イギリス、サセックス州エマーソン・カレッジにあるジョン・ウィルクスの彫刻スタジオと作業室に初めて足を踏み入れたとき、ここでは何かわくわくする事が起きていると私は直感した。私自身生物学者であるので、ある部屋で目にした動物の骨格のコレクションに強い印象を持ったのももっともだと言えよう。アナグマ、ヒヨケザル、サル、イタチ、イヌ、ネコ、サギなどの完全な骨格があったし、ウシやヒツジの脊柱も、ウマ、ヤギ、ブタ、オオカミ、ビーバーや、そして一番の見物であるカバの頭骨があった。部屋の周囲には、分類された貝類や乾燥植物や石やレイヨウの渦を描く角が置いてあった。骨や葉や鉱物結晶をチャーコールで画いたスケッチが壁を飾っていた。粘土のフォルムが部屋の隅々にあった。
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ウィルクスの主な作業スタジオ、質素な木造家屋の中は、私には先の部屋よりなじみの薄いものであったが、やはり興味をそそって止まぬものだった。ホースがくんずほぐれつ四方八方に向かっていた。床には水溜まりがあちこちにあった。四方の壁には水のスケッチがあった。撥ねる水。渦。水滴。蛇行する水流。部屋中に、ポンプ、ポリバケツ、粘土の入った樽、ファイバーグラスの型、陶器の水盤が溢れていた。水盤は様々な形態とサイズで、大きいものは直径が約1メートルだった。それらは一列に並べられていた。この葉に似た突出部を持つ器の縁は上に向いており、あるものは切り立った側面を、又あるものは低い縁を、持っていた。水盤は、傾きを持って、段々の階段のように、僅かに交差して並べられていた。
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部屋の片すみで、灰色の作業服を着て、藍色のベレーをかぶり、丈夫なつるの眼鏡をかけたジョン・ウィルクスは、幾人かの学生に、水と、運動と、形態の関係を、話していた。数分後、彼は配置された水盤に歩み寄り、スイッチをぱちんと入れた。水が水盤を流れ始めた。ゴボゴボ、サラサラ、滝のように上から下へと落ち始めた。その響きはポンプの唸る音より明瞭に耳に入って来た。観察する学生達は近くにひしめきあって、一連の水盤を流れて逆巻く水を食い入るように見ていた。各々の水盤で、水は8の字形に流れ、それと同時に一方の側面からもう一方の側面へ緩やかに揺らいでいた。その運動は催眠的でもあれば美しくもあった。
水の性質と流体の運動に捧げられた長年の苦労がこの簡単な実験の背後にあるのは、私には火を見るよりも、明らかなことだった。私は、最初は生徒として、やがて同僚として、ウィルクスの水に関する疑問への積年のこだわりを知るようになったのだ。水―その透明の無垢は何物も隠さないにもかかわらず、その本質的性質は私達には神秘のままである、水という媒体。この記事で、ジョン・ウィルクスと私は、彼の独創的な探究の一部と、その探究の流れと、その結果得られた発見について、描写する苦心を重ねたのだった。
ジョン・ウィルクスは、テオドール・シュベンク(1910−1986)の仕事からフローフォーム・デザインの霊感を多くひきだした。西ドイツ流体科学研究所のシュベンクの下で、彼は学んだのだった。『感覚できる混沌』(邦題は『カオスの自然学』工作舎、1986年)で、シュベンクは、流れる水は「絶えず球の形態に戻ろうと努めている」と記している。静止した水は、水滴の完璧さでこの形態を採るが、運動中に球の形態は部分的にしか実現しない。渦はある意味で、球への「憧れ」だが、一瞬しか存在せず、混沌に返っていく。
川の蛇行は円環性への傾向のもう一つの実例として見ることが出来る。「円環を完結しようというその努力はここでは部分的にしか成功しない。川は出発点に逆流出来ないからだ。そう出来ないから、その循環運動の最初に水は下流に引き寄せながらも、この下降に従って両側に交互に揺れるのである。」ほぼ平野に至ると、川の蛇行は非常に強化されて、その弧が実際主流から弾き出されて、牛の角形の湖「三日月湖」を形成することもある。
