そして本日、明日は週末、アスカをポニョの映画に連れて行ってあげればさぞかし喜んでくれるだろうと思い、「あしたポニョ見に行こうか?」と聞くと、「え~~、おとうちゃんに いやっていうたのきいてないの?ポニョなんか、まってたら、しーでーでうられるやんか!それより、げんていのおまけのついたポケモンえいがやったら、いったるわ」でした。
なんちゅう、クソ生意気なことを!!そりゃそうですが、現地を見て待ちに待った映画をちゃんと家族揃って映画館で見る、ということに意味を感じて貰えないものか。世の中、便利になった反面、情緒的なものがどんどん欠落していくというか、映画館という空間の魅力を感じない世代が生み出されていくことに漠然とした不安を感じてしまいました。(取材にかこつけて映画館のバックステージツアーに連れて行ったのも意味なかったということか)
私が子どもの頃は、お休みの日に父とその時々の話題の映画に行くということが何日も前から楽しみで、中心市街地の映画館に出かけて映画を見て、食事しながら感想を語り合って、帰ってくるというコースがいつまでもよい思い出に残っているものです。初めての彼氏との初デートだって、映画館だったしね。
映画館でしか味わえない高揚する気分や経験って、絶対あるはずなんですけどね。
それは、本屋であれこれ迷いながら本を選んだり、スタジアムでどきどきしながらイベント観戦するのも同じことです。そういう意味でも、随分前に読んだ「シネマと書店とスタジアム」というタイトルの沢木耕太郎さんの本が大好きです。
細かいことで言えば、ウオークマンにお気に入りの音楽を入れて、ひとつのイヤホンを2人で片方ずつつけて電車のシートにもたれて楽しい移動の時間を過ごす。ちょっと動けば外れてしまわないかな?なんて相手を気遣いながら寄り添って頼りない線でつながれた半分ずつの時空間を共有するって、とても情緒的だと思うのですが、既にこういう音楽モバイル用でも2人がそれぞれ両耳で快適に聞くことのできるイヤホンが発売されているとか。だからって、それぞれが自分の世界に没頭してしまうなんて、面白いはずがないじゃないですか!?
もちろん本なんて書店に行かなくてもネットで購入できるし、本という形態をとらず、携帯電話でダウンロードして読むこともできる。中には音声や衝撃的なシーンで振動の演出があったりもする。あらゆるイベントがそのうち著作権問題が処理されれば、モバイルでリアルタイムに観賞できるようになるでしょうしね。そうなってもスポーツバーのような交流機能は残るのかもしれませんが、何となく全般的に寂しい状況になっていくのではないか?という危惧があるのです。
機能がないからゆえに工夫して、しかもある不便な部分に目をつむって「快適だ!」って思うことが私にとっては大事なのですが、もしかしたら私がそうして工夫してきたり、不満を感じたりしていることについても、もっと前の世代の方々から見れば、「情緒もクソもないわ。世の中どうなっていくねん?今日日の若いヤツは横着しすぎや!!」と危惧され怒られていた事なのかもしれませんね。
どんどん技術的進歩によって便利になり、個別事情への対応もきめ細かになっていく今日。ある面では感謝もするけれど、切実に必要とする事情を抱えていないものについては拒否したい!それが文化を守るひとつの手段なのかもしれないと感じている今日この頃です。 一方、技術的進歩に比べて進歩しないのは、平等で公正な社会システム分野でしょうな。進歩を求めるのが無理なのかな?なんて思えるくらい。