ドキュメンタリー

FILM-NO.
撮影年月日
国名
都市名
film-02
1994年5月(日にち不明)
フィリピン
マニラ

NO.
写真
メモ
01

今まで撮った写真の中で最も愛着の深いのがこのときに撮った写真。

エルミタ地区、マニラ湾、夕暮れ時
02

これは彼らの父親に、今夜彼らの家に泊めて写真を撮らせて欲しいとお願いに行った時に撮ったものだ。。

エルミタ地区、マニラ湾、夕暮れ時
03

これはパコという街にある彼らのアパート。マニラ湾でバンカと呼ばれる観光用の小舟で生計をたてている人々が集う集合住宅だ。中は畳1畳大に仕切られ、まるで小さな迷宮のようだ。屋根裏にも何組かの家族が暮らしていた。だからみかけは二階建てだが、実質は三階建となっている。とにかくこの小さなアパートに数え切れない人々が生活しているのだ。おそらく100人はいるのではないかと思った。

パコ、アパート
04

上のアパートに泊まった最初の朝に、室内から外を撮った1枚。前夜強盗の襲撃にあい(熟睡していて気付かず)、命拾いをしたことを教えてもらったあとに、生きていた喜びを噛みしめるようにシャッターを押したのをおぼえている。

パコ、朝、アパートの部屋からの景色
05

彼の父親はエルミタ地区のさえないぽん引き。ヤク中で嘘つきと街の評判も散々だった。しかし、彼の子供は素直で正直。ちょっと気が弱く、病気がちであった。いつも私のT-シャツの裾をにぎって、パコの街の路地裏をうろうろと写真を撮りながら歩く私のよきガイドであり、ボディー・ガードでもあった。

パコ、朝、アパートの前
06

これはパコのアパートの中、ジュニオールという名のバンカマンの家族の暮らす部屋。この部屋に三日間私もお世話になった。もっとも信頼する友人となった。

そんな家族の風景。

パコ、昼、アパートの部屋
07

これはジュニオールのアパートの隣人。ちょっと癖のある家族であった。

パコ、昼、アパートの部屋
08
 
はじめて「写真を撮る」ということを意識して撮った日々・・・。なんの知識もなく、マニュアル・カメラのシャッターを押し続けた。日本に帰って私は2度びっくりした。

ひとつは36枚撮りフィルム1本あたりに5〜10枚ほどしか写っていなかったこと。真っ黒なネガフィルムを何時間もぼう然とみつめていた。
もうひとつはFILM NO.02、08、09の3枚の写真が奇跡的に写っていたことだ。こんな写真が自分に撮れるなんてことは想像したこともなかった。
09
マニラ湾の少女
感動していた。
何に?と問われるとこまってしまうが、とにかく心が震えてしまったのだった。

一度は挫折しかけたフィリピン旅行。それが写真というものを旅の軸に置いたことで、なにもできなかった自分がフィリピンという国に一歩近づくことができた。ということに驚いていた。

そしてこの3枚の写真はこの国の神様からのプレゼントだと思った。
10
 
私とマニラ湾で暮らす人々。いつのまにか朝食と夕食はここで一緒に食べるようになっていた。

エルミタ地区、マニラ湾、夕暮れ

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