彼岸花の想い出

9月26日、京都で

1986年9月26日、私は京都にいた。友人のジムが京都で亡くなったと知らされたからだった。23日秋分の日の正午に、ジムは京都から電話をかけてきた。今は京都にいるが東京に戻ったら会おうと彼は言った。私は、残念だけど京都には行けないが、東京でいろいろ話そうと言った。25日にニュージーランドから電話がかかり、彼の急死を知らされた。皮肉なことに、ジムが亡くなったから私は京都にいた。 京都駅近くのお寺に安置された彼のなきがらに会うために急いだ。暑い日だった。お寺は深閑として、時が止まったかのように感じられた。何もかもがいつものようだった。今日は昨日のままで、明日もまた今日のように過ぎていくだろう。ただし、ジム・グリーグはいない。はにかみ屋で、それでいて、思ったことはズバッと言う彼は、私には大変好ましく思えた。彼のほうも、私の言うことを面白がっていた。焼き物という日本古来の芸術様式で彼がやろうとしていることは、私には非常に興味深かった。生命とかたちと水の相関関係を彼の芸術が教えてくれた。彼との出会いがなければ、私がこのような道を歩くことはなかっただろう。

26日の午後に、私は河井須也子さん(河井寛次郎の愛娘で、さまざまな芸術に通暁している)そして鷺珠江さん(寛次郎のお孫さんで、河井寛次郎記念館の学芸員であり、やはり伝統芸術にも近代芸術にも通じている)に初めてお会いした。ジムはすでに私を紹介してくれていたのだが、お会いするのはそれが初めてだった。

その折、お二人は桶いっぱいに活けられた曼珠沙華、彼岸花をジムのために持ってきてくれた。何でも、お彼岸の頃なので、山の方にお住まいのお友だちから頂いたものだとか。京の山の辺には真っ赤な彼岸花が群生しているのだろうか。 それは見事な曼珠沙華で、炎のような、血のような、深紅をまき散らしていた。もはやジムの血は体を駆けめぐり、その体をあたためてはいなかった。

花を先につけ、それから葉を出す、この不思議な植物を支配する苛烈な形態原理は、ジム・グリーグの作品を連想させた。

花は物質として空間に現出するというより、宇宙へ溶ける激しい運動性に身を委ねている。その鱗茎は毒を持つ。毒々しい花弁の色がそれを暗示している。しかし、毒を除去すれば、その豊富なデンプンが飢饉の時分に、人々の命を救ったという。

しかし、この華やかな彼岸花の宴はつかの間しか続かない。あっという間に、みすぼらしい姿となり、盛者必衰の理をあらわすことになる。

我々の命もまた、同じ事だ。いずれ、我々はこの地上を去っていく。それまでは、緑の命を楽しむことにしよう。

この季節になると、彼岸花が懐かしくなる。この辺りは今年、彼岸花がほとんど咲かなかった。

ジムの作品を2つだけ掲げておこう。


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