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六合大槍セミナー(’06 11/23)

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監修/通備武術公認講師 宅見幸一
レポート/神奈川分会 鳴海武征  同 藤嶋久徳


先日都内で行われた六合大槍セミナーの内容を報告します!


突いてきた棍を一瞬の円運動で弾き飛ばす!!


六合大槍の用法を説明する小林正典老師

突いてきた槍に触れた瞬間、穂先を螺旋状にねじりながらこするように回転させれば、敵の槍ははじき落とすことができるのだ。
熟練すれば敵の槍に触れた瞬間、ゴツンと音がせず、シャット音が立ちながら一瞬に敵の槍が弾き飛んでいく!

六合大槍は八極拳と劈掛拳において重要な位置を占める武器術であり、これまで多くの槍の達人を世に輩出させている。
中国武術では、武器は手の延長と考えながら練習されており、拳術(拳法)と同じ原理であることが多いので、
多くの門派は拳術と一緒に武器まで伝わっている。
槍術は「長兵(長い武器)の首」とされ、高度な技術を要求される。それは、槍の技術は纒絲といった螺旋状の捻りを描いて操作させ、
化勁や纒絲勁といった中国武術でも高度な技術とされる技術と同一の原理だからである。
また大槍術を練習する事により、八極拳の発勁狂猛な打撃を産むこととなる。それは大槍術と八極拳の力の出し方が多くの点で共通があるからである。
接近短打を得意とする八極拳は比武(試合)において不利な点が多く、よって多くの八極拳の達人は大槍で試合をしていたと言われているぐらいである。
よって「神槍」と称された達人が多い。




China's Highest Level Grandmaster 馬賢達老師公認師範から指導を受けて

日本人でただ一人の

中国武術最高段位9段・馬賢達老師の正統なライセンス保持者・小林正典師範が

               指導する六合大槍 そして本来あるべき姿を示してくれました

 さる11月23日、都内で開催された六合大槍セミナーにて、中国武術最高段位九段・馬賢達老師の入室弟子であり、日本でただ一人の馬賢達老師からの正式な公認師範であられる小林正典先生から六合大槍の指導を受ける。

 最初は解説をしながら、初めての人でもわかりやすいように説明しながら、ゆっくり動いて見せてくれたが、だんだんと先生の示される技が段々と凄くなり、参加者一同、ただ唖然と息を詰めて先生の技を見つめていました。先生が真の武術とは何か?本来あるべき姿とは何か?技を持って私たちに示してくれました。示してくださる技のすごさに驚きを隠せませんでした。

 たまに動いて解説されながら、八極拳と六合大槍との共通点を示してくださいました。やはり実際指導を受けながら、解説を受けるとなるほどとつい眼が鱗の状態になります。

 とりあえずホームページには今回のセミナーの募集を紹介させていただいたが、けっきょくは参加に関しては、小林先生について真剣に馬氏の伝統武術を学ぶ意志をお持ちの方に限定させて頂きました。いつもより少ない人数のようでしたが、中にはわざわざ関西地方から来られた方もおられました。今回のセミナーに参加された人たちは、先生が伝えたい武術を理解しようとする熱意や、先生のお話しを一言も聞きのがすまいとする姿勢を強く感じました。セミナーの後日、その事について先生から「いままででのセミナー形式の指導の中で一番良かったと思う」とのお言葉を頂き、私も非常にうれしく思いました。こうして先生から指導を受け、お話しをさせて頂く中で、厳しさの中にある底知れぬ温かさを感じ、感謝する他はありません。ありがとうございました。

 知る!! >わかりやすく解説します!・・・通備拳とは?基本用語はこちらから



腹と胸の間の高さに構えて、敵の中心線を制するのが基本である。
中には目がかなりマジになっている人がいますね!

