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2002年旅行記

2001年分はこちらからどうぞ
メキシコシティーケレタロ(8月30日〜9月3日)
モンテレイ (12月25日〜1月1日)
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月30日

かつて海外旅行をするときは「時差ぼけ対策」といって、よく徹夜をしたものだった。荷物のパックが済んでいないとか、出かける前にごみを片付けないといけないとか、まぁそういうしょうもない理由でうだうだと起きていて、成田エクスプレスで爆睡。それから飛行機でもぼ〜っと過ごすという具合だ。

今回のメキシコ行き、実は時差は全くない。単に南下するだけだから。だから、今までの理由を考えたら徹夜なんてする必要は全くないというよりむしろ、「きちんと寝たほうがいい」のだった。ところが、前夜になっても相変わらず荷物のパックは済んでないし、出かけるまえにごみを片付けないといけないとか、出かけている間のビデオの予約をしないといけないとかいろいろあって、ベッドにもぐりこんだのは2時を回っていた。

そして、6時半。私は空港にいた。すなわち非常に寝不足だったのだ。そして後にこの寝不足を非常に後悔することになるのだが、この時点では知る由もなかった。空港のラウンジのソファに体を沈めて、美味しくないコーヒーをすすり、「指差し」のメキシコ編を眺めていた。

テキサスのヒューストンで乗り換え。ガラガラのメキシコシティ行きは、機内食のお昼ご飯を食べている間にあっという間に国境を越えて、メキシコシティに到着した。出発から到着まで飛行機では何か食べていない間はうつらうつらしていたが、寝不足を解消するほどの深い眠りを得られる程のフライト時間はなかった。

「メキシコに来たな」と感じた最初の瞬間は空港のトイレだった。トイレに入ると、メンテナンスの係員が手を洗うスペースのそばに佇んでいた。もちろんアメリカだって、メンテナンスの係員に出会うことはあるが、彼らは大体「清掃作業中」で忙しく、出入りする人を一瞥する暇もない。ところが、メキシコのその係員は何をするでもなく出入りする人を「見ていた」。メキシコに来ると、この「見ている係」の人たちにいろんなところで出くわす。大概は彼らに何らかのサービスを少ししてもらって、チップをあげることになるのだけれど。

目があってドキッとし、いわゆる「トイレおばさん」かと思い、「チップあげないといけないのかな」と一瞬周りを見回した。しかし、誰もそうしているそぶりがないので、そのまま出てきた。

ATMでペソを得て、タクシーでホテルに向かう。空気の悪さは開け放たれた窓の外から入ってくる空気ではっきりわかる。タクシーは車線を自由自在に変えながらわずかな隙間を縫って快調に進んでいく。そのうちアンヘルの像が見えて来てZona Rosaのホテルに到着した。

その夜ほるへさんとウーゴ・ヨンチェスさんに美味しいメキシコ料理店に連れて行ってもらったのだがビールを半分程度飲んだだけで、急に貧血状態になり、気分が悪くなるのは時間の問題だった。寝不足にフライトの疲れ、そして標高という駄目押しで、ボールが転げ落ちるようだった。お二人には非常にご迷惑をお掛けして、早々にホテルへ戻るという「やれやれ」の初日になったのだった。

月31日

朝ほぼ復調したもののまだ完全ではなかった。メキシコサッカーを94年から応援している慶さんが、たまたま同じ時期にメキシコ入りしていらしたので、連絡をもらった。一緒に試合前にコヨアカンに出かけることにした。コヨアカンはメキシコシティの郊外にある。サン・アンヘルと並んで週末シティの人が都会の喧騒を離れて一息つきに来るところだ。街の中心のプラザには露天が建ち並び、雰囲気の良いレストランやカフェが並ぶ。

我々はフリダ・カーロの博物館に向かった。セントロからはあるいて5分程度のところにある。彼女が住んでいた家を保存して、彼女が生前着ていたドレスやアクセサリー、彼女の絵画やオブジェが飾られている。建物はコロニアル風な中庭のある青い建物だった。彼女の強烈な個性が発するオーラがまだ残っているのか、建物の中にいると、ほっとするというよりも緊張させられる感じがした。中庭に出ても、なんだか不思議なオブジェがそこここにあって、緑が安心感を与えると言うより、薄気味悪い感覚を一層強いものにしていた。慶さんが、「フリダ・カーロの眉毛と目を見ると、パレンシアと同系列だよなって思うんですよね」と言われたのが唯一笑いを誘う場面だった。確かに言われてみるとそのような。。。