ギリシア語の"maiandros"を語源とする"meander"すなわち蛇行は、右に左に律動的に揺れることであり、自然の最も調和した形態の一つとなる秩序だった左右の運動なのである。
蛇行の律動「リズム」は河川の個々の性質と切っても切り離せないものだ。広い渓谷で川は振幅の大きい曲線で揺れ、一方狭い渓谷では「もっと速い」律動「リズム」で左右に揺れるものだ。野原を流れる小川はたくさんの小さいためらいがちな蛇行を示すだけだ。流れとそれを取り巻く地形は必ず一心同体で、植生は両者を結び付け、生きた統一体にしている。それに比べて、人工的に直線にされた河川は、生気を失い荒涼として見える。それは、生きた自然のリズムと共に動く方法がもはや分からなくなった人々の魂の心象風景だと言える。フローフォームは、水が螺旋の渦を描いて律動的に動くことを可能にすることによって、水がダイナミックなポテンシャルを絶えず表現することを、許すのだ。(テオドール・シュベンク『カオスの自然学』)
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観察者であり芸術家でもあるウィルクスの努力は、水の話す言語を理解する事に、向けられて来た。彼に言わせると、水の語彙を理解し始めるには、適切な解釈能力を用いる必要があるのだ。水は決して単語を発さないが、運動という言語を話すからである。曲がりくねる流れで、落ちかかる雨滴で、まるくなる波で、震える滝で、逆巻く渦で、いつも同じ不可分の実質であり続けながらも、水は、あるとある形態に適応する絶えざる活発さと潜在能力を明らかにする。時に触れ、こうした形態は、まるで水が一種の生命と自分自身の意志を持っているかのように、驚くべき秩序を示すことがある。この特質は研究室の実験のほうが観察されやすいものだ。例えば、棒を浅い皿の中の静止した水の中に入れて、一直線を引き、運動を生み出すと、秩序だった一連の渦が現れ、減退し、消えて行く。このつかの間の一連の渦は、左右に交替する螺旋で出来ている。全体の形態は独立してはいるが一つに統合されている器官で構成された有機体に近似している。その変態の連続は、生物形態に見られる身振りに紛れもなく似ている。例えば、多くの草本植物の根元から花頂に至る葉の流れに紛れもなく似ている。脊柱の脊骨の連続的変態に紛れもなく似ている。
西ドイツのヘリシュリートにある流体科学研究所で、テオドール・シュベンクとジョージ・アダムスの研究助手として働きながら、ジョン・ウィルクスは有機世界の形態と運動する水の形態の類似に思索をめぐらせた。多くの形成諸力は流体の性質であると、彼は観察出来た。例えば、多くの有機組織は発展につれて、段階毎に、絶えざる変化をする。様々な変態を通して、底流には運動の連続性が、一種の潮流があるのだ。それ自体高度に粘性のある流体である粘土を素材とする芸術家として、ウィルクスは運動と形態を形作る過程に既に気付いていた。形態が現れるのは、こうした運動、この活動からなのである。ある意味で、形態は運動から生まれるのであって、単に量塊によって決定されるのではないのだ。生きた有機組織の領域の中に、彼は今や、恣意的な運動を通してではなく、正確で律動的な過程を通して生まれ維持されるものとして、形態を見るようになった。あらゆる生命形態の中には、リズムが存在している。動脈と静脈を流れる血液の拍動も、肺の収縮拡張の交替も、土中を掘り進む虫の蠕動運動も、浮遊するクラゲの拍動する傘のような体も、何もかもが、特定のリズムを表現しているのだ。この律動的運動現象の背後のどこかに、水の特質の秘密が隠されていると、ウィルクスは信じている。生きとし生けるものは皆水に依存しているという事実は、彼に、生命更新過程がその中で絶えず活動しているということを示唆しているのだ。もしそうでなければ、生命形態が、生命を維持する組織としてその機能を支えることは出来ないではないか。
