「農業講座」を読む、第1回から

第1回は、「農業講座」を読む基礎として、ゲーテの科学、特に、形態学の基本的な考え方を見てみた。

ゲーテ科学の用語が説明された。

  • 原植物とは何か?
  • メタモルフォーゼ=変態とは?
  • 対極=分極、
  • 収縮と拡張、
  • 高昇、
  • ゲーテの言う「対象的思惟」とは?
  • 直観とは?

ゲーテは『イタリア紀行』で、原植物のことを記している。パドゥアの植物園で椰子を見たときの話だ。今でもこの木は残っていて、ゲーテの原植物と呼ばれている。ぽっこわぱで、ベンケイソウの一種を原植物だという説に出会ったこともある。オリヴァー・サックスは、グアムなどにある根も(通常の)葉もない植物を、原植物と呼べるのではないかと書いている。ところが、原植物は現実には存在しない。シラーに話したとき、ゲーテは「それは観念にすぎない」と言われて、「それなら、自分には観念が目で見えるのだ」と言い返している。だから、ゲーテの「原植物」は、そこからあらゆる植物形態が由来しうるプロトタイプなのだ。あらゆる具体的な三角形が三角形の理念に沿っているように、植物は「原植物」に沿っている。原則として。実は、必ず原型からの逸脱がある。その「逸脱」が植物の種を作り出している。

それでは、変態とは何か? 変態はゲーテの創案ではない。実は、メタモルフォーゼの考え方は、植物などの分類で大きな仕事を成し遂げたリンネにすでにあった。リンネは、動物、正確には蝶の生命周期に、変態があるのを知っていた。

  • 青虫
  • サナギ

動物の変態は、時間の中で空間に並置されない。卵が青虫になると、その卵は消える。青虫がサナギになると、青虫はいなくなる。サナギが蝶になると、サナギはいない。

なぜメタモルフォーゼというのか? ある形態から次の形態に、決定的な断絶した大きな変化が見られるからだ。卵の小さな姿と静止。それとくらべると、青虫の大きな体と活発な運動。サナギで、活動と生命現象は、外向から内向に移るようだ。サナギの凍り付いたような停滞。その凍り付いた停滞から、軽い光と飛翔に適した成虫、蝶の姿が現れる。

さて、植物の変態は、時間の中で空間に並置されている。それをゲーテは発見した。

  • 種子
  • つぼみ

明らかに植物と動物の成長に類似がある。

  • 卵ー種子
  • 幼虫ー葉
  • サナギーつぼみ
  • 蝶ー花

これらは、蝶の卵から成虫までに対応しているように見えるが、それらは同時に空間中に生起しうる。つまり1本の植物体に、葉とつぼみと花が同時に目に映るのは珍しいことではない。

ゲーテの科学が従来の科学と異なるのは、対極、極性、分極性を重視することだ。バランスの好いゲーテらしい。電気は陽極と陰極、磁気はN極とS極に分裂しているが、対極はリズム原理である。2極対立ではなく、3の原理だ。統合原理が内包されている。

なぜ人間がこのリズム原理を知ることができるのか? 我々自身にリズム原理が埋め込まれているからだ。ドキドキする心臓、脈拍、呼吸のリズム。ゲーテの科学は人間の感受性を排除しない。

最後のディスカッションで、ある参加者が、とまどったからか、非常に正直に、「これは詩の作法だ」と感想をもらした。私は答えた。「すぐれた農業者は必ずアーティストなのだ」

ゲーテは、3度の収縮と拡張のリズムが植物に現れると喝破した。

    収縮ー拡張
  • 種子ー葉
  • 萼ー花びら
  • 雄しべ、雌しべー子房

葉の発達が時間と空間の中で目指すものが、アストラル領域、つまり死の領域に触れたとき、これまでの生のすべてが一気に、同時に、回想される。それが萼だ。萼の緑色は、生命領域にそれがあることを示しているが、葉の組織が一気に再現されるとき、それより以降に成長原理、発達原理は働かない。花びらが植物体で光に由来する色をはじめてまとうのも、決して偶然ではない。

だから、と私はベランダから持ってきたゼラニウムを見せながら言った。植物は葉の領域でとどまる限り、生命である。いつも1。1+1も1。全体から部分を引いても、1、すなわち総体が残る。多くの植物が株分けや挿し木で増やすことが出来る。生命領域にあるものは、分裂でなく統合を表す。水と似た振る舞い。繰り返し。繰り返して倦むことのない姿。

