アジアのビリヤード場をさがして
ビリヤード・ジャンキーと呼ばれようとも





まったく、なんでこんなところで球を突いてんだろ、と何度思ったことか。

タイ最北端の国境の町メーホーソンまで行きながらビリヤードのテーブルだけを睨んで去ったとき、さすがにすこし「これでいいのか」と思ってしまった。そんな阿呆さにあきれること半分、まあ、それも悪くないかとあきらめが半分。
 
今は海外旅行中にしか特に真剣に球を突いていない。なんでかは、深くは考えこまないことにしている。なぜか日本で突くと面白くない。それだけだ。

もうブランクが十年にもなった。狙っても球は入らない。悲しい・・・、いらいらする。でも海外旅行での球突きは楽しい。特に金を賭ければなおさらである。その国、または地域によって様々なルールがあり、酒があり、嬌声があり、怒声がある。残念なのは女っ気がまったくないことだが、それはスリルの代償としてあきらめざるえない、か・・・。

ヘルスエンジェルスのようなアメリカの不良親父に「あいつはビリヤード・ジャンキーだからな」とため息まじりに言われようが、夢中で球を追いかけてしまうことに喜びをみつけてしまっている。

みじめに球が入らなくても、手玉のコントロールがめちゃくちゃでも、海外のビリヤード場では不思議といらいらしない。
「もう現役じゃないんだから当たり前だよ。よくやっているよ。こんな腕で」とむしろ満足しながら相手がミスするのをゆったりとビールをラッパのみして、じっと待つ。今はそうすることが大好きだ。海を越えるとビリヤードが楽しくなるということを知ってしまったのだ。

「悪いか、ビリヤード・ジャンキーで!」と最近はちょっと誇らしく答えるようになってきた。あのときビリヤードをやめてよかった。と思うようにもなった。これからはちがう世界が広がってゆく予感する。そんな感覚を10年も待ち続けてきた。私の中で球撞きの第1章の幕が下りるのにそんなにも時間が必要だったことが、ビリヤードから遠ざかろうとした10年という時の重みをはにかみながらも噛みしめざるえない気持ちだ。

今になってビリヤード・ジャンキーと指さされるのも照れ臭い話だが、私の中では球撞きの第2章の幕がもうすぐあがろうとしている。その舞台ではポンコツの飲んだくれのしょうもない親父としてうまくやっていこうと思っている。今度はたぶん大丈夫だろう。アジアの路地裏にはそんな親父さんがいっぱいいるから。






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