after 2force
 
2002年11月24日以降の江東区佐賀町「食糧ビル」。
崩壊のプロセスを、
きまぐれに更新していきます。
 

   


2002年11月25日
今日は雨でした。
めっきり寒くなってきました。
2002年11月27日
隣の工事現場に非常階段が埋め込まれました。
2002年12月3日
奥には残された、もしくは運び出すべく荷物があった。
がらん、としたカフェ。
有機的な存在感のある椅子たち。
隣の工事が来るべき崩壊の姿を予感?
クレーン、クレーン、クレーン
控えめな駐禁縦看。
クレーン'ズ・エッジ
隣の工事現場の詰め所みたいな所に張ってあったのが何だか皮肉。
2002年12月8日
本日のタイムテーブル
地元主体のお祭り気分。
佐賀町会の模擬店が焼そばや豚汁、モツ煮、おしるこ等を販売していた。
「SiteCafe」は「食事処」に。
なんだか違う国の軍隊に占領されたようだった。
そこには昔あった文明の壁画があった…っていうくらい展覧会の雰囲気は遠いものになっていた。
雑然とした部屋。
通路にも書類などが積み上げられていた。
地下の倉庫。
全てが解放され、写真撮影の禁止事項も無かった。
地下から地上を見上げる。
地上には「本部」があった。
今日は一番搾りが奉納されていた。
米俵を持ち上げ、廻す面々。東京都の指定無形文化財とのこと。
今日は本当に寒かった。ビルに対する弔いの行事は、ほとんどが曇り空のような気がする。
今日も写真撮影している人が多かった。
(自分も含め)執拗な撮りっぷりはアイドルの撮影会のようだった。アイドルも食糧ビルも、心の拠りどころとしては純粋に等しい。
タンゴの調べ。
20021208_19.JPG
なんだか良くなかったような、良かったような…。食糧ビルが実際に活気があった昭和初・中期は、こういうオッサン、オバハン的ノリだったのかもっていう感じ?だった。
2002年12月9日
今日は東京で11年ぶりの記録的な大雪だったにも関わらず、午後4時過ぎには雪は溶けてしまっていた。
2002年12月10日
朝はまだ寒く、日陰にはまだ少しだけ雪が残っていた。
午後になると雲間から光も差し込んできた。
2002年12月14日
ギャラリーの作品を運び出していた
今日は抜けるような青い空
剥ぎ取られた壁
せつない…
2002年12月19日
足場に包囲されつつある
すでに内部の取り壊しは始まっていた
着実に遂行される計画
2002年12月20日
熊囲い。
ガッツリ!ナポレオンがスフィンクスの鼻を射撃の的(実話ではない)にしたよう。
解体にヘルメットは必須。
2002年12月31日
覆いつくすように伸びた足場
ポッカリ貫通
奥右手にあるのは防音用ボード?
着々と全破壊の準備が進む
もう戻れない
クモの巣に覆われたよう
20021231_06.JPG
破壊するには力が必要
倒れた時にはかなり大きな音が出たはず
2003年01月09日
完全に覆われた
もはや違う建物
アジト
2003年01月23日
今日の佐賀町も、まだまだ寒い
2003年01月28日
取り壊しは、かなり進んでいる。
内側から浸食して溶けてくイメージ。
2003年02月01日
解体する人も予定通り崩すのだろうが、
見事な崩しっぷり。
建築としても骨子がしっかりとしているのだろう。
2003年02月08日
搬出口を見上げる。
搬出口から見る。
どこからか運び込まれた資材で生成された建築。
76年ぶりに取り崩された資材は、またどこかへ運ばれていく。
黙々と動くクレーン。
クレーンを操縦するのもまた人間。
パティオから見えなかった周囲の景色が広がり、
粉じんが空気の中をゆらめく。
空を広げる作業をしている気がしてきた。
だけど明日もまだ消えてなけりゃいいな、食糧ビル。
2003年02月14日
覆われた壁の高さも低くなり、
見渡しの良い空き地のよう。
しかし、中を覗いてみると、
まだ忙しなく解体を続けている。
砕け散る資材。
最後に残された部分。
ひたすら砕き、資材を分別し搬出する作業も、
もう少しで終わりそうだ。
ふと見ると、ビルの鋳物があった。