シュベンクの観察した通り、律動的動きは多くの水の現象に顕著である。満ち潮引き潮。海岸に何度となく打ち寄せる波。蛇行する川の左右に相互に曲線を作るその様子。地球の水の循環もそうである。しかし、一連の渦を発生させる実験でも明らかなように、秩序だった形態はつかの間だけ存在し、すぐに消えてしまう。明らかに、水はほんの一瞬しか自分自身の内に秩序だった形態を創造するその潜在能力を呈示できない。そして詩人ノヴァーリスが「感覚できる混沌」と呼んだ状態に返ってしまう。ご承知のように、シュベンクが流体運動に関する著作の原題として選び出したのが『感覚できる混沌』なのである。自然の状態では、混沌から内的秩序を創造する水の性質は、制御された実験の場合より遥かに不明瞭である。ウィルクスは考えた。秩序だった変態の過程を表すその能力を水が実現出来るような一連の形態をデザインする事は可能なのだろうか。ウィルクスが「変態器官」と呼ぶものを水のために芸術的に創造することは可能なのだろうか。そんな一連の形態が出来るとしたら、それは水の性質に内在するように見える秩序だった運動に対する繊細な潜在可能性を物質的にも表現出来るものなのではなかろうか。
水に対する2つの罪 |
| 私達が水に対して犯した2つの大罪を挙げよう。まず人間だけの便宜のために川を直線で流そうとする試みである。最大有効性を得るためにしろ、重力を利用してタービンを駆動させるためにしてもである。第二に、私達は水に廃棄物を投げ込んでその重荷を増やしている。廃棄物は当然、水の質とその流れる能力を変化させてしまう。こうして私達は、水平垂直、両方向で水を悪用している。いずれの場合も、水の生命維持能力は減退する。
産業革命以前に、水の主な機能は生命過程の支持だった。今やその主な機能は科学技術に奉仕することである。水自身の動く能力はほぼ完全に無視されている。自然の循環は律動的運動の要素としてその力を啓示しているというのにである。 ジョン・ウィルクス |
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| アシンメトリーの蛇行の中で自然に動く水のありさまを図式的に描いたもの。(左上) 蛇行する境界が鏡のように反映しているシンメトリーの水路を流れる水がどのような影響を受けるかを示したもの。(左中) 水を満たすに比例する単独のフローフォーム水盤内の螺旋運動の展開。(右) |
はっきりとした問い掛けとなったのは、こうした形態はどんなものなのだろうか、という事だった。ここでも又ウィルクスは自然に手掛かりを求めた。自由に流れる水はどんな種類の一貫した秩序もシンメトリーもめったに示さない。混沌とアシンメトリー[左右不均整]が原則なのである。ところが生きた有機組織の体液の中で、水は、言わば、シンメトリーの状態に高昇[上昇]され、秩序とリズムが優勢となる。主な液体要素である、血液、リンパ、その他の体液となって、水は明瞭なリズムを持って絶えず循環している。絶えざる運動状態にあるとは言え、それでも水は、生きた有機組織で内的になると「シンメトリーの担い手」となれるのだ。しかし、無機的な左右不均整の水流が同じようにシンメトリーに「高昇」されうるのだろうか。然り。その境界を鏡のように対照させることによって。川や、フロントガラスを流れ落ちる雨を見ると、流れ動く水は、右に左に揺れて蛇行するコースを辿るのを見ることが出来る。そのように、なだらかな勾配の場所に、ウィルクスは中心軸の両側が左右対称となった蛇行する壁面をもった水路を作った。蛇行する壁面は相互に、外側に曲線を描いて、次いで、引き絞られて、狭い開口部を形成するようにされた。流水量は勾配を案配し、入水量を調整することによって、決定された。
水が左右対称となった水路を流れるとき、ウィルクスは彼にとって驚異的なものが生起しているのを観察した。水路のある部分で、水がある部分から次の部分へと流れるとき一瞬のためらいがあるように、開口部は正確な比率で形成されていた。もしも開口部が広すぎたら、水は抵抗を受けずに流れ過ぎて行ってしまったろう。もし狭すぎれば、水路はあふれてしまったであろう。予期に反した水のためらいは、水路の側面の空洞部の中へと、相互に右に左に逸脱する流れを引き起こした。更に、個々の空洞部で、水は渦を巻いた。全体としての運動は、8の字、一方では時計回りに、もう一方では時計と逆回りにまわる螺旋になった。左と右の回転する動きはこうして一つの律動運動に統合された。これは後にウィルクスによって「蛇行する渦」と名付けられた。