8月の下旬に、児山弥香さんのJ2農場を初めて訪問した。開墾入植当時から、一度見に来てくれとせがまれていたから、約束を果たすのにずいぶんと手間取ったわけだ。もう7,8年になるだろうか。
児山弥香さんは、ぽっこわぱ農場が千葉から熊本に引っ越した頃から農業と関わりを持ってきた。だから私が初めて会ったのも、ぽっこわぱだった。その後、彼女はイタリアのバイオダイナミック農場で長期にわたって働き、BDのノウハウを身につけてきた。そして帰国後に、非常な努力で資金をためて就農に成功したのである。
永年積み重ねた努力の結果、J2ブランドは地元で認知されて、有機農産物を扱うお店や漬け物業者から信頼も厚いという。
ただし、児山さんご本人は自分の農業実践がオーガニック農業の実践にすぎないと思われるのははなはだ不満である。実際、今回訪問するきっかけになった電話で、彼女は「バイオダイナミック農業は単なる有機農業ではないよね。子どもや心身に障害がある人たちも参加できる場だよね」と私に言った。また、障害者施設の関係者が見学に来ることもあるそうだ。
開墾当初からずっとバイオダイナミック調合剤を使ってきた。立派な心がけである。最近は少し怠っていると児山さんは正直に言った。それにしても、無農薬、無化学肥料で農場をやっているのだ。立派な有機農場である。それだけでも立派なのに、彼女の理想はもっと高いのである。
さて、愛知県の山あいにあるJ2農場を訪問するために、当日私は早朝に起床せざるを得なかった。埼玉から寝ぼけ眼で東京駅新幹線ホームにたどり着くと、8時過ぎだというのに、すでに多くの人たちが列車を待っている。
名古屋まで行ってしまうと、そこから引き返すしかないので、豊橋に停まるこだま号を選んだのだが、この鈍行こだま号に乗る人たちもやはり、大変多いのである。考えてみれば、清水や豊橋など、ひかりやのぞみが停まらない駅に停車するから、1本の新幹線を満員にするくらいの利用者は当然期待できるということなのだろう。
JR西日本の鈍行こだまは新幹線初期の車両と言いたいような、重々しく、乗り心地の悪い車両だったが、そんなこともなかった。しごく快適に東海道新幹線の旅を楽しんだ。残念ながら曇っていて、富士山を仰ぎ見ることは出来なかったが。
ぼんやりとしているうちに、豊橋に着いた。8時30分ごろに東京駅を出て、11時半頃には着いていたから、新幹線の鈍行でも意外に速いのだなと感動した。
豊橋からローカル線に乗り換えて、岡崎を目指した。電車は東西に走っていて、南側にははるかに海が見え隠れする。北側には山なみが見える。線路の両側には田んぼが続き、線路と平行するかのように、用水路がたっぷりと水を湛えて流れている。山と海が近い印象だが、かなり自然も残っているのではないだろうか? 時々コサギの姿が見えた。空を飛んだり、田で餌を探していた。だから、フナやドジョウの小動物やザリガニなども残っているのだろう。浦和の見沼の田んぼの辺りも昔は、サギの大群が営巣していたらしい。10年近く前なら、夜道を帰るとき、用水路の柵に妖しげな姿があって、ハッとすることが何度かあった。夜間に体を休めているサギの姿だった。用水路が整備されて、住宅が増えて、都市化が進むにつれて、サギを見かける機会も減ってしまったが、まだ皆無というわけではない。
そうこうするうちに、JR岡崎駅に着いた。ファクスで知らせてあるので、出迎えが来ているはずだと思ったが、改札口に姿は見えない。わざわざ児山さんは迎えに来るというのだ。それではと、高架の駅の南口の公衆電話から彼女の携帯電話に連絡を入れると、すでに来ていて、出口で待っているという。それならと、北口の階段を下りるとタクシーばかりで、それらしい姿がない。もしかしたらと思い、南口に引き返すと、いました、待っていました。ということは、お互い、大きな声を出せばその声が聞こえるような距離で、電話機に向かっていたわけだ。
本当に久しぶりの顔合わせだ。私は、はじめて岡崎に来たので、徳川家康ゆかりの地を観光したかったのだが、有無を言うまもなく、車は農場のある下山村に向かって発進した。
弥香さんは大変元気に、運転席に座っている。この車のおかげで、産品の発送が出来るようになったという。車はしばらく、西に向かって大きな道路を進んでいた。 大きな橋も渡った。そのうち、勾配のある道に入って、くねくねと登り始めた。車窓の右側には小さな川が流れている。この川はその他の支流と合流して、ふもとの大きな川に注いでいるのだろう。
徳川家ゆかりの神社があったりする。平地の辺りに生えているのはおおむね松だった。これは土地が痩せているせいだ。登るにつれて、杉が増えてきた。それも、意外とよく管理された姿だった。平行する川には、上流から運ばれてきた大きな石が見える。
愛知の辺りの地層がどのようになっているのか、私は知らないが、北のほうに盛りあがった巨岩が、南からの海の浸食と北からの寒冷な風雪によって、風化されている過程にあるような印象が残った。
この印象は、埼玉の長瀞の辺りの地形とも違うし、さいたま辺りのべたっとした平野とも違う。尾道辺りの地形とも違う。もっと巨大な、もっと原初の感覚がよみがえる思いがする。
あちこちに大きな石を転がした石屋さんがあった。それだけでなく、地元の古い農家はこうした大きな石で、石垣を組んでその上に家を建てている。その石組みを車窓から眺めるのは興味深かった。このような石組みはそれ自体で文化だ。それにいい加減な積み方ではないのだ。巧妙に組み合わされている印象がある。たぶん明治、それ以前にまでさかのぼる家が多いのではなかろうか?
児山さんに訊いてみると、やはりそうだ。
「この一帯はいい石が出るので、芸術家の人たちが住み着いている」
そうなのだ。豊田市にも岡崎市にも近いこの山あいの地は、御影石、つまり、立派な花崗岩の産地なのだ。
この続きは次回に書きましょう。
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