は、まさにその表情が次のように告げるほど生き生きとしたものでなければなりません。ここに、この表象に、人間を大地の人間にしているものすべてが、感覚的欲望に関わるすべてが、隅々まで光り輝く「霊性」によって克服されている−このかんばせを霊化させたものによって克服されている、そう告げるほど生き生きとしたものでなければなりません。その顔には「昇華された強さ」がなければなりません。その強さは、良心の最高の発達と見なしうるものすべてを顎と口の独特の形で開示させることによって、引き出されたものです。その口は−その前に立つと、画家や彫刻家がそれを形づくりたいと願うとき−その口があるのは食べるためではなく、道徳と良心として人間性に育成されてきたものすべてを表出するためであると感じさせるものであるはずです。骨格のすべて、歯と下顎が同じものを表出していると感じさせるものであるはずです。このすべてが、そういう顔つきに表出されるでしょう。顔の下半分の形には非常に力強い力があり、それが流れ出ると、人体の残りの部分すべてをずたずたに切り裂き引き裂き、それがやがて、新しい形態になり、そうすることによって特定のエーテル諸力は克服されることでしょう。したがって、このような口元を表すキリストに、今日の肉体的人間に類似した体の形態を与えることは全く不可能でしょう。
もう一方で、キリストには「万能の共感」を物語る目を与えなければならないでしょう。そういう目だけが、内的な存在を見ることができるのです。印象を受け取るためにあるのではなく、むしろ魂もろとも他者の喜びと苦しみに参入するために外へ出て行く目です。
さらに、このキリストは、地の感覚印象に関する思念を宿しているとは想像できないであろう額を持っていることでしょう。その眉は、いくらか突き出て、脳のあの部分にアーチを描いています。しかし、同時に、その眉は、既に存在するものを思考する「思想家の眉」ではなく、むしろ驚異が目の上に突き出てゆるやかにアーチを描いて頭部に戻るこの眉から表出されていて、そうすることによって、いわゆる世界の神秘をめぐる驚異を表出していることでしょう。その頭部は、肉体を担った人間においては出会うことの出来ない頭部であるはずです。
キリストを描く行為の一つひとつが、実際、キリスト像の理想のようなものであるべきです。そして、進化の過程で人間がこの理想を達成しようと努めるときには必ずこの理想を志向する感情−霊科学の助けで、人間がこの最高の理想を芸術的に呈示しようと努める限り、次の感情がなければなりません。
「キリスト」を描きたいと願うなら、お前は既に存在しているものに頼ってはならない。むしろ、お前は世界の霊的な行路に霊的に没入することによって、3つの重要な衝動−驚異と共感と良心−によって、成就できるすべてが力になるように、自分の内で活動的になり、自分の全存在に浸透するようにしなければならない。
訳注
マリー・シュタイナー
:(1867-1948) マリー・シュタイナーはルドルフ・シュタイナーの生涯の伴侶であり、オイリュトミー、言語形成など舞台芸術の発達のすべての出発点に彼女が立っている。この文章でも分かるように、ルドルフ・シュタイナーがオカルティズムに関わる仕事をする出発点にも彼女がいた。生前のシュタイナーの著作は彼女が設立した出版社から出版されたし、シュタイナーの講義録が彼の没後に出版されたのは、ひとえに彼女の献身による。彼女が記す序文はいつでも、シュタイナーの講義を読む大きな指針と洞察を与えてくれる。