つげ義春「無能の人・日の戯れ」
毎日、家と会社の往復だと、だんだん世の中の厚さだとか凹凸が感じられなくなる。デジタルな感覚になる。何年か前に、なんの意味もなく平日に休みを取ったことを思い出した。公園をぶらぶらしたり、デパートのベンチに座ったりして、人間観察をした。そういった意味のない観察をすることによってアナログさを取り戻す事ができた。のんびりして癒された、というだけではない。道を行き交う人たちの日常生活に潜む閉塞感なども受け取った。つげ義春の漫画には、平日に意味もなく休みを取った時のような気だるさが充満している。主人公のまわりは非常に閉じている。そして、その閉じた世界には見覚えがある。家の中で家族とだけ一緒に休日を過ごしていると、世間から隔離されたような空間ができあがる。誰もが経験したことのある空気。その経験が醸し出す既視感によって、自分、他人、日本中といった順に無数に閉じた世界があることを想像でき、そうすると日本全国の厚みが増したような気になってくる。ミクロがマクロを想起させる。表題作の「無能の人」は、主人公が多摩川の河原で石売りをしている。これからは、電車の窓から多摩川を眺めたり、土手を散歩するたびに、この漫画の主人公を連想するんだろうな。古物商の中田さんを主人公が訪ね、コーヒーを出される。「砂糖はいくつにしますか?」という問いに対して「5つほど」と答える主人公。そこで「5つかよ!」という突っ込みはいらない。普通に話が進む。その流れがこの漫画の真髄ではなかろうか。そんな場面がゴロゴロと多摩川の石のように出てくる。ニートという単語を使うかわりに「無能の人」と言うのはどうかな。ニュースキャスターが「最近、無能の人が増加して問題となっていますが、、、、」みたいな。つげ義春「無能の人・日の戯れ」
Posted: 日 - 2月 18, 2007 at 11:24 午後