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6月29日
夜半に降った雨で外の道はまだぬれていた。雨のために気温が下がり大変気持ちよい感じだったが、グアダラハラの人たちには寒いと感じるらしく、厚手のコートを羽織っている人すらいた。朝ご飯を食べにCafe Madrid に出かけた。Cafe Madridは昔ながらの喫茶店という風情のカフェだ。家具類は長い年月を経て多少くたびれてはいるが、店の人がいつもきれいにしているのが伺える。サーバーは白いコートを着て、黒い蝶ネクタイをしめていてきびきびと働いている。ここのカフェ・コン・レチェは非常に美味しい。カフェ・コン・レチェというのはエスプレッソに泡立てた熱いコーヒーを加えたもので、要はスペインで供されるカフェ・ラッテである。メキシコではこの手のコーヒーはポピュラーではない。むしろネスカフェにお湯が一般的だ。それからパン・ドゥルセを頼んだ。菓子パンの詰め合わせで、いろいろなパンがバスケットに入れられて供される。食べた数だけ支払う計算である。
カフェを出るとツーリストオフィスに向かった。グアダラハラの近郊にあるトラケパケというところで、フェアが行われており、この週末が最後だったので、情報を得ようと思ったからである。グアダラハラの地図をもらい、トラケパケへの行き方を聞いた。Turというバスの706系統に乗っていけばよいということであった。トラケパケとその先にあるトナラはグアダラハラ近郊の手工芸品・家具・グラス工芸品の産地として有名なところだ。実際はトラケパケはアトリエとかギャラリーが多く、工場はトナラ近郊が多いらしい。トナラは木曜日と日曜日に市場を開き、グアダラハラ市民を多く集める。トラケパケはギャラリー散策と、のんびりとしたお昼ご飯を食べる場所としてやはりグアダラハラ市民が出かけるところなのだそうだ。
9月16日通りからTurバスに乗った。他のローカルバスと違って、Turバスは若干値段が高いかわりに、(普通のバスが3.5ペソでTurバスが6ペソなので倍近いとはいえたかが知れているが)ヘッドレストには布がかかり、いすは布張りで、エアコンが効いていて、そしてなんとMP3のプレーヤーとソニーのテレビが搭載されているのである。当然のお約束として、降車するまでバンダやセレナータといったメキシコの演歌を延々と聞くことになる。
ほとんどの人が降りないので、なんとなくそのまま乗っていたら、トラケパケという文字の変わりにトナラという文字を見るようになってきた。
「あ、乗り過ごしたなぁ」
と確信したのはトナラの工芸品工場が見え出してきた所であった。乗るバスの情報は得たが、降りる場所は人が降りるからわかるだろうと思っていたのが甘かった。
結局ほとんどの乗客はトナラのマーケット目当てであったのだ。狭い通路に数え切れない程の露天商が軒を連ね、グアダラハラ市民を待ち受けていた。呼び込みもないが、値下げも応じないようだった。4年前にも訪れたことがあったのだが、そのときより若干露天の数が減っていた気がした。トラケパケのフェアに出張しているのかも知れないと思った。それでも、数時間彷徨えるぐらいの露天が通路を埋めていた。ここに来るたびに
「メキシコ風に家を模様替えしようかなぁ」
という誘惑に駆られるのだが、
「結局帰るとやらないんだよなぁ」
と考えて結局何も買わずに帰ってきた。今度は心を定めてほしい物を考えてから来ようと(「一体次っていつだよ?」という質問はさておき)考えた。
おなかが空いてきたが、トナラでは「食べたい」と思うようなレストランにめぐり合えなかった。かといって、数々ある屋台のタコスやエンチラーダ、トスタダスに挑戦するにはまだ滞在日数が浅かった。
「ここでおなかを壊しても困るしなぁ」
と、理性が本能に勝ち、結局屋台で衣のかかったナッツを買うにとどめた。(ちなみにこの衣の掛かったピーナッツは、「和風ピーナッツ」と呼ばれている。)ピーナッツをぽりぽりとつまみながら帰りのバスを待つ。そして行きと同じようにTurバスに乗り込んで帰路についた。
今度は道路標識をきちんと確認する。
「おぉ、ここでまっすぐ行くとトラケパケかぁ」
と見るが後の祭りではあった。でもトナラも活気があって楽しかった。
「これ買っちゃおうかなぁ」
と誘惑にもう少しで乗りそうになることもしばしばであった。