水路の内表面の相互関係によって導き出されたこの律動的動きは、出水口から拍動して滝のようにほとばしり出る水を観察しても、明瞭であった。規則的で律動的な拍動は、ウィルクスに、自分自身の血の拍動を[血の騒ぐのを]思い起こさせ、この設備の中の水は「豊かないのちを与えられた」、言い換えると、生命有機組織の循環に類似した運動と拍動の状態を生じさせられている、という印象をさらに強めたのだった。このようにして、経験観察に基づく研究と僥倖という恩寵によって、フローフォーム・メソッドー蛇行する渦を誘発する形態製作の特許法ーは、1970年の始めに発見されたのだった。 水路の製作はやがて一連の独立した器へと発展した。各々の器は本来の実験的水路の部分部分に対応していた。器はカスケードを形成するように勾配をもって配置されるのが普通である。新たな実験を通して、シンメトリーの状態は弛緩させても、震動する螺旋の流れを失う事はないと、ウィルクスは発見した。しかし、器の比率はフローフォームが機能するためには正確である必要があった。入水口と出水口の位置と形、その間の距離、傾斜、個々の器の形といったパラメーターの決定は、経験的に試行錯誤でなされねばならなかった。数えきれない調整、粘土の除去や増補、再形成、再構成、実験、再実験が、特徴的螺旋の流れを生み出す形態に到達するには、必要であった。ウィルクスが特定の形態が導く運動に最終的に満足した時、あらゆる細部に亙って注意深く仕上げられていたのだった。完成とともに、耐久性のあるファイバーグラスの型が作られ、そこからフローフォームは繰り返し作られるようになった。
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現在までに、数え切れぬほどのフローフォーム・デザインが生み出され、様々な素材で作られ、(その多くはコンクリートか再構成された石で出来ているが、)両手の指で数え切れないヨーロッパ諸国の景観、庭園、学校の美的要素として切っても切り放せないものになっている。ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカ、カナダ、アメリカ合衆国にも設置されている。初期の型は、ウィルクスとその共同者によってイギリスで製作されたが、今日では、他の数カ国でも型が生産されている。ウィルクスは個人的に多くのフローフォームの設置を監督し続けているが、彼が指導した人々は独立して研究、形態のデザイン、生産を始めている。
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最初、デザインは、単独の左右均整の形態を連続して繰り返したもので、出来ていた。しかし、70年の中期に、異なるサイズと形の形態を組み入れる連続形態が開発された。そうしたカスケードの一つである、ストックホルムの「アカラ」モデルは、子供のレクリエーション施設の岩盤の勾配に設置され、3つのサイズの形態で出来ているが、固定された順序ではなく幾つかの組み合わせで、使われている。ロンドンの「オリンピア」カスケードには、一組のフローフォームがデザインされて、螺旋運動の連続的発展を実証している。アムステルダムのネーデルランド・ミッデンスタンズ・銀行本部では、40メートル以上の緩やかな勾配の手すりに、小ぶりの形態が使われている。建物の中を循環する水は湿度を調整する助けとなり、美意識を高め、屋内の植物に酸素化した水分を供給している。フローフォーム・デザインの新しい技術革新は、水が中央の穴を通って上昇し、3組の空洞部に流れ込み、3つの流動する螺旋運動を発生させる事の出来る円い彫刻である。実例はイギリス、サセックスの健康クリニックの待合い室の外に見ることが出来る。同じ理念を大規模に展開したものが、アムステルダムの「フロリアーデ」国際園芸博覧会会場の恒久設備の基盤となった。