高昇とは何か? 変態を遂げるにつれて、植物が運び上げる物質が精錬されていくこと、精妙さを増していくこと。

葉と花びらを並べて観察してみるとよい。もちろん、花びらは葉が変態したものなのだが、物質性を希薄にしていることは明らかである。

第1回の集まりは偶然、ミカエル祭の頃に行われた。シュタイナーが、「ミカエルとドラゴン」というエッセーで、ゲーテの科学の意義をミカエル祭との関連で述べていた。その箇所を紹介した資料も配付された。

自然がその開示において力を失っていくとき、人間がその自然の道を共に進んではいけない。衰微の道のりで何が起きるのか、ゲーテはその意義を把握していたとシュタイナーは言う。

 こういう訳があったからこそ、ゲーテがシラーに、植物が生命と生長へと向かう内的努力を素描した絵を見せたとき、この詩人である友が、これは「理念」であって「経験」ではないと言ったとき、大いに憤慨したのである。ゲーテの返答はこうだった。「もしこれが理念なら、それなら私は、色彩と形体が知覚できるように、この眼で理念を見ることができるのだ。」
 ゲーテは、大自然には上昇する生だけでなく下降する生もあるということを意識していた。彼は苗から葉、蕾、花、実への生長を感じたが、すべてがどのように萎れ、衰微し、乾燥し、死に果てるかも、感じていた。彼は春を感じたが、秋もまた感じたのだ。夏に彼は自らの内的共感で大自然の展開に参与できたが、冬には同じように心を開いて彼女の死にも参与できたのだ。
 ゲーテの作品には、大自然とのこの二重の経験を明確に言葉で言い表したものが見いだされないかもしれないが、彼の思考様式総体にはそれが必ずや感知されるのである。それは、言わば、ミカエルのドラゴンとの戦いの反響なのである。ゲーテの場合、彼の経験だけは、未来の時代の意識を先取りするまで高められているのである。
 19世紀に、この線に沿った思想のさらなる発達はなかった。今到達されつつある霊性の新たな知覚は、ゲーテの大自然の理解の継続と発達を模範として追究されるものとならなければならない。
(シュタイナー:「ミカエルとドラゴン」からの抜粋)

悲しみに沈むのではなく、人間はミカエルとドラゴンの闘いの映像を必要とする。

Compositae つまりキクを手に、メタモルフォーゼのありかたを提示して、キクの逸脱を説明した。つまり、キクは花の花なのだ。通常の変態で我々が見るのは、葉の組織が花になった姿なのだ。これまではバラバラと、葉序にしたがっているとはいえ、空間に展開した葉の変態が1つの花になるのだが、キクの花は集合花なのだ。外の列の花は花びらをひとつだけ大きく残しているが、それでも雄しべ・雌しべを持つ。花冠のなかの花は花びらを退化させてしまった。線状の、最も物質性の希薄な、単純素朴な花の姿。それが、おびただしく集まっている。

タンポポやヒマワリなど、他のキク科の植物の特徴的な身振りも紹介された。

タンポポの奇妙な成長の仕方は、農業講座を読み進めるとき、意義をさらに明らかにしていくだろう。タンポポの花はバイオダイナミック調合剤を作るのに利用されるのである。

「根の組織とそれ以外で師管と道管の位置に反転が見られる」と参加者から鋭い指摘が出た。興味深いことだ。光と闇の領域の違いがそれを生起させるのか?

人間組織が頭部とそれ以外で反転が見られる、例えば、骨格と神経系の位置関係。人間との対応が示唆された。

ゲーテがあまり根の話をしていないことも指摘された。ゲーテは徹底的に「眼の人」だったのだ。シュタイナーは、根の話もしている。彼は、ゲーテの科学をさらに発達させた人だったからだ。

これ以外にもいろいろな話が出たが、もうこれくらいでいいでしょう。

次回は、「農業講座」第1講義を各自読んできて、そこから話を進めます。だから、ほんとうの第1回といえます。農業、シュタイナーのエコロジカルな観点に興味がある方、新たな物の見方、人間と自然との関係、こうしたものに関心のある方は、当日でも結構です。フォーラム・スリーの会場にお越し下さい。

「農業講座」毎月の第木曜日19:00〜20:30

   会場:オープンフォーラム早稲田
   講 師:佐藤公俊(さとうきみとし)
   参加費:1,000円
   テキスト:R.シュタイナー『農業講座』(イザラ)
      (フォーラム・スリーで扱っています)
   申込先:フォーラム・スリー
      Tel.03-5287-4770 / Fax 4771
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       佐藤公俊
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