セントロに戻ってきて本当にお昼ご飯を食べることにした。探して歩くのも面倒だったので全国チェーン店のSanbornsに入り、ミラネサ・エンパニサダを頼んだ。ミラネサ・エンパニサダというのは薄いとんかつである。これにお好みのサルサをつけて食べる。
おなかも張ったので、グアダラハラ観光の目玉「プラザめぐり」に出かけることしにた。グアダラハラには二つの巨大な尖塔を戴くカテドラルがある。このカテドラルの形がグアダラハラのシンボルでいろいろなところでこの尖塔の形をイメージしたデザインを目にする。このカテドラルの西にあるプラサ・デ・ロス・ラウレレスに始まって、東へカテドラル、プラサ・デ・ラ・リベラシオン、そして、バレ・フォルクロリコが行われるテアトロ・デゴイジャド、プラサ・タパティアと続く。この辺りは総合して超巨大広場となっているのだ。この辺りでは一日中様々なアクティビティが展開されている。日陰を求めて座っている人たち、数々ある靴磨きスタンド、ベンチの人を相手に商売するポテトチップスなどをのスナックを売る人や恋人たちにバラを売る人、噴水には子供たちがたむろして、所々に大道芸人が通行人を集める。夕暮れにはコンサートも行われるし、記念写真のポラロイドを撮る人もいる。ついでに言うと、馬車も観光客を待っている。
しかし、今回の注目はなんと言っても、PANという政党に所属するエミリオ・ゴンザレス氏の選挙応援大会であった。統一地方選を1週間後に控え、街は選挙一色であった。ポスターが掲げられるところは間違いなく数々のポスターがはためき(こちらのポスターはプラスチックでできた幟である)数々の車には応援する政治家のステッカーが貼られていた。その数は本当におびただしかった。そして、この日曜日プラサ・デ・ラ・リベラシオンではPANのエミリオ氏の選挙デモンストレーションが行われていたという訳であった。選挙活動といっても日本の絶叫「お願いしま〜す」とは明らかに一線を画していた。音楽がDNAに入っているグアダラハラの人たちをひきつけるにはまずは音楽である。バンドがステージに上がり、選挙とは関係ない愛の歌を数々披露する。人々は政党のロゴやエミリオ氏の名前の入った旗を打ち振っている。愛の歌にあわせて、自分達だけの世界に入って、熱いダンスをしている人たちまでいた。
「これはハリスコ・スタジアムの応援と変わらないなぁ」
と思ったら、あに図らんやチバスの旗を振っている人もいた。政党のボランティアの人たちが政党名の入ったステッカーを人々の洋服に貼り付ける。なぜエミリオ氏が選ばれなければならないのかといった数々のチラシが配られる。真剣には違いないのだが、あくまで陽気で楽しいお祭りなのだった。クライマックスは花火大会だったようだ。(既に部屋にいたので見なかったけれど、非常に近くで花火の爆音を聞いた。)
部屋に戻りPeople + Artsというチャンネルで日本のドキュメンタリーが放映されていたので、しばらく見ていた。青少年を取り巻くゆがんだ環境をとりあげたもので、日本語の番組にスペイン語の字幕をつけたものだった。
「『疲れた』という言葉はいまや大人の言葉ではありません。様々な受験や友達関係のプレッシャーから、青少年達は本当に疲れているのです」
そうテレビは語っていた。大多数の人たちが中流から上というみんなが幸せになるはずの社会が実現されたのに、どうして我々は幸せになれないのだろう?それとも、幸せなのに「不幸」と考えたい我々がいるのだろうか?メキシコの人たちがこの番組を見て何を思うだろうか?そんな思いが次々と浮かんでは消えていった。
テレビを消して、Catcher in the ryeの続きを読み始めた。この物語も物質的には恵まれたホールデン青年がちっとも精神的には幸せと感じられない独白から物語が始まる。退学処分になり、最後の学校での一日、寒い中震えながらなんとか出かけていった歴史の先生の所で相当ひどい試験の答えを大声で読み上げられる。本人だってどれぐらいひどいかは認識している。だから読み上げられるのはたまらない。
「私は君を助けたいと思っているんだよ」
そういう歴史の老教師と彼の間の溝は老教師の言葉と裏腹にあまりに深く埋め様がない。日本のドキュメンタリーに出てくる青少年とCatcher in the ryeのこのホールデン青年の悩みはどこかでつながっているように思えた。
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