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特殊な凸面の底を持つフローフォームが子供達のために製作されている。水は中央の4つ葉のクローバーの凹面に集められていて、彫刻の上に立って前後に揺れる子供が、一人か二人で、回すことが出来るようになっている。このフローフォームは自閉症の子供に、治療目的で利用出来る。自閉症の子供は、お互いに面と向かって、支えるために手を差し延べて相手をぐっとつかみ、下の水面に8の字形態を生み出すために、お互いの運動を協調しなければならないのだ。視覚的、触覚的、聴覚的刺激として、フローフォームはあらゆる年代の子供を楽しませています。
ウィルクスは、フローフォームの実証する種類の美的影響は私達が水に対する意識と良心を再び目覚めさせるのに、切実な重要性を持っていると信じている。新たな方法で、フローフォームは私達の周囲にある生命力としての水に関心を集めることが出来るのだ。
美的アピールに加えて、フローフォームは生態学的応用の可能性も秘めていると言えよう。事実、シュベンク、アダムス、ウィルクスの最初の研究は、地球規模で脅威にさらされている資源である地球の水の質に対する懸念が動機となったのだ。ウィルクスの努力の陰には、水の生命維持能力は律動的運動を通して生み出し得るのか発見したいという願いがある。ウィルクスは、もし自由に動くことが許されるなら、川は自浄能力と生命更新力を持っているという事実を指摘している。彼はこう問い掛ける。フローフォームの生み出す拍動し蛇行する渦は水の質を高めることが出来るのだろうか。
予備研究によって、フローフォーム処理された水は高度に酸素を含みそれゆえに廃水処理に期待が持てると分かった。この潜在能力はスウェーデンのイエルナの二百人ほどの大学共同体にとって現実となった。元来の生物学的水処理施設に不満であった共同体は、実用的かつ芸術的解決を求めて、フローフォームを採用した。設置は1973年に始まり、特別活発な律動運動を生み出すために特殊なデザインの器が使われた。
現在、3基のフローフォーム・カスケードが、各々が特定の湿地生態系を示している、つまり藻類の溜まり場から葦場までの4つの池と連動して、イエルナでは作動している。処理水中の大腸菌群の発生が公共水泳に許可される公式基準を遥かに下回っているばかりか、施設全体が共同体の公園であり鳥たちのサンクチュアリとして役立ってもいるのだ。幾つかの類似の設備がノルウェーの複数の小さな共同体で作動している。合衆国では、あるグループが廃水処理のためにフローフォームを葦場に組み入れる可能性を探求している。
フローフォームは実際どのようにして水の質に影響を及ぼすのか。必要な研究資金は厳しい条件にあるが、地道な探究が始まっている。カークアベザートにあるオランダ農業大学、ワルモンデルホフの研究者達は、フローフォーム処理した水の生命維持能力を、単純な階段状のカスケードを流れる水の生命維持能力と比較した。汚染水は平行したカスケードを通って分配され、そこから分離した池と水路施設に流れ込む形になっている。現在までのところ、いずれのカスケードも水浄化能力によい成果を示している。4年に亙る化学分析も、2つの処理法の間に、水浄化に関する一貫した差異を発見していない。ただし、2つのカスケードから来た水中での植物成長は、際立った差異を示している。階段状のカスケードの水は、植物の成長に、特に、葉の成長に、刺激を与え、川の陰った穏やかな底流の富栄養の部分に似ている。フローフォームの導く荒々しい運動は、比較するともっと活力に溢れた、言い換えると開花に代表される植物発展を、支える力を与え、河川上流の貧栄養の部分の光のよくあたる開かれた早瀬に類似している。換言すると、フローフォームを通過する水の活力を受けた律動運動は、生態学的に、より生命の本質に迫る状況を生み出す。さらに、段状カスケードの池の巨視的動物相の構成は、より暗い生息地を好む、その生命循環に羽のある段階を含む種類に、例えばカ、ブヨなどの小虫類に、偏っている。フローフォームと連結した池は完全に水性生活循環を持つ巨視的動物相を、例えば、上流の水中と水辺によく見られる甲殻類とミズダニを支持する傾向がある。 水の浄化の潜在的可能性に加えて、フローフォームは貯水処理と運搬、潅漑、脱塩化、調剤、その他の用途に希望が持たれている。農業施設への応用と、回遊魚の魚梯(魚が堰、ダムなどを上れるようにした階段状の魚道)としての応用も、検討されている。
