスタープランでも具体的な設計の仕事でも、デザインに対峙する時の拠り所としています。ちなみに『景観』という行政用語が嫌いで、意図的に使わないようにしています。
この『原風景』の根本にあるのは、その人とその人が住んでいる場所を取り巻く環境であって、例えば神戸の『北に山があって、海に向かって住んでいる』というのは、その最たるものだと思っています。
私が18年住んだ佐賀は、すぐ背後に山を控え、南には際限なく田園と水路が広がり海へ続いていました。その海は歴史的な背景からも大陸へ続いていました。小学校の頃に高速道路の開通により、私のまさに原風景となっていた山の遊び場は全て破壊されました。お化粧的な緑化や施設のデザインはされましたし、とっても便利にもなりましたが、私はやっぱり幼少の頃に遊んだ何も無い山の風景が大好きです。
その後7年程住んだ福岡は、北に玄海の海が有りコンパクトなエリアの中に歴史と活気とハイレベルのセンスが凝縮されたとても暮らしやすい街でした。1年半程住んだ東京は、結局私の中に何も残らず、今では記憶すらありません。時間的な短さもあるのでしょうが、愛着もないしまた住みたいとも思いません。そしてもうすぐ10年となる大阪の街は、混沌とした中に極めて歴史的で計画的な秩序が脈々と残っており、コンパクトで濃密な都市の構成は非常に暮らしやすいと感じています。
でも、私が一番愛着を感じているのは生まれ育った街かもしれません。
そして日本国内でも、海外に行っても、北に山があって南に海がある街はすごく愛着を感じるし、すごく懐かしい気がします。迷わずに歩ける気もします。
この話に特に結論はありませんが、日本国内でも世界各国でも、その街に脈々と流れている『原風景』のようなものを、軽んじて或はそもそも意識もせずに破壊していくプロジェクトが多い(多かった)と感じています。ただし『原風景』を大切にしたりそれをデザインの拠り所とするのは、決して歴史的なモチーフを安直に用いるとか、懐古主義とかという話とは同義ではないと思っています。
100人の人が住んでいれば100の『原風景』があり、70才の人には70年分の、4才の娘には4年分の『原風景』があります。『原風景』は守るものでもあり、創るものでもあるのでしょう。
だから仕事は難しいし面白い。
※追記
けろちゃんに『直角にまがる人なのね』って言われました。そうなんかなあ?初めて言われた・・・ちょっとショック。まあB型だし、思い立ったらすぐ動く方なので。