博物館を後にした我々は、セントロのカフェでお茶をしながら、94年のワールドカップに活躍した選手の話をしたりしてひと時を過ごした。ベルナル、ガリンドそして、今でも活躍するスアレス、カンポス、ラモン・ラミレス。。。

時がたつのは早い。そして、メキシコ選手の選手生命はは案外長めだが、それでも短い。あっという間にベテランの域に達し、そしてフィールドを離れていく。

ソナ・ロサに戻ってきた我々はカンポス選手の経営するトルタやでお昼ご飯を食べることにした。メキシコで言うトルタは、長辺20cm程度短辺15cm程度の楕円のパンにいろいろな具をはさんだボリュームのあるサンドイッチだ。(ちなみにチリやアルゼンチンではトルタは日本でいうデザートのタルト)慶さんによるとカンポス選手はこのトルタやを6〜7軒持っているということだった。ソナ・ロサのそのトルタやはカウンター席が6つぐらい並ぶこじんまりとした店だった。壁にはカンポス選手のユニフォームやサッカーに関する写真などが飾ってある。店によって飾られているものはもちろん違うそうだ。我々は彼の名前を冠するトルタを注文した。2種類のチーズに、ハム、アボカド、鉄板で焼いた豚肉など様々なものが挟まったボリュームたっぷりのサンドイッチだった。

トルタでおなかを満たした我々は、ほるへさんとウーゴ・ヨンチェス氏に迎えにきていただいて、エスタディオ・アスルに向かった。

エスタディオ・アスルは闘牛場のプラサ・メヒコのお隣にある掘り込み式のスタジアムだ。飛行機がアメリカからメキシコシティの飛行場に入ってくるとき、右側に座っていると丁度その上空を通るので、円形のスタジアムが二つ並んでいるのが見える。エスタディオ・アスルは満員になると5万程度は入るそうだが、掘り込み式のため、外から見た高さはそれほど感じられない。沿道には露天商がユニフォームやらグッズやらを並べてファンを迎え入れていた。メキシコサッカー観戦は家族イベントだ。だから小さな子供たちがいっぱしのユニフォームに身を包んで、両親に手をひかれていたりする。クルス・アスルのマスコットはウサギなので、ウサギのぬいぐるみを抱えている子供たちも沢山いた。(早期洗脳教育ですね。そして気が付いたときには筋金入りのクルス・アスルのファンになっているというわけです)

我々が入る入り口は選手の入退場用の入り口と兼用で、ちょうどクルス・アスルのバスが到着したところだった。人々が仮設フェンスの向こう側にいる選手たちに声をかけていた。選手の入場が済んだ後、開門。おざなりなボディーチェックの後にスタンドに入った。

対戦相手が今シーズン上がってきたサン・ルイスということもあって、予想されたことだが人出はそれほど多くなかった。(ま、そういう相手をなめられる程、クルス・アスルも強くはないんだけど)旗を持ってスタジアムを一周するスポンサーご提供の「ペプシのおねえさん」も「ソルのおねえさん」もいなかった。破壊的に統制の取れていないチアガールがピッチの上で音楽に合わせて(いたつもりだろう)ぽんぽんを振っていた。

テコスの試合でも思ったけれど、この統制のないチアガールは一体どのような根拠で選ばれて、誰が訓練しているのだろう?選手や関係者のご子息がボールボーイをやっていることが多い様なので、チアガールはさしずめ選手やクラブ関係者のご令嬢が選ばれて試合に華を添えているのか?年齢も身長もばらばらで、当然動きもばらばらである。いずれにしても、どうせやるならきちんとトレーニングしてほしい(苦笑)。

