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コロンブスは英雄か、それとも犯罪者か
───カトリックの世界布教戦略が招いた悲劇
10月の第二月曜日は、アメリカでは「コロンブスの日」です。1492年10月12日、イタリア人の探検家クリストファー・コロンブスが「新大陸」を「発見」したというので、この日が祝日と定められています。
官公庁や銀行、学校は休みで、ニューヨーク5番街などでは華やかなパレードが繰り広げられます。11月のサンクスギビング・デー(感謝祭)や7月の独立記念日の賑わいにはほど遠く、ほとんど行事らしい行事のない地方もありますが、他方、中米では近年、コロンブスの「裁判」「処刑」など、激しい抗議活動が展開されています。
ヨーロッパ人にとっては「新大陸の発見」は新たな希望の幕開けですが、先住民にとっては植民地支配、先住民抑圧という暗黒の歴史の始まりでした。平和が破られ、身の毛もよだつような虐殺、婦女暴行、侵略、奴隷貿易、文化破壊など、先住民が怒りをあらわにせざるを得ない悲劇が引き起こされたのです。
コロンブスは偉大な英雄なのか、それとも犯罪者なのか。悲劇をもたらした大航海事業の背後には何があるのでしょうか。
◇コロンブスを「処刑」する先住民
◇「1200万人以上が殺害された」
平成10年10月中旬、日本の新聞各紙はコロンブスに対するアメリカ先住民の抗議行動について、いっせいに報道しました。
中米ホンジュラスの首都テグシガルパでは、国会前広場に約千人の先住民が集まってコロンブスを被告とする模擬裁判を開き、虐殺や略奪などの罪状で死刑を宣告したあと、コロンブスの肖像に矢を突き刺し、「処刑」したといいます。
メキシコでも学生や労働者など約三千人がコロンブスの航海を実現させたスペインに対して強く抗議し、先住民900万人の人権擁護を政府に要求してデモ行進した、と伝えられました。
手錠をかけられたコロンブスの巨大な肖像画を掲げて行進する先住民たちの写真を掲載した新聞もありました。
これはどうもただごとではありません。コロンブスの航海後、アメリカでは具体的に何が起こったのでしょうか。
その問いに答えてくれるのが、岩波文庫に収められている『インディアスの破壊についての簡潔な報告』というカトリックの司祭ラス・カサスのリポートです。
インディアスというのはスペイン人が発見、征服した地域の当時の総称で、いまの西インド諸島および南北アメリカの一部を指します。新大陸探検に参加し、先住民インディオのキリスト教化に従事したラス・カサスはそこで人類史上まれな驚くべき、そして戦慄すべき出来事を目撃したのです。
ラス・カサス司祭はこう書いています。
───コロンブスの「インディアス発見」後、侵入したスペイン人キリスト教徒は残虐きわまりない手口でひたすらインディオを切り刻み、殺害し、苦しめ、拷問し、破壊へと追いやった。その結果、300万人のインディオが暮らしていたエスパニョーラ島(いまのハイチ、ドミニカ)にはたった200人しかいない。豊かですばらしかったキューバ島、プエルトリコ、バハマ諸島は人がいなくなり、荒廃し、見る影もない。
この40年間。キリスト教徒の暴虐的で極悪無惨な所業のために1200万人以上が殺害されたのはたしかである。いや1500万人以上が犠牲になったといっても間違いではない。キリスト教徒たちの目的はただただ黄金を手に入れるためであった。手っ取り早く財を築き、身分不相応な高い地位に就こうとしたのである。インディア矢は無抵抗で、それどころかキリスト教徒を天から来た人たちと考えていたが、キリスト教徒は彼らを広場に落ちている糞か、それ以下のものとしか考えていなかった。
