ゼルダの伝説 夢幻の砂時計
今年の正月帰省中は、もっぱらDSでゼルダ三昧でした。同じく帰省中だった妹が「DSのドラクエIVやるから」ってんで、余ったゼルダを貸してもらったのが事の発端。おかげさまでゲームしすぎで親に怒られました。ゲームしすぎて親に怒られたのなんて何年ぶりだろうなぁ。しかし、ここで言いたいのはその「小学生並みの怒られっぷり」ではない。それぐらいこのゲームは良くできている!ということなのです。「どうせDSだから、スピンオフ的な位置づけでしょ」と多少ナメていたのを開発者の人に謝りたいぐらい良くできている。ごめんなさい任天堂の人。今まで、それこそディスクシステムの時代からいろんなゼルダをやってきた。そんなゼルダラバー(ゼルダを愛する人、の意)の自分から見て、数ある歴代のゼルダの中でも、好感度ランキングのかなり上位にランクイン。これを作った人は、相当のゼルダラバーである。もともとゼルダというゲームは、歴史が長いだけあって、暗黙の了解ともいうべき「ゼルダだったら満たすべきお約束」みたいのが、ある。ニワトリを持って高いところから飛び降りると、、、みたいな、今までのシリーズ通して共通している細かなルール。今作も、そういった細かなお約束をことごとく満たしている点で、ゼルダ的な完成度は高い。それだけでもファンとしては充分な気もしますが、今作に一番感心したのはそういった「ゼルダっぽさ」ではない。それ以外の今作を特徴づけている2つの新しい要素、タッチペンのみで操作できる点と、ペンでマップに直接メモを取れる点である。これが実にいい。「ゼルダっぽさ」というのは、どんなに新作を遊んでも「ああ、ゼルダだなぁ」という安心感を得られる反面、ともすればマンネリにつながりかねない諸刃の剣であった。「ああ、この謎は例のアレね」という既視感。それが今回、このタッチペンだけで操作、という新鮮さが加わった事で「謎の答えはわかったけど、操作に慣れていないため解けない」という状況が生まれた。ゼルダに慣れていなかった頃にリセットされた感覚、とでもいいましょうか。これは「ユーザインターフェイスを変えることによって新鮮さを取り戻す」というWiiやDSのコンセプトが実にうまくハマった好例と言える。それ以外にも、タッチペンでのみ操作できるということについては、開発段階でそれを志したところがエライ。タッチペンだけでできるゼルダ、というのはコンセプトは明快ながら、実現に困難がともなうだろうということは容易に想像できる。結果的には、前転がしにくいということ以外は、ほとんど違和感がなかった。今までボタンを押して剣を振っていたという事実を忘れそうなくらい、タッチペンでなでて剣を振るのに慣れてしまった。ブーメランなどのサブアイテムも、すべてペンで操作できる。よくここまで仕上げたな、と感心する。DSのマリオカートも良作ではあったが、操作性は今までのマリオカートを踏襲していた。新しい試みに果敢に挑戦した、という点では、こちらのゼルダに軍配があがるのではないでしょうか?(操作の類似性という点では、ここに辿り着く前にどうぶつの森
が一枚絡んでそう、という気はする)もうひとつの特徴である、ペンで直接マップに好き勝手な事をメモれる、というのは、ゼルダの基本が謎解きゲームである事を考えれば、相性が抜群であることは言うまでもない。これがあるおかげで、今までよりも謎を解くのが楽になり、さらに攻略本に頼るわけではないので「自分でやったった感」が損なわれることがない。任天堂製ではないが、世界樹の迷宮
というゲームでもペンによる書き込みができ、かつてウィザードリィを嗜んだオールドファンに好評だったと聞く。単純ながら、いいアイディアだと思う。DSのゲームは、今後「ペンでメモれる機能」を標準搭載すべきだ。ゲームとしての完成度の高さもさることながら、これらのユーザフレンドリーな操作性をふまえると、今までのゼルダの中では初心者にやさしい、限りなく敷居の低いゼルダであることは間違いない。しかし、今作をもってしても、途中で投げ出した妹などを鑑みるに、やっぱり「万人にウケるゼルダ」というのは難しいのだなぁ、と考えさせられたのであった。ゼルダの伝説 夢幻の砂時計
Posted: 日 - 1月 27, 2008 at 10:40 午後