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ジェイムズ・クワント

アンドレイ・タルコフスキー:回想

この記事は、2002年10月から11月にかけて行われた催し シネマテーク・オンタリオの、タルコフスキー回顧上映『黙示録の詩学:アンドレイ・タルコフスキーの映画』との関連で書かれたものである。論文は、著者自身の許可によって Nostalghia.com に転載されるものである。(c)2002 James Quandt.

    「タルコフスキーは私にとって最も偉大な者だ。映画の本性にふさわしく、生を反映として、生を夢として、捕らえる新たな言語を発明した者である。
イングマール・ベルイマン

アンドレイ・タルコフスキーに捧げられた回顧上映は、かれこれ十数年ぶりにトロントで開催されるものだが、タルコフスキーの生誕70年を記念するものである。いくつかの新しくレアなプリントを集めて、その重さと偉容を賞讃されながらも、クリス・マルケルの言葉を借りれば「我々に自由を残してくれる」少数者のひとりのー作品群に出会う特別な機会を、この連続上映は提供している。カナダでタルコフスキー映画を見ることが久しく叶わず、この回顧上映を求める多くの要望を受けて、我々は数回の反復上映を予定している。

アンドレイ・タルコフスキー (1932 - 1986)は、戦後のソヴィエト映画でもっとも偉大な監督だと一般に見なされている。彼の精神的でエコロジカルな関心はしばしば反合理主義的説教に陥るのだが、彼の映画の当惑するほどの美しさに陶酔し心揺すぶられずにはいられない。素朴でありながら壮麗、自然のエレメントを扱いながら形而上学的な、タルコフスキーは映画の「天才詩人」と彼が呼ぶ人々:ブレッソン、溝口、ドヴジェンコ、ベルイマン、アントニオーニと並び称されることとなる(彼は黒澤、フェリーニ、ブニュエルも高く評価していた)。

25年で、タルコフスキーは7作しか映画を撮っていない。タルコフスキーが最も賞讃する監督ロベール・ブレッソンよりも寡作な作品数である。(彼は『田舎司祭の日記』を最も偉大な映画と呼び、ブレッソンのスタイルの頑なな厳格さを理想と仰いだ。ブレッソンのほうもタルコフスキーを高く評価し、死ぬまでパリのタルコフスキー協会の理事を務めた。)タルコフスキーはブレッソンと多くのテーマを共有した−精神的な苦悶、恩寵と忘却の探求、精神と物質の葛藤、信仰と世界の野蛮さの葛藤。2人とも、神秘的なもの、名状しがたいものを、物質の素材性に、色彩に、テクスチャーに内在させた。ブレッソンの最後の映画『ラルジャン』のように、タルコフスキーの最後の作品『サクリファイス』は彼の生涯の仕事の大要である。署名となるイメージと方法とテーマの集大成である。 2人の監督には他にも多くの類似点がある。例えば『たぶん悪魔が』と『ストーカー』のエコロジカルな警告。類型への嫌悪の共有−それは、タルコフスキーの言葉だと『墓石よりも冷たい』ほどだ。トルストイとドストエフスキーへのよく似た関心。しかし、両者の映画論−ブレッソンの簡潔なノートとタルコフスキーの論証的な『映像のポエジア』−が示すように、多くの点で2人が住む世界は別々である。 ブレッソンの映画はドライで、カットが短く、省略が多く、モンタージュに依存するスタイルは、タルコフスキーのロングテイクと水浸しの世界の流動への偏愛と、それらが暗示する浸透感と、対立している。(タルコフスキーの映画は人を、エレメント、特に火と水のなかに、また時のなかに、沈める。)

タルコフスキーのロングテイクの多用は、一作ごとに頻度を増し、『サクリファイス』の最後の、焼ける家でそのアポテオーシスは道徳的な、いや精神的な意義を監督にとって担うことになった。少なくとも、セルゲイ・エイゼンシュテインの古典的な公式によるモンタージュは、世界を切り刻み意味を強制することによって世界を汚したのだ。「私は、エイゼンシュテインが知的な公式を暗号化するためにフレームを利用するやり方に、真っ向から反対する。」「経験を観衆に伝える私自身の方法はまったく別のものだ…エイゼンシュテインは思考を暴君にする。そのため「空気」が何も残っていない。あの曰く言い難い、つかまえようとするとスルリと逃げていくものを何も残さない。もしかすると、それがあらゆる芸術で最も心を捕らえる質であるというのに。」タルコフスキーの総体を探求する手法、世界の統合性を求める手法は、心理学的に還元して、読み解くことが出来るかも知れない。1935年に両親が離婚したことは、彼に深い傷跡を残した。『鏡』や『ソラリス』といった映画は、家族の再会へのタルコフスキーの憧憬を明かしている。(彼の記憶への関心は、個人的な記憶と先祖の記憶はいずれも、主に改変されたものである。)さらに重要なことに、それは霊的なかつ魂の更新へのタルコフスキーのこだわりを反映している。それは、彼の見解では、一連の根幹的な絆、自然との絆、過去との絆、革命前のロシア文化を含む、文化の創出との関連にかかっている。