ともあれ、試合が始まった。クルス・アスルのメンバーは水曜日にプレプレリベルタドーレス杯を戦ったスターティングメンバーと同じだった。今回はオソリオ選手を左サイドに使い、ブラウン選手をセンターに起用していた。右サイドはアンヘレス選手で変更なかった。前回はオソリオ選手をセンターに、ブラウン選手を左サイドに使っていたのだ。この選手の起用方法は実は苦肉の策である。本来アルマゲルというセンターの選手がいたのだ。今期は彼を中心に構想していた関係上、ポジションでかち合うペルー人のレイノソ選手をネカクサに放出していた。ところがアルマゲル選手との契約が決裂。結局彼はトルコのガラタサライに移籍してしまい、ディフェンスをまとめる経験ある選手がいなくなってしまったのだ。

守備的な中盤にはホセ・エルナンデス選手とトマス・カンポス選手を右左に使い、その前方張り出したところにミゲル・セペダ選手を右に、フリオ・セサール・ピニェイロ選手を左。そして1.5列目の中央にアルゼンチンのメッセラ選手、攻撃にウルグアイのアブレウ選手とパレンシア選手というメンバーだった。

アウェーのサン・ルイスはアメリカとアフィリエートの関係にある。言ってみれば「弟分」のようなチームだ。1部にあがってきたことで、大幅にメンバーを増強して新シーズンを迎えたわけだけれど、メンバーのほとんどが元アメリカや元ネカクサで、「弟分」という関係を如実に表していた。外国人勢はチリ人のカルテス選手、ペルーのカサルテリ選手、ブラジルのデ・ファリアス選手がおり、彼ら3選手が中盤および攻撃の要所に配置されているという具合だった。

クルス・アスルはプレプレリベルタドーレス杯と同じメンバーではあったが、試合の内容は「別チームですか?」と言うようなお寒い展開だった。殊に前方の攻撃陣アブレウ、パレンシア、メッセラの3選手の動きが少なく、サン・ルイスのディフェンダー、モンテス・デ・オカ選手やミリアム選手がファウル覚悟の徹底マンマークをしていたので、ほとんど仕事をさせてもらうことができなかった。サン・ルイスとて組織だった攻撃が展開できるほど洗練されたチームではなかったが、守備の選手たちがクルス・アスルの攻撃陣を抑え込み、攻撃は手数をかけないでカウンターアタックといった様子だった。だからボールの支配率からいったら、前に進まずもたもた中盤でボールをまわしていたクルス・アスルの方が高かったに違いない。しかし、前方へ出せないのでゴールに結び付けられそうな「予感」のかけらもなかった。。。

自分が応援しているチームなのだが、クルス・アスルというチームはここしばらく「根性」を見せてくれたことがない。1999年のリーグ戦、それに続くリベルタドーレス杯(2年前になる)、それまでがピークであった。それ以降は、前半に3点ぐらい取っておかないと後半息切れし逆転されるとか、1点とったら後は試合を壊す方向で守りに固まるとかいう面白くないことをする。また、相手に先制されたらまず追いつくということができないでいる。たまにいい試合をしても、次には「どうしてそう冴えないのかなぁ」と思うような試合をする。安定感がないのだ。

リベルタドーレス杯直後は「リベルタドーレス杯の疲れからフィジカルを調整する暇がなかった」という言い訳がまことしやかに使われていた。ところが、去年リベルタドーレス杯に参加したモレリアやアメリカはその後も好調なので、その言い訳がやはり「言い訳でしかなかった」ということが、露見してしまっている。シーズン前から、選手たちの不協和音が響いている一方、選手たち自らは「クルス・アスルは偉大なクラブ」という発言が出ていて、「偉大なクラブだったら偉大な選手らしくプレーしてくれよぉ」と思わずにはいられない。

隣りで見ていたウーゴ・ヨンチェスさんには、前半終了後に「ここできりあげてアメリカvsネカクサ見ましょう」とクルス・アスルファンのほるへさんと私をいじめるようにちくりと提案された。実は、私が「アメリカvsネカクサも後半だけでも見たいなぁ」とわがままを言っていたので、「前半の調子次第で切り上げてアステカ行きますか」という話もなくはなかったのである。それを受けてのヨンチェスさんの発言であった。
「これは、クルス・アスル散々攻めながら得点できず、ちょっとしたミスから失点してドツボにはまるというパターンですぜ?」
とヨンチェスさんはこの試合を見切っていた。それなら、そろそろ移動して、アステカに行きましょうという提案であった。私だって「言われなくてもそうなる」という予感は既に前半の途中からしていたのである。しかし、私にとっては、試合を早く切り上げる条件は、「クルス・アスルが3点ぐらいで勝ち越して、これなら後半どんなに崩れても勝ち逃げられるという」ものであった。だから、この提案は理性では理解できても、「そうですね」と言うわけにはいかなかった。ほるへさんも「これでは切り上げられませんよ。」と、この先のクルス・アスルの展開が気になるという気持ちであった。

