SAITO Yoshihisa’s Archives H0801ST
「そば打ち」に縄文人の血が騒ぐ
──熟年男性に爆発的ブーム
キッコーマンの創業家いわゆる造家(ぞうか)のひとつである茂木七左衛門家(茂木本家)では、正月に雑煮を食べない、と聞きます。千葉県野田市の自宅で12代当主ほか一族が集まって囲むハレの御膳は、年越しそばならぬ朔日(ついたち)そば。「始祖婦人の辛苦を偲び」というのが理由だそうですが、意外にもこれが日本の伝統的な食文化でもあります。
遠く日本人の祖先は、新年は1月の満月の晩、日没とともに明ける、と考えていた、と民俗学者はいいます。いま大晦日にそば切りを食べる習慣は、かつては正月の御膳のひとつでした。人々は潔斎(けっさい)のうえ、自宅または神社に年籠もりして歳神(としがみ)の訪れを待ちました。いまでいう大晦日の夕食が本来のオセチで、神人共食の儀礼によって年をひとつ重ねたのです。
かつては粒のまま食べたり、粉にひいてそばがきやそば餅にしました。近世以降、そばといえばそば切りを指すようになります。年越しそばはそば切りでキリよく行く年を締め、来る年を迎えるという「江戸の粋(いき)」です。芭蕉は「俳諧とそばは江戸の水にあう」といいましたが、江戸文化のそば打ちが近年、とくに中高年男性の間で爆発的なブームとなっています。
□「手打ち体験」に数万人が押し寄せる
ひと昔前まで秘伝とされた技術が気軽に学べるようになったことが、ブームの背景にはあります。東京・西新宿の朝日カルチャーセンターは、平成5年春から手打ちそば公開講座を開いています。毎回満員の盛況だそうです。受講生は料理教室とほとんど無縁だった40〜50年代のサラリーマンが半数以上。講師自身がもとはデパート社員で、趣味が高じて先生になったというのがブームを象徴しています。
「そばと坊主は田舎がよい」というぐらいで、そばをテーマにした町おこしは少なくありません。岩手県花巻市の「わんこそば大会」、東京都調布市の「深大寺そばまつり」、兵庫県出石町の「出石桜まつり」など、18市町村でイベントが開かれています(日本麺類業団体連合会調べ)。郷土そばは打ち方や食べ方に個性があり、町おこしには打ってつけなのでしょう。人気はやはりそば打ち体験です。
そばの本場、長野県戸隠村では平成4年4月、「戸隠そば博物館とんくるりん」を開館しました。小学生から80歳の老人まで、全国から年間じつに10万人が押し寄せます。地元のそば打ち名人の指導を受けて、戸隠連峰の麓でとれる霧下そばの粉とプロの道具で伝統的なそば打ちを体験したのは、のべ6万5000人というから驚きます。
福島県山都町は6年4月、「飯豊とそばの里センター」をオープンしました。その中心施設がそば資料館です。一軒のそば屋もなかった山奥の寒村に3万人が訪れ、1万人が手打ちを楽しみました。そば好きの男性が首都圏からもやってきて、熱湯をつなぎに生粉(きこ)をこねます。「やってみると面白いですからネ、すっかりハマってしまって、10回以上も通ってくる人もいます」とは資料館の担当者の言葉です。
プロのそば職人を養成する学校にもアマチュアの受講生が増えています。静岡県伊東市の一茶庵手打ち教室代表・片倉秀晴氏は、「名の通った大企業の経営者や病院の勤務医などが習いに来る。最近は主婦の受講生が多い」と語ります。
当然、手打ちそばに関する出版も目立って増えています。料理書出版の老舗・柴田書店の編集者は「昭和50年代に手打ちを看板にするそば屋のブームがあったが、ここ1年はプロとアマの双方で手打ち志向が進んでいる」。単行本のほかにグルメ・ガイド、雑誌、教習ビデオがかなりの売れ行きらしい。「道具やそば粉の入手法について照会の電話が編集部に寄せられる」。そば打ち道具をあつかう厨房用品店では「木鉢やそば切り包丁などを買い求める一般のお客さんが増えた」といいます。