≫≫今回の受講生のみなさんの感想文はこちらから


馬家の六合大槍について 馬鳳図と李書文

 今回私たちが小林先生からご指導を受けた六合大槍について簡単に書かせてもらいます。

 六合大槍は八極拳と劈掛拳において重要な位置を占める武器術であり、これまで多くの槍の達人を世に輩出させている。大槍術と八極拳の力の出し方が多くの点で共通があり、大槍術を練習する事により、八極拳の発勁狂猛な打撃を産むこととなる。

 実際接近短打を得意とする八極拳は、比武(試合)において不利な点が多く、よって多くの八極拳の達人は大槍で試合をしていたと言われているぐらいである。よって「神槍呉鐘」「神槍李大中」「神槍李書文」など「神槍」と称された達人が多い。お気づきなられたと思うが、呉鐘(回族)以外はほとんど漢族の継承者が「神槍」と称している点である。孟村を中心に回族の系統も伝われていたが、漢族の羅タン(田+童)の系統を修めている継承者が広くその強さを証明してきたからである。

 馬家に伝わる六合大槍は本来孟村系統のものを練習してきたが、馬賢達老師の叔父・馬英図が八極拳宗家・張景星に拝師して、羅タン(田+童)系のものを修得し、それにより孟村と羅タン(田+童)双方の良い所を集めて取り入れて完成させている。

 馬鳳図と馬英図の伝承は馬鳳図の息子たちに伝われ、日本では次男の馬賢達老師から当会の小林正典先生へと伝われている。

≫≫六合大槍の歴史や解説などについては2005年に開催された六合大槍セミナーの所に紹介されています!

 神槍・李書文は、清代末期から民国初期にかけて、六合大槍で無類の強さを発揮し、六合大槍の基本動作の、拿、札だけでどんな相手が操る武器をも弾き飛ばし、その実力は恐れられていた。近代八極拳においては大きく貢献した武術家の一人といえよう。

 李書文は馬賢達老師の父・馬鳳図と同じ滄州の出身であり、羅タン(田+童)八極拳宗家・張景星の入室弟子であったが、小柄であったので、短打で接近戦を得意とする八極拳に不利を感じ、後に黄林彪を訪ねて劈掛拳を学んだ。李書文は1864年生まれで馬鳳図より年長であったが、劈掛門においては馬鳳図は李書文の師兄である。

 李書文は性格が凶暴で、攻撃的であり、試合で数多くの相手を殺した。そして李書文は馬鳳図に対し不満を持っていた時期があったという。それは年下なのに馬鳳図が李書文の師兄に当たり、若いのに武術のレベルが高いことに不満だったという。徳行の高い馬鳳図は無益な争いを嫌い、感情的な理由による試合は避けようとしたが、李書文の異常な性格をかねてより聞いていたので、いずれは対決しないといけないと思い、そして中華武士会設立した際に、争うこととなり試合をすることとなった。

 こうして李書文と馬鳳図は対面し、最初は李書文と馬鳳図は劈掛拳の練習をしたのであった。李書文は185センチもある巨体から繰り出す馬鳳図の劈掛拳を見て驚いたという。当時、革命を志す同盟会の人たちはすでに弁髪ではなく、西洋風の髪型にしていたが、当時の李書文はまだ弁髪だったので、馬鳳図は李書文に向って「李さん、あなたの周囲を三周する間にあなたの弁髪を掴んでみせる。もし掴めなかったら私の負けにしよう」といい。そんな時ちょうどその時に雨が降り出したので、馬鳳図はこれを機に小用しに行った。 馬鳳図が戻ってくると、雨の中、李書文はずっと不動のまま立ち続けていて「拳ではなく、槍で試合をしよう」言い出したので、側にあった棍棒を取り、構え劈掛槍にある技法を用いて李書文を広場の壁まで追い詰めていった。2人ともじっと身構えたまま、あえて動こうとしなかった。隙あらば、どちらかの穂先が自分の体を貫くように攻撃の機会を窺っているからである。この時霍殿閣、崔長友等といった李書文の弟子たちが止めに入り、試合をやめさせたのであった。

 それ以来、お互い実力を認め合うようになり、馬鳳図は当時天津で有名な回族料理レストランへ李書文を誘い、2人は打ち解けて親交を結ぶようになったという。馬鳳図の武術と人格を認めた李書文は中華武士会に参加し、弟子である張徳忠も参加させたのであった。馬鳳図は李書文の功夫の深さと独特の武芸観を尊敬し、「大師君」と呼び、立てたのであったので、李書文の弟子である霍殿閣、崔長友、張徳忠なども馬鳳図に感服していたという。李書文の流れを組む長春八極拳の長老であった霍慶雲(霍殿閣の甥)は晩年馬鳳図と馬英図のことを懐かしそうに語っていたそうである。

