ジェンダー概念には、大まかにわけて、「性別の権力関係」「アイデンティティ・主体の構成要素」という2つの系譜についての意味を擁するとされる(舘1998)。1)「性別の権力関係」: 社会的性役割や身体のとらえ方など文化によって作り出された性別・性差。男女を優劣・上下・一般/特殊などと階層性を持った二分法で分けることが特徴。
2)「アイデンティティ・主体の構成要素」: 自分の性別をどのようにとらえるかというアイデンティや主体の構成要素。二分法で割り切れるかというと男性性と女性性の両方を併せ持つ場合もある。また、民族、世代、セクシュアリティなどのアイデンティとも交差している。
ただ、スコットやバトラーらのポスト構造主義ジェンダー概念は、ディスコース(discourse)概念を経由してマクロのジェンダー権力性とミクロのジェンダー・アイデンティティを統合する方向に向かっているのではないだろうか。
2004年7月14日 : 私のサイトを訪問される方のうち、「ジェンダー」や「ジェンダー論」というキーワードで検索される方が大変多い。今、ジェンダーについての関心が高まっているのだろうか。それに関連して、『女性展望』7月号でも「『ジェンダー・フリー』バッシングをめぐって」という特集が組まれ、名取はにわ、古橋源六郎、目黒依子、縫田よう子氏が座談会で議論している。
男女共同参画社会基本法では、最終的に「ジェンダー」という用語は盛り込まれていない。それにもかかわらず、保守派は「ジェンダー・フリー」というジェンダー概念を取り上げ、批判の対象とするタクティックスをとった。 保守派によるこのズラしが巧妙なのは、「性差別」を外して議論している点である。
ジェンダー概念でもっとも重要なのは、「性の差異化とその権力作用」という側面であろう。 しかし、「ジェンダー・フリー」を持ち出し批判する保守派は、「性差意識」を批判しているのである。重要な「性差別」も「男女平等」も批判しているわけではない。
「性差別」「性別役割分業」「性差意識」はそれぞれ異なる概念である。 私だって他から価値観を押しつけられるのはいやだ。避けたい。どんないい価値観でも法律や決まりとしておしつけられるのはご免被りたい。そう考えると、ジェンダー・フリー」批判として、性差に関する価値意識だけを問題にしている議論を批判するのはゆきすぎではないだろうか。
もちろん、男女共同参画社会基本法は、「性差意識」ではなく、「性差別」を問題にしている。それを各自治体や市民が受容する際に生じた微妙なズレを集中的に衝かれているということなのだろう。そのずれの部分に大きな注意を払っていきたい。
7月25日: -7月14日にミシガンの山口さんから、「ジェンダーとメディア・ブログ」での私の書き込みに対して以下のようなコメントをもらいました。>> 「「基本法」自体、やっぱり議論がないままに通ってしまったのも問題だったよなあと今更ながらに思います。とくに前文、「一方、少子高齢化の進展、国内経済活動の成熟化等我が国の社会経済情勢の急速な変化に対応していく上で、男女が、互いにその人権を尊重しつつ責任も分かち合い、性別にかかわりなく、その個性と能力を十分に発揮することができる男女共同参画社会の実現は、緊要な課題となっている。」ってのからいうと、「性差別」解消が本当の目的ではないのか、、?って感じがしちゃって。この基本法自体の甘さがあって、「ジェンダーフリー」あるいは「性差意識」のほうに議論が流れてしまう土壌を作る一要因になったという気がします。」 <<
なお、山口智美さんのブログはここ:婦人科についてやミスコンについて、「ああそうだよね」という書き込みがあります。
-現在、性差別をめぐる議論が「ジェンダー・フリー」という性差意識をめぐる議論へとずらされているというわたしの危機意識を書いたことへのコメントでした。基本法自体議論もなく、その前文からして、少子高齢化対策として策定された感が強いというものです。確かに、基本法にはそういう面があります。それを元にもっと後ろに引っ張っていこうとする保守派の主張に、どうやって対応すべきか、それが現在の課題でしょうか。それとも、保守派ばかりが頑張っているように見える私たちのめがねの方をずらせばいいのでしょうか。
- 地元の高岡市で条例づくりに関わった時には、策定委員は「性差別」の解消にこだわっていました。「性差別」や「男女平等」というコトバを条文に入れること、それを具体的に改善していけるための施策を入れること・・・などです。どこまでそれが実際の状況を改善するものになったか、できるかは今後の運用にもかかっていると思っています。なお、 高岡市の条例はここ各課ホームページ>企画調整部>男女平等・国際交流課>男女平等推進条例へ-ジェンダーという語は、条例づくりでは保守派からの反発があるからということで入りませんでした。各地でもそういう流れが強いのかもしれません。その点から言うと、最近「ジェンダー」はアカデミアでのコトバとして定着しているのかもしれません。私のサイトに「ジェンダー」で検索してこられる方も大学からが多いようですし。
-今後は、「性差別」と「ジェンダー」とのつながりをうまくつけていくことも求められているのかなと思ったりします。どうでしょうか。関心のある方は、 ジェンダーとメディア・ブログでも議論していますのでご覧下さい。