SAITO Yoshihisa’s Archives H2004AS
 
 
 
無私なる祈りこそ危機を克服する
 
──宮内庁長官「苦言」騒動に思う
 
 
 
 
 
「ご参内の回数が増えていない。実行を伴っていただきたい」
 
 宮内庁長官が、平成20年2月中旬の定例会見で、皇太子殿下に「苦言」を呈しました。これに対して殿下は、10日後のお誕生日会見で、「家族内のプライベートな事柄なので」と述べ、多くを語られませんでした。
 
 長官の「苦言」が異例なら、殿下の「プライベート」発言も衝撃です。「天皇に私なし」こそ皇室の大原則だからです。
 
 発端は一昨年(平成18年)の暮れ、天皇陛下のお誕生日会見とされます。陛下は皇太子妃殿下のオランダご静養に関する質問に「よかった」と評価されたあと、「残念なことは愛子が私どもと会うことが少ないことです」と述べられたのでした。
 
 2カ月後のお誕生日会見で、殿下は「陛下の愛子に対するお気持ちを大切に受け止めて、お会いする機会を作っていきたい」と答えられました。
 
 ここまでは記者会の求めに応じて、私的な質問に私的なレベルで回答されただけのことですが、それでは済みませんでした。長官は昨秋以降、何度も殿下に直接、改善を申し入れたようです。会見後も殿下の参内は増えず、逆に「年に2、3回程度」に減ったからです。
 
「発言されたからには実行を」。長官は批判を覚悟のうえで発言したといいます。その背後には陛下のお思いがあることは明白で、「陛下と殿下の亀裂が深まり、対話が成立しがたくなっている」「どん詰まりまで来た」との悲観論もあります。
 
 しかし「苦言」騒動はけっして皇室内部の問題ではありません。というのも、騒動を招いた重要な要素として、マスコミの挑発・誘導という外的側面を見落とすことはできないからです。
 
 
◇不作法なメディア
 
 ふり返ってみると、発端とされている天皇会見は、前年までとかなり様相が異なっていました。以前は第1問は「1年のご感想」と決まっていましたが、この年は悠仁親王ご誕生に始まり、陛下の私的なお気持ちを聞き出そうという意図が強く感じられる、遠慮のない質問が投げかけられました。
 
 殿下の会見も同様で、無遠慮なプライバシー暴きのスタイルが続いています。
 
 殿下は12年にも「プライバシー」発言をされています。前年暮れに一般紙が妃殿下の「懐妊の兆候」をスクープしました。しかし残念なことに妃殿下は流産されます。4週目という不安定な時期を十分に配慮しないメディアの「勇み足」報道の結果と指摘されます。
 
 殿下は会見で「医学的な診断が下る前の非常に不確かな段階で報道され、個人のプライバシーの領域であること、事実でないことが大々的に報道されたことはまことに遺憾」と述べられました。
 
 けれどもマスコミの姿勢は変わりません。いわゆる「人格否定発言」の翌年、17年は皇位継承問題など厳しい質問が突きつけられ、18年以降はまるで女性週刊誌の見出しを見るかのような会見に様変わりしています。
 
 それでも殿下はつとめて大所高所に立った話をされようとしています。たとえば昨年(平成19年)の会見の第1問は恒例の「1年の回顧」ですが、記者の質問は悠仁親王のご誕生、皇位継承などに回答が誘導されているのに対して、殿下は自然災害や教育問題などを語られました。
 
 昨年暮れから宮内庁はメディアへの抗議や反論などをネット上で公開するようになりましたが、誤報・虚報は続いています。一面的な情報のリークも変わらず、妃殿下のご病状に関する誤解の拡大も止みません。妃殿下を追い詰めた勇み足報道の教訓が生かされるどころか、長官みずからメディアの力を借りることになったのが今回の騒動です。
 
 一方、メディアは高見の見物を決め込んでいます。かつてご懐妊をスクープした新聞は「穏やかな日々が戻ることを長い目で見守っていきたい」と善意の第三者を装う社説を掲げています。
 
「(殿下は)心身の不調に悩む雅子さまを守り続けるだけで精いっぱいなのかも知れない」という言い種は、みずからの報道の責任についてあまりに無関心で、むしろ確信犯的に騒動を楽しんでいるかのようにさえ聞こえます。
 
 
◇皇室の苦悩と葛藤
 
 歯向かう者のためにさえ祈るのが天皇ですが、こうしたメディアの不作法を「プライベート」というメディア用語でしのいでいるのが殿下のお立場でしょう。
 
 一見、公と私を峻別する欧米風の考えに染まられているかのような印象を与え、「殿下は妻の心の病だけに振り回されている」「国民に目が向けられていない」「伝えられているのはマイホームパパばかり」という批判も聞かれますが、そうではありません。
 
 事実、殿下は国民のために絶対無私の祈りを捧げることこそ祭祀王たる天皇第一のお務めであることを十分に理解され、「皇室として大切なのは、国民と心をともにし、苦楽をともにすることで、時代を超えて受け継がれてきている」と会見で再三、表明されています。
 
 かつて皇室には乳人制度があり、お子様をお手元でお育てになることをしませんでした。天皇は肉親の葬列に加わることもされませんでした。このような一見、温かみのない慣例は、「私なき天皇」というお立場に由来します。「姓」を持たず、私的な「家」であることを否定したところに皇室の存在意義があります。
 
 しかしいまの皇室にとって厳しいのは、それとは相矛盾する私的価値をも追求しなければならないことです。最初に母乳で子育てをされたのは香淳皇后であり、昭和天皇は母君・貞明皇后の葬列に加わられる新例を開かれました。
 
 ご結婚のとき「雅子さんのことは僕が一生全力でお守りします」と語られたという殿下は、良き夫、良き父親になろうとし、良き家庭を築こうとされておられるようです。家庭の崩壊が指摘される現代において、東宮が社会の模範となることは大いに価値がありますが、療養中の妃殿下を気遣われ、マイホームを志向されればされるほど、皇室の伝統的価値から遠ざかっていくことにならないかという危惧は否定できません。
 
 陛下のご心配はそこにあるのではないでしょうか。陛下ご自身、お手元で子育てをされたご経験がおありであるだけに、そして老境にあって、やはり療養中の身であられるだけに、ご心配が募るのでは、と拝察します。
 
 現代の皇室の苦悩と葛藤には胸が痛むばかりですが、危機を克服するカギはやはり「私なき天皇」の祭祀にこそあるでしょう。なぜなら皇位は皇祖神の神意に基づくものであり、絶対無私なる祭祀の厳修なくして皇位は成り立たないからです。無私の祈りが軽視され、形骸化するとき、日本は統合の要を失います。
 
 
註記 この記事は日本政策研究センター発行「明日への選択」平成20年4月号に掲載された拙文を少し修正したものです。(2008年5月)
 
 
 
 
 
 
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