 李書文は馬鳳図の弟馬英図(馬英図と李書文は張景星一門の兄弟弟子に当たる)にも関心を持ち、南京中央国術館の設立の際は協力したという。このように馬英図のことを関心をもっていたので、李書文と馬英図は師弟関係だと書かれている書物があるが、実際は当時の羅タン(田+童)八極拳宗家・張景星一門の兄弟弟子同士である。

 


日本で正統な通備武術の普及を努め活躍してきた
師範が公開する!
多くの日本人の目を覚ますために・・・

 今回の六合大槍セミナーで指導された小林正典先生は、日本でただ単に中国で長年学んできた中国武術を教えている先生ではない。アメリカの大手武術雑誌「KUNFU」でさえもChina's Highest Level Grandmasterと称えた中国武術最高段位・九段馬賢達老師公認から認められたただ一人の日本人なのである。馬賢達老師は中国武術の重鎮であり、多くの中国の武術家から憧れとされている。その中国武術最高峰の馬賢達老師の代理として武術を教えることは、中国人でさえもなかなか認められないことなのである。

 「それがどうした」と思う人もいるだろうが、この公認師範という重みというのは並大抵の事ではない。小林先生は18歳から馬賢達老師に師事され、それから長年、馬賢達老師から高度な中国武術を学び修行を重ねながら、通備武術を極めるのに必要なさまざまな事柄を修めてきたのである。もちろん机上の理論だけでなく、実際打ち合いを制して全国に勇名を馳せた馬賢達老師からの直伝なので、実践的な内容であることは言うまでもない。小林先生は当時の修行の内容についてあまり口に出されないが、たまに小林師範が口に出される言葉からは、修行の内容においては日本人からすると絶対考えられないようなものまで存在するという。

 いくら体力や腕っ節に自信がある人が普通に修行しても、正しいカリキュラムに基いた修行を続け、馬賢達老師から認められなければ、免許は決して授かれることはない。この教授許可の免許を授かると馬賢達老師の代理として武術を指導できる。つまり正式な通備武術の道場や教室が作れるわけだ。

 長年馬賢達老師から通備武術を学び、実戦に裏打ちされた格闘術までマスターした男・・・となれば、いかつい大男を想像してしまう所だが、実際はそうではない。逆にざっくばらんで、とても厳しい修行を重ねて修羅場を潜りぬけた武術家に見えない。今回の六合大槍セミナーにおいても、小林先生から指導を受けて、例えば技術解説などで多少長い時間に及んでも、技術の理論や原理など身振り手振り解説してくれる小林先生の話に我々はまったく飽きなかった。練習している最中に10分も講義が続くと普通多少は飽きることもあるのだが、それがまったく感じさせなかったのは、小林先生の解説が理にかなっているだけでなく、我々に充実した練習が出来るように気を使ってくだされたのだと思う。また、小林先生は、何度も我々から同じような質問を受けても、嫌な顔をせずに、一人ずつ細かく見てくれて欠点を指摘してくれた。

 中国武術を練習する日本人にとって、本場中国や台湾で武術を習うのはもちろんだが、中国や台湾の武館(道場)で武術を指導できるということは憧れといってもいいだろう。小林先生はそれをもうこなして活躍されている。2006年2月に小林先生は通備門の同門で台北で馬賢達老師系統の通備武術を教えておられる李唐老師の道場で通備武術の指導をされた。

「今は慣れてしまいましたが、最初李さんの道場に着いて、自分の出番になる前に道場内をのぞいた時、わぁ、こんな小さな子供までいて、しかもたくさんの人達が熱心に八極拳や劈掛拳、短兵スパーリングまで練習していたのだから、驚きました。緊張の震えよりも武者震いでしょうね」