タルコフスキーの映画は母なるロシアという神秘的な思いに浸透されているので、1983年にソ連を出て、亡命後に監督した映画ですら、その撮影された風土を故郷のヴィジョンに作り替えているようだ。心臓が止まるほど圧倒的な『ノスタルギア』の最後のシーンは、ロシアとイタリア、東と西を、雪に降るロシアの田舎の家がサンガルガーノの僧院廃墟の中に建つイメージで、統合している。スウェーデンのゴットランド島の夏の薄明で撮影された『サクリファイス』の質素純朴な家は、『鏡』と『ソラリス』の家族と母国の失われたエデンを招来させるダーチャなのである。『ストーカー』の原作小説はアメリカが舞台だが、タルコフスキーによって、ソヴィエトの強制収容所を思い起こさせるゾーンに変容されたのだった。(多くの者が指摘しているように、頭をそられ、見捨てられたストーカーは政治犯囚に似ている。)神聖な狂人、聖人、予言者、黙示録と幽閉、精神性と希望、贖いといったドストエフスキー的な主題を伴い、タルコフスキーの映画は19世紀のロシア文化に起原を有している。

「最初に言葉があった。なぜなの、お父さん?」と『サクリファイス』の最後で口ごもりながら子どもは初めて言葉を発して、問いかける。アンドレイ・ルブリョフの沈黙の行から『サクリファイス』のアレクサンデルの沈黙の誓いまで、沈黙と、言葉への不信は、タルコフスキー映画の輪郭をえがくモチーフである。『鏡』(その冒頭シーンは吃音者の治癒である)のナレーターは、「言葉は、感情を表現するには無力すぎる」と言う。言葉はしばしば抑圧と情報操作の武器として使われる。この言葉への不信には、まぎれもなく、ソヴィエトの二枚舌とスターリン主義の検閲に関するタルコフスキーの経験の影響がある。−『鏡』のたった一字の間違いがどれほど政治的な反響を及ぼすかが思い出されよう−この不信は、あたかも映像がより直接的な真実に満ちたものであるかのように、象徴的意味合いをはらんだイメージの強調につながっている。つまり、廃墟と荒廃した風景、楽園のダーチャ、木、(青い)リンゴ、ミルク、馬、鏡、犬の強調である。(マイケル・パウエルのように、タルコフスキーは赤毛が好みだった。『ノスタルギア』のドミツィアナ・ジョルダーノのボッティチェリのような長く豊かな髪にそれは顕著に現れている。)

あまたの批評家が指摘しているように、タルコフスキーのように四大元素を扱った監督は、後にも先にもいない。霧に包まれ、温泉の湯に濡れて、霧雨にうたれ、雨が堰を切ったようにあふれ、流れ、ぽたぽたと滴を垂らし、屋内でも屋外でも雪が降り、タルコフスキーの大地は植物栽培のテラリウムだ。彼の緩慢なカメラが映し出すカビと羊歯と地衣類と毒キノコの散在する森の植生は、繁茂するエントロピーである。さび付き、崩れ落ち、水浸しの廃墟の岩屑は、ぼかしの効果と彩度をおとしたフィルムやモノクロフィルムを使うことで、壮麗さを増しているのだが、過去のさまざまな文化の遺跡と生態学的な災厄の両者を示している。水と地と火は(風はそれほどではない、彼は空をほとんど映さない)、タルコフスキーの氷河の歩みのような緩慢なテイクで、限りなく神聖なものを指し示すものに変容している。クリス・マルケルがタルコフスキーのドキュメンタリー映画を撮影したときに記しているように、「タルコフスキーの映画では、黒澤映画と同様に、雨がよく降る。間違いなく、タルコフスキーが非常にしばしば言及した日本的な感受性を示すものである。日本人のように、自然との肉体的な関係を示している。この名高い神秘主義的な映画監督の作品ほど土臭いものはない。肉感的なものはない。たぶん、ロシア神秘主義が、自然と体によって脅しつけられたカトリックの神秘主義とは別物だからだ。正教では、自然は尊敬され、創造者はその創造によって崇敬されている。登場人物と対位法的関係で、各作品が−時には別個に、時には対で扱われる−四大元素の間を縫ってプロットが作られている。『鏡』では、単純なキャメラの動きが水と火を集わせる…その逆の道をたどるのが『ソラリス』である。」