すっかりのめり込んでしまった人たちもけっこういます。そのひとり京王百貨店社長の川村六郎氏は、わんこそばで有名な岩手の生まれ。50を過ぎて調理師免許を取得したほどの料理好きだが、「本物のそばを出す店が少ない」と5年前からそば打ちを始め、自宅の庭に専用の小屋まで建てたそうです。家族だけでなく、近所の人に振る舞うのが楽しみのようです。
前国税庁長官の寺村信行氏は、友達に勧められて、3、4年前からそば打ちを始めたといいます。「はじめは私が打つと逃げ出していた子供たちがこの頃は『うまいネ』と誉めてくれる」。夫人によると、「そばを打つときは何日も前から鰹節でダシを取る」というから、かなりの懲りようで、「粉を自分でひくようになると病気」といいつつ、じつは石臼も持っておられるらしい。
もと東京高裁長官で、いまは沖縄キリスト教短大教授の石田穣一氏は、裁判官の現役時代は毎朝、自分で打ったそばを食べるのを健康法としていたが、「沖縄は暖かい土地柄で、とても素人では打てない」と、そばを遠くに離れている恋人」のように懐かしがっています。
社内に手打ちそばのサークルがある企業も少なくありません。第百生命の中堅社員が週2回、本社の食堂で生粉打ちに挑んでいるという話題は数年前、全国紙で取り上げられたが、いまもサークルは健在です。世話役の橘充自氏は「男性も趣味を大切にする時代。そば打ちは安直で、すぐにできるのがいい」と魅力を語ります。
そば打ちは一見、単純ですが、意外な奥深さがあるようです。生粉打ち20年のキャリアを持ち、多年にわたり、そば職人の講習会で「そばの科学」を教える早稲田大学の高槻礼文氏は「たかがそばだが、本気でやればやるほど奥が深い。絵描きと同じで1回限りの芸術」といいきります。
職人がいちばん鍛え込まれるのが木鉢です。腰を入れて額に汗しながら粉をこねる作業は、手順は同じでも気温や湿度が変われば水まわしが変わるなど、1年365日、同じそばは打てない、といいます。納得のいくそばを打てるようになるには、「揉み3年、延し1年、切り3月」という言葉があるほどだから、とうてい一度や二度の講習で学び切れるものではありません。「機械的にはできない」からこそ、機械文明にどっぷり浸かった現代人を引きつけるのでしょう。
□稲作以前の畑作文化の復権
こうした現象を東京・京橋の藪伊豆主人で日麺連会長の野川康昌氏は、「お客様が本物の味を覚えてくれるようになれば、そば屋もいいものを売らざるを得ない。そば人口が増えるのは非常にけっこうです」と大歓迎の様子です。その逆に、高瀬氏は「いまのブームは飽食時代の金持ちの暇つぶし。ブームだなんて煽るのはやめてほしい」と、軽佻浮薄に流れがちな現象に釘を刺します。
とはいっても、ブームは一過性で終わりそうにありません。一茶庵の片倉氏は「むかしは『手作りはバカだ』といわれた。食とは何か、が問われ、自然のものを自分の手でつくって食べる原点が再認識され、本来の姿に戻っただけ。一時的なものでない」。つまり、本物志向、自然食志向から、かつての「江戸患い(脚気)の特効薬でもあった高栄養食、健康食のそばが見直されている、とおっしゃるのですが、それだけでしょうか。
そば切りは江戸文化と書きましたが、そば食それ自体は水田稲作伝来以前の「国つ神」の食文化です。日本文化の底流には畑作文化と稲作文化のふたつが連綿と流れていました。けれども、戦後の食糧増産時代、米作への傾斜が畑作文化を破壊へと追い込みました。割り粉の方が多いようなそば切りが現れるのはこの時期です。いま「食管法」時代の終焉とときを同じくして粟(あわ)や黍(きび)が健康食として復権していますが、同様に中高年の男たちをそば打ちに駆り立てるのは、焼畑農耕の遠い記憶なのではないでしょうか。縄文人の血が騒ぐのでしょう。
註記 この記事は雑誌「選択」1996年1月号に掲載された拙文を少し修正したものです。記事に登場される方々の肩書きは当時のままとしてあります。(2006年11月)
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