試合開始時点では晴れ間が出ていて暑かったが、にわかに雲が沸いてきてハーフタイムには雨が降り出した。メキシコシティは夏が雨季にあたり、毎日大体夕立がやってくる。人々はそそくさとレインコートやビニールがっぱを取り出して、雨の支度をする。

後半全くフリーにさせてもらえなかったアブレウ選手とメッセラ選手を下げて、カチョ選手と レデスマ選手が投入された。しかし、展開は相変わらずであった。多少は「点を取らなくちゃ」という気合が入っていたような気がするが、見ているほうの気のせいであろう。。。

そうしているうちに、恐れていた予言が実現となった。ちょっとしたミスからサン・ルイスに点を取られてしまったのである。静まり返るスタジアム。「やっぱりね」であった。

それからスタジアムは「フエラ・トレホ(トレホ監督引っ込め)」のチャントが試合終了後まで続いた。そして試合が終わった後もチームバスを取り囲んだファンが「フエラ・トレホ」のチャントを続けていた。


試合終了後我々は情けない濡れウサギであった。激しく降りつけた雨がジャケットを通り越しシャツをびっしょりと濡らしていた。試合前に購入したポロシャツに着替えて(思わぬところで役にたった)、テレビの見られるレストランに移動した。

アメリカvsネカクサの前半終了間際でアメリカが2−0とリードしていた。試合を少し見てウーゴ・ヨンチェスさんが「だから切り上げてこっちを見ましょうって言ったじゃないですか。少なくともこっちのほうが動きがあって面白いサッカーしてますよ」とコメントされた。「確かにおっしゃるのはごもっともです」とは答えたが、あの時帰れたか?と聞かれたら、やはりほるへさんも私も「帰れなかった」。「ほぼ見込みなし。あるいは失点でどつぼにはまるパターン」とは明らかに予想できたが(笑)、そこで見捨ててアメリカとネカクサのサッカーを鑑賞するわけには行かなかったのである。

「サッカーを普遍的に愛してますからね、私は何処のチームがお気に入りとかはありません。やはり代表ですよね」というウーゴ・ヨンチェス氏と、「クルス・アスルがいいサッカーしてくれれば勝ち負けは2の次ですね。」というほるへさん、「クルス・アスルがすばらしい展開で勝てたらそれに越したことはないけれど、どんなに間抜けな展開でも勝ってくれればとりあえずいいや」という私。3人の立場は異なるが、みんなサッカーが好きということには変わりない。

アメリカとネカクサは後半ネカクサが執念の1ゴールを決めたが引き分けに持ち込むまでには至らなかった。我々は試合終了とともに店を後にした。

ホテルまで送ってもらった後、部屋でテレビをつけたら9時から始まったアトラスとUNAMを放送していた。前半終了間際で2−0とアトラスが勝ち越していた。この試合結局UNAMが二人退場を出し、アトラスを止める術を失い、6−0という屈辱的な得点差でUNAMが敗れた。ホームのアトラスのファンは本当にうれしそうで、ボール回しに「オレ!」の掛け声も晴れ晴れとしていた。UNAMには熱心なファンがいて、アトラスのハリスコスタジアムにも駆けつけていて最初のうちは応援の声も聞こえていたが、その声も後半には聞くことができなくなっていた。グアダラハラまでメキシコシティから駆けつけて6−0の試合を見せ付けられたら、やるせないに違いない。。。後日談になるが、アトラスが好調だったのはこれが最後だった。その後はまるでメサ監督時代の代表を見ているような冴えない試合が続き、結局メサ監督は退陣して元サントスのキラルテ監督が采配をふるうようになる。でも、それはまだこの時点では先の話だ。