マルケルが言及し、『サクリファイス』の海童道の法竹音楽でも明らかなように、日本への愛着は、タルコフスキー映画を形成する多くの影響のひとつである。文化的な方向付けで甚だしくロシア的だが−宗教的イコン絵画が作品に顕著であり、トルストイとドストエフスキーの影響もまた顕著だが(プーシキンはそれほどではない)−伝統的な西洋絵画も彼の映画の源泉だった。彼の映画に引用されたり召喚された芸術家のリストをざっと作ってみると、ブリューゲル、レオナルド、レンブラント、ルソー、バッハ、ペルゴレージ、パーセル、ドビュッシー、ベートーヴェン、ダンテが含まれる。(彼は映画の素材となったスタニスワフ・レムとストルガツキー兄弟の小説にあまり敬意を払わず、大幅な改変で原作者を悩ませた。)タルコフスキーの趣味は、保守的で規範的な傾向があった−彼はウォールデンを愛読書として挙げたことがある−彼はアントニオーニの新機軸を賞讃し、彼自身、要求の高い、難解なスタイルを採用していたのだが。彼はスタン・ブラッケージの映画に当惑し、ゴダールの映画を毛嫌いし、ストーリーのない映画という概念そのものにとまどいを隠せなかった。彼のソヴィエト・モダニズムの拒否には留保があった−彼にとってドヴジェンコは例外だった、理由は彼の詩的な汎神主義にあったことは疑いない−しかしエイゼンシュテインとショスタコーヴィッチには悪口雑言を浴びせた。(彼の「精神的な後継者」、アレクサンデル・ソクーロフは、前者を賞讃し、後者に関する映画を作っていることを忘れてはいけない。)

死後に彼は、シャーマン、殉教者、預言者、聖人、幻視者と、さまざまに呼ばれて、タルコフスキーは崇拝者によって幽閉されてきた。やせこけて、禁欲的で、神官的ですらある彼の分身たちを並べてみると、その多くが世界を贖う精神的な探索の途上にあり、世界を救済するメシア的な傾向がうかがわれる。また、彼の発言の一部には神智学的な綾が聞こえてくる。

「私は、より高次の大義に仕える覚悟のある人間、世俗の「道徳」の万人に認められた教義を採用したくない、いや、どうしても出来ない人に惹かれます。人間の実存の意味は、何よりも、私たちの内にある悪との闘いにある。そう認識する人間に惹かれます。そうすれば、その人は、生きている間に、霊的な完成に向けて少なくとも一歩前進できるでしょう。」

崇拝の念が高まり、彼の思想の批判に歯止めがかかった。まるで、細かく解剖することが彼に対する中傷であるかのように。彼の長回しが最後に(『ノスタルギア』で)は衒いになった、寓話に似た象徴の使用がますます反復され、単純になった(例えば『サクリファイス』の生命の木)。そう主張する者がいるが、タルコフスキーの反動的な価値観を、弁護や不快や気後れを表明せずに、唱道する分析もまた、まれである。確かに、彼の反唯物主義の、反テクノロジーのヴィジョンは、勝ち誇った市場経済の略奪に世界が屈するにつれて、以前より流通するようになった。彼は、新しいロシア、腐敗と犯罪と汚染とエイズと不平等の猖獗する新しいロシアを嘆くだろう。そこにノスタルギアを彼が感じることはありえない。

タルコフスキーの遺産は限りない。ブレッソンの独特のスタイルはしばしば模倣され、しばしばパロディ効果を生みだしたが、タルコフスキーもまた、彼を模倣した多数の者の仕事に責任はとれない。彼らは、タルコフスキーのヘルメス的な世界から、水、うろつく犬、文明の廃墟といった少数のキー要素を漁り、荒廃が凍りついたエンブレムに変えてしまった。彼の視覚的アプローチ−長い、しばしばレールと望遠を使ったロングテイク、アダージョなペース、退色や脱色されたカラー、カラーと白黒の交替−をコピーした監督のリストは、長い長いものになる。誰にも真似できないものは、彼の魂のこもった詩心であり、謎のイメージの流動であり、探求と苦闘の感覚である。それはあまりにも神秘的で不思議で力強いので、世俗の冷笑家は、説明不可能な、まったき美に沈黙せざるをえないのである。

James Quandt

translated by Kimitoshi Sato, Jan.22. 2003





原文はNostalghia.com
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