 その時、小林先生は李唐老師の師兄(兄弟子)として多くの道場生の前で紹介されて、指導したのであったが、十何年もかけて現在中国武術最高峰・馬賢達老師から薫陶を受けた技術は、最初は日本人だからといって半信半疑で来場していた李唐老師の門下生及び本場の武術愛好家を魅了するのに、時間はかからなかった。指導をおこなう前に小林先生は請われて、最初に演武をおこなわれたそうだが、馬英図は民国時代に当時の中国政府が富国強兵を目指し、国家を挙げて優れた武術家を育成するために設立したといわれる南京中央国術館で教鞭をとりながら実力ナンバー1と見なされていたので、南京中央国術館で教鞭をとっていた武術家から、あるいは同国術館で武術を習ったことがある武術家から指導を受けた人達が多くおられる台湾武術界においても広く知られてはいるが、通備武術そのものはまだ台湾ではあまり知られていない。だがはじめと同時に、小林先生による今まで台湾では見られなかった通備門独自の動き、通備門独自の身体を緩めながらの呑吐伸縮や激しい起伏がある動きからくるスピーディな攻撃と長年練った身体能力に、会場は拍手喝采で揺れたのであった。このひとつの演武だけで人気を博し、わずか半年後再び台湾に招かれたのである。

「今まで指導をしてくれた馬賢達師父の恩返しのために無我夢中で演武した。最初の演武が終わって、現地の他流派の先生たちから声をかけられた。“これからは朋友(友達)だ”って。その時の李さんの嬉しそうな顔が見れて良かった。いろんな人を紹介してもらえて、中には通備武術の戦闘方法を知りたいのか、詳しく聞いたりする人もいたので、用法をかけた時は実戦技法の説明をした時は、なりいき上、多少荒いこともしたが、向こうの人は日本人と違って実力を認めてくれたら、本当によく接してくれるので、こんな経験があってから、本当に“武林はみな一家”だと感じました。日本でずっと指導していただけではこんな気持ちは味わえなかったでしょう」

 中国武術では通常『立身中正』をキープして身体を操作するのが原則である。しかし通備門の武術はより強く、より速く相手を倒すのを原則としているので、『立身中正』を無視し、急激に身体を閉じたり、開ききったりして、突発的に死角から霊活で素早い歩法を繰り出して、連続攻撃するので、相手が攻撃できない間合いからの攻撃も可能であり、相手に乗ぜられる隙を生じない。1952年天津で開催された全国規模の散手大会において馬賢達老師はこれらの通備武術の動きを生かした攻撃を繰り出し、多くの実力のある武術家を圧倒し、優勝を果たした。これまでの台湾に伝わっている武術も『立身中正』をキープしたまま動くものであったので、通備武術のようにそれを無視して枠にとらわれない動きで強大な連打攻撃力を生み出すという動きの発想がなかった。こうして小林先生は今までの台湾の武術の常識を覆す逸話も数々残したのであった。

 「台湾では中国武術は完全な国技です。日本では所詮外国の武術の一つと見られるので、趣味だって済むかもしれないけど、向こうではおとなから子供まで、しかも小さい女の子まで武術をやって心身を鍛えている。だから層も厚いのでしょうね。そんな環境で武術を教えながら活動をされ、活躍している李さんが頼もしくもあり、正直羨ましかった。しかしこのような場を私に提供してくれた李さんにとてもありがたかった」

「日本では最近中国で留学して武術を学んで来た者や日本に仕事をしに来ている中国人たちが武術を教えたりしているので、多くの種類の武術が伝わってきてはいるが、中国や台湾と比べて全体的のレベルはまだまだ。それに中国武術のメディアはまだ勉強不足なのか、相変わらず短期間で習っているだけで、資料ばかりを見ている研究家と称したりする知ったかぶりをするような人による自慢話、古人の武勇伝ばかりを載せたりして、何も知らない若者を妄想を煽るような内容が目立っています」「実戦実戦とか中国でこれだけ習ってきて知っているんだと自分で言っている方が沢山いらっしゃいますが、結局はほとんどが自称なんですね」と小林先生は今の日本の現状と中国、台湾との矛盾を言いながら台湾での出来事を話す。



1928年10月南京で開催された第一回全国国術考試の散打部門の試合現場
馬家から馬英図が出場し、"散打搏撃部門" "撃剣部門" "長兵部門"において優勝を果たした。
当時中国北方で有名であった「朱氏四傑」の一人朱国禄(形意拳)との試合は有名である。


  小林先生は馬賢達老師に師事をしながら、事情があってしばらく日本をずっと離れていた時期があった。そして日本へ帰国して、1998年に日本馬氏通備武術協会の前身である馬賢達通備武術学院日本支部を開設した。その時に日本で中国武術に興味がある人はあまりにも本やビデオを見て自分の世界に入っている人が多いこと、あまりにも中国武術が武術として理解されていないことにショックを受けたらしい。中国武術が好きな先生としては耐えるに耐えられないことだったのだろう。使命感のような気持ちが沸き、その気持ちが元来保守主義の中国武術の指導体系を改めるように改善していったそうである。