キリスト教徒たちは女や子供を奪って使役し、虐待し、なけなしの食糧を強奪した。ある司令官はエスパニョーラ島で最大の権勢を誇る王の妃を強姦した。子羊の群れを追うように村人たちをことごとく捕らえ、腹を引き裂き、乳飲み子の頭を岩にたたきつけ、川に突き落とした。キリストと十二使徒を称えるためだと称して、13人ずつ絞首台につるし、生きたまま火あぶりにした。山へ逃げ込んだインディオは犬に追わせ、食い殺させた。先住民が反抗し、キリスト教徒を殺害すれば、その仕返しは百倍になって返ってきた。
この直視に耐えない血なまぐさい惨劇をラス・カサスがスペイン王カルロス一世に報告したとき、一同茫然自失したというのは、あながち嘘ではないでしょう。
◇侵略殺戮の背後に教皇の存在
◇世界2分割を認めた教皇文書
コロンブスの航海とその後の悲劇はなぜ引き起こされたのでしょうか。浮かび上がってくるのは間違いなく、中世ヨーロッパ・キリスト教世界に君臨するローマ教皇の存在です。
大航海事業が教皇のお墨付きで推進されたというばかりではありません。教皇は先住民の奴隷化を認めたほか、キリスト教徒に対して征服戦争への参加を呼びかけ、参加・協力した者には贖宥(免債)その他の精神的恩賞を与えたのでした。
優れたキリシタン研究で知られる慶応大学の高瀬弘一郎教授によれば、15、16世紀、ポルトガル、スペインによる大航海事業はローマ教皇が発布する教皇文書が重要な役割を果たし、しかも教皇の決定はキリスト教王国に対して強い精神的拘束力を持っていました。かたやポルトガル国王もスペイン諸侯も自分たちの海外発展事業を正当化し、鼓吹するために教皇に対して精神的支援を求め、かたや教皇はカトリックの強制拡大のために明確な援助を与えたのでした。
当時の歴史を振り返ってみると、スペインでカトリック国王の統治が始まるのは1474年ですが、同時に5年後に結ばれたアルカソヴァス条約で両国は発見地の領有、航海権を2分割することで合意します。
この条約はポルトガルにとっては、教皇ニコラウス五世およびカリストゥス三世の大勅書によって認められたアフリカからインドにいたる地域を領有し、航海や貿易、キリスト教布教などの事業を独占的に展開する特権をあらためて確認させることとなりました。
大航海事業ははじめポルトガルが先行し、スペインが大きく立ち後れていました。それを同等の位置にまで引き上げたのが、まさにスペインのイザベラ女王の支援で展開されたコロンブスの新大陸航海です。
最初の航海から帰還したコロンブスは、まずポルトガル国王ジョアン二世に謁見しました。国王は発見された島々はポルトガル領であると主張しましたが、コロンブスはそうではないと反論しています。コロンブス帰国のニュースを耳にしたスペイン国王が新発見地の領有の承認を教皇に求めたのは当然ですが、他方、ポルトガル国王はスペイン国王に大西洋上のカナリア諸島以北をスペイン領、以南をポルトガル領とする案を提起しました。スペイン国王はこの提案をあしらいつつ、ローマに使者を送り、北極から南極に線を引いて地球を両国で二分する解決案を示し、承認するよう求めました。
その結果、発布されたのが教皇アレキサンドル六世の大勅書で、これによって従来アフリカの地についてポルトガル国王に与えられた特権が新発見地についてスペイン国王に許されるとともに、両国による世界の2分割、いわゆるデマルカシオンがはっきりと設定されたのです(高瀬『キリシタン時代の研究』岩波書店、1977年)。
カトリック国であるスペイン・ポルトガル両国による世界支配をローマ教皇が認め、勧奨したとすれば、キリスト教徒が新大陸への侵略や先住民の殺戮を先を争って繰り広げたとしても何ら不思議ではありません。
◇抽象的な異教世界破壊の告白
◇過度に強調された戦前の迫害
カトリック教会は近年、みずからの非を認めることに熱心ですが、異教世界を侵略し、異教徒を殺戮し異教文明を破壊したことへの悔い改めは十分なのでしょうか。