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ジョン・ウィルクスの現在のプロジェクトは、地球の水圏状況の律動[リズム]を鏡のように反映するフローフォームである。彼の芸術家としての目には、水圏循環は2つの身振りで現れる。収縮と拡散。雲と降雨と川の支流の合流は、地球に水をもたらす収縮運動の一部である。川の蛇行は循環の心臓部を形成している。そして、デルタ地帯と川が注ぎ込む海と蒸発は、拡散の身振りで水を大気に再び解放する。 この映像は7つの水盤で構成されるカスケードの製作に霊感を吹き込んだ。それぞれの水盤の入水口は狭く、それに対し水盤の主要部分は拡張し、運動の自由を保証している。最後にすぼまって出口を形成している。ここでも7層のカスケードは3つのより小さな形態から始まり、そこでは重力が活発な運動を創造するのに強く作用している。もっと大きい、もっとひらべったい真ん中の水盤は重力に先の3つほど支配されていないので、水はゆっくりとしたリズムで周辺部に向かう外への運動の自由を示す。次の水盤の形態は漸進的にサイズが収縮し、リズムは再び加速される。
7層のカスケードを通して、螺旋の身振りは水盤を通る毎に変化する。一連の最初の水盤から最後の水盤に至るまで、螺旋の翼は流れの方向に向かってその軸を変化させ、一方、横断点は徐々に後ろへと移動していく。このことは、実際は面の運動であるものを線で描いた挿絵に見ることが出来る。こうして7層のフローフォームで、ウィルクスは、水に自然に内在する特質とリズムの幅広いスペクトルを、芸術的に再創造しようと努力している。
7層のカスケードはそこで活動しているリズム過程群を認知し、それらの関係を理解するために現在数学的に研究されている。各々の水盤は、一方から他方への流体の流れとなる揺れる律動だけではなく、二次的、三次的リズムをも導くのだ。水のレベルは水盤の中で上昇下降を繰り返している。水はそれぞれで律動的拍動状態にある。例えば、人間有機組織が、脈拍と呼吸の間に4対1の律動関係を体現している、ちょうどそのように、フローフォームもその生み出す様々なリズム間の特定の関係に生命を与えるように作り出すことが出来ると、ウィルクスは言う。水盤の中のリズムと水盤間のリズムはこうして調整調和され、まさしく運動のシンフォニーが創造出来るのだ。こうした動きは水の生命維持能力を高めることが出来るのだろうか。もしそうなら、リズムのどんな配合が廃水処理の必要に最も適切なのだろうか。こうした疑問を代表とする問い掛けへの解答はさらなる研究を待っている。フローフォームの発見と主要な発達の場合と同様に、探究の道は、芸術的熟練と、科学的明晰さと正確さを伴う洞察を、結合するものであろう。
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ぎっしり詰まった研究と旅行とコンサルタントのスケジュールを縫って、ジョン・ウィルクスは今でも彼の雑然としたフローフォーム・スタジオで新しい学生集団を導く時間をさいている。静かな声で、ウィルクスは水と形態について語り続ける。ポンプが動き出して水が水盤をわたって循環し始めたら、その後は、フローフォームが自分の物語を、自分自身の言葉で、運動の言語で、話し出す。見ていた者は、私自身がそうであったように、人間の創造性がどれほど自然の法則と調和して働き、芸術的全体性の内に形態と機能を結び付けられるのか、この目で確かに目撃したという霊感にうたれて、そこから出て来ると、私は想像を紡ぎ出すのだ。
マーク・リーグナーはストーニーブルックのニューヨーク州立大学で生態学と進化論で博士号を受け、イギリスのエマーソン・カレッジで生物学を教えた。彼の生物形態学に関する論文が、オライオン("Orion")の1985年秋と1986年夏の号に掲載されている。ジョン・ウイルクスは、彫刻家、教師であり、エマーソン・カレッジのフローフォーム研究グループの創始者である。
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