「ウチでは無駄な排他的なものを捨て、初心者から上級者まで自分の目的を作って実践していくように練習して貰っています。どういった練習をしているのか?自分がどのレベルなのかを知って練習しないと何年練習しても向上しませんので。だから自分の流派さえ、自分さえよけりゃ、人(他派)のことなどどうでもいいようなエゴの人は当会の学習をお断りしています。武術の究極の目的は、完全な人間を作る事だと思います。もちろん世の中に完全という事は望み得べくもないが、少なくとも一歩一歩近づかんとする修養。それが正しい武術を練習する基礎だと思います。故に武術修行が徹すれば徹するほど、平凡たる普通人のように見えなくてはいけない。そうなれるのは武術修行が咀嚼し、消化してしまったからです。だからウチの中では派閥は作らないようにしています。」

 こうして通備武術の指導に努められている小林先生であるが、セミナーで指導された時には、 小林先生が馬賢達老師の武術を正統に伝える日本伝承者ということで、他流派の師範と名乗ってお忍びに習いに来られる人も何人かいたという。

 「いくら教えているとは言っても結局は原理から用法の使い方まで知らない人が多かったですね。彼らは固定した技は知っているんだが、その使い方を活かせるような段階の練習体系を知らなすぎる。だから以前に武術雑誌で、『中国武術は使えるのか?』という見出しの幼稚な特集があったそうですが。固定した用法やその変化しか知らないから結局使えないという結論になるかと思います。“それじゃやっぱりキックボクシングスタイルで戦うしかないんですね?”という人もいましたが、逆に私が彼に聞きました。“あなたは何を練習しているのか?”って、他派を長く練習をしてきてそんなことを言うなんて目が点になりますよね。改めて馬賢達師父が以前言っていた通り劈掛拳、翻子拳、通臂拳は本当に実戦を研究してできた完成された拳法なんだと思いました」

「中国の各流派はそれぞれ優れたものがあるので現在まで受け継がれてきたわけだから、それを学んで日本へ持ち込んできたので、悪いとは言わないけど、実戦で証明してきた経験から得たノウハウまで身につけて正しく指導できる人が日本ではまだ非常に少ないんです。我々は馬鳳図、馬英図(※南京中央国術館第一回全国国術考試"散打搏撃部門" "撃剣部門" "長兵部門"において優勝)、馬賢達(※天津で開催された全国規模の散打大会で優勝 全国短兵格闘試合で優勝)といった先輩が理論だけでなく、実際多くの戦いによって勝ち抜いて得た経験があるので、それに基いたノウハウに沿って練習しています。そこがウチの特徴です」とも言う。

▲続きは次のページです<こちらから>






今回は特別に大槍術だけでなく長兵格闘の指導もされた
馬家の長兵は、六合大槍や西北系棍術だけでなく劈掛門の奇槍(劈掛槍)や五十五図など豊富な技術が揃っている。

中国では東が槍、西が棍と有名であり。西北地区の棍術は、馬鳳図が西北地区へ移住してから馬家に伝わり、
馬家は西北地区の棍術の代表といってよいぐらい西北地区の棍術が完備されていることは、日本ではあまりまだ知られていない。
馬家に伝わる西北系の棍は通備劈掛の勁道を取り入れ、猛烈な爆発力を伴った発勁を連続的におこなう激しい棍術である。

有名な風磨棍は劈掛門に属する棍術であり、穂先をつければ槍として戦える棍術であり、
また河北省滄州地区に伝承があった劈掛門に伝わっていた奇槍や五十五図といった槍術や棍術の技術が含まれている。
兄・馬鳳図から風磨棍を習った馬英図は南京中央国術館で郭長生に風磨棍を教え、2人で南京中央国術館で風磨棍を教えた。
そして風磨棍と名乗らせずに南京中央国術館の教材用として瘋魔棍と名乗らせて普及させたのである。
一部、馬鳳図や馬英図、風磨棍の伝承について誤解があるので、通備門側からの意見としてお知らせします。



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