ミレニアム2000年の平成12年3月、ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世は「謝罪のミサ」を行い、過去二千年にわたる教会の過ちを認めましたが、そのなかの「愛と平和、諸民族の人々の権利と、彼らの文化と宗教に対する尊厳に反する行為の中で犯した罪」という「告白」はあまりにも抽象的すぎます。
もっと不可解なのは、みずから戦略的に展開した異教徒迫害を棚に上げて、比べものにならない自分たちが被った「受難」を日本のキリスト教指導者たちが過度に強調していることです。
例の「神の国」騒動の折、カトリック正義と平和協議会は「森総理の発言は国民主権、政教分離の原則を定めた日本国憲法を否定するものであり、皇国史観に基づく大日本帝国憲法そのものだ」として、森総理宛の抗議声明を発表しています。
他方、プロテスタントの日本キリスト教議会は、「日本が神格天皇の絶対支配のもとにアジア・太平洋地域の侵略と加害を繰り返した歴史認識を欠いている」などとした抗議文を採択し、首相に提出したといいます。
キリスト者の天皇批判、神道批判はむろん戦前・戦中の「受難」の記憶と結びついています。
たとえば昭和13年の大阪憲兵隊事件で、「わが天皇とキリスト教の関係」など13カ条の質問を突きつけられ、チャペルに神宮大麻(伊勢神宮のお札)をまつるよう求められたことが「受難」とされています。
ところが、神戸女学院などでは「教会堂では葬式も行うが、それでもよいか」と質問すると、大麻奉斎は沙汰やみになったばかりではなく、特高課長と副院長の間に個人的関係が生まれた、と『神戸女学院百年史』(神戸女学院、1976年)に書いてあります。憲兵隊の行為は明らかに「行き過ぎ」でしょうが、「事件」はその程度でした。
津地鎮祭訴訟最高裁判決や愛媛玉串料訴訟最高裁判決には、「わが国では国家神道に対し、事実上、国教的な地位が与えられ、それに対する信仰が要請され、一部の宗教団体に対し、厳しい迫害が加えられた」と書かれています。
津地鎮祭訴訟判決時の最高裁長官・藤林益三氏は、熱心な無教会のクリスチャンで、「とにかく日本は戦争を起こしたのです。これには軍国主義と神社神道とが手を結んだことに大なる原因があります」(藤林益三著作集3『法律家の知恵─法・信仰・自伝』東京布井出版、1984年)という考えの持ち主でした。
戦時中はキリスト教受難の代表例とされる「浅見仙作事件」(キリストの再臨を国体否定の内容と知りながら布教したとして治安維持法違反に問われた)の上告審で弁護人を務めていた藤林氏は、この裁判に関して戦争末期の交通事情の悪いときにわざわざ厳冬の北海道にまで足を運び、証人調べを行い、無罪判決を下した三宅裁判長を「立派な裁判官」と絶賛しています。しかし天皇の名において行われた旧憲法下の裁判が戦時体制下でさえ十分に機能していたことの評価については言及がありません。
日本のカトリック教会の指導者は「侵略戦争」への荷担を懺悔することにいかにも熱心です。昭和61年、白柳誠一・日本司教協議会会長は「戦争責任の告白」を表明して、「アジア・太平洋地域の2000万を超える人々の死に責任をもっている」とさえ述べました。戦後50年の平成7年には日本カトリック司教団は「平和への決意」を、正義と平和協議会は「新しい出発のために」を発表しました。
しかし、異教徒・異文明に対する侵略と殺戮への真摯な自己批判を前提としないカトリック教会の指導者たちの「戦争責任」論は、不公正で、バランスを欠いているといわざるを得ません。
追記 この記事は宗教専門紙「神社新報」平成12年9月11日号に掲載された拙文を少し修正したものです。(2007年6月)
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