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ひんしゅくって顰蹙って書くの?


昔っから漢字は苦手でしたが、パソコン使うようになってからはもーほんとにダメダメ。

読むのは読めても、書けませんね。まったく。
「ひんしゅく」話をエントリしようと思って書き出したら、まず漢字でつまずいた。(「つまずいた」も漢字書けませんね…)
ちなみに関係ないですが、自転車持って旅に出ること「輪行」っていうんですか?この文字を見ただけで、なぜかとんでもなくえっちぃなことが頭をよぎってどうしても離れないです。
私はやっぱりアタマかどこか悪いのでしょうか。


その昔ルーブル 美術館で『モナ・リザ』を観ていたんですよ。
やっぱり数ある展示物の中でもいちばん有名な絵画だけあって、いつでもけっこうな人で賑わっています。
近付いて観たいけれど、人だかりがあるので皆が少しずつ譲り合って鑑賞していくっていう感じなんですね。

『モナ・リザ』はガラスケースに収まって壁にかけられているのですが、私ももう少し近くまで近寄ろうかなぁ、と思ったそのとき、後ろから誰かがフラッシュ炊いて写真撮影したんですよ。
そしたらガラスケースの中からもくもくもく〜って煙みたいなのが出てきて、『モナ・リザ』はしばらくの間鑑賞不可能。重要作品なんかはフラッシュ撮影から守るために自動的に保護される仕組みになってるようなのです。
撮影した若者(たぶんアメリカ人)は、その場にいた世界中の国からやって来てるオノボリさんたち全員の”ひんしゅく”を買ってしまいました。アラブ系のオッさんはマジで怒鳴って怒ってたな。

ここで”ひんしゅく”を買った彼は、「美術品撮影にフラッシュ使用してはいけない」というルールを破ったのですね。

たぶん、なのですが「ルール」というものは善悪の判定や真実・虚構の見極めとは離れたところに位置するもので、ゲームの参加者全員が共通理解していることという前提が崩れちゃうとあっけなく意味を失ってしまうものだと思います。将棋のルールはあくまで将棋というゲームのルールであって、けっしてチェス盤の上で展開されるゲームに適用することはできません。

バイク乗りが”ひんしゅくを買いやすい”と感じるのは何故でしょう。(そんなことないのかもしれませんが、私はちょくちょくそういうことを見聞きします)
アブない、うるさい、アブない、うるさい、、、みたいなことがすぐに思い浮かぶのですが、(そして確かに”極端に”アブナくてうるさいバイクはいるのですが…)そういうのって”程度の差”でもあるんですよね。バイクよりアブなくてうるさいクルマ(四輪)も世の中にはたくさんいるわけですし、バイクよりアブナい自転車や歩行者だっています。

制動距離や投影面積が違う、動体性能も使用目的もまったく違う乗り物であるクルマとバイク(やその他)が一緒くたに交通法規というルールの中で公道走行というゲームに参加しているのですが、ゲームを”フェアにやる”というというときの”フェア”の位置付けが難しいんだと思います。

しょうじきね、バイク乗ってると、この”ルール”自体がいろんな矛盾や不合理を孕んでるってことをとても強く感じます。
原チャリのスピード違反を取り締まるルールなんてのは、それこそ交通の流れからいえば逆に危険な状態を推奨しているようですし、そもそも交通事故や無謀運転を抑制しようとするなら”覆面”パトカーに偽装して取り締まりしたり、ネズミ捕りのような待ち伏せをするよりは、どうどうと白黒パトカー配備してれば減っていくことなんじゃないですかね。
(いやね、こんなこと言うのは最近自分が捕まったから、じゃないですよ、たぶん、きっと…)

社会は基本的に、不安定さを嫌います。
そして人は自分とは違う異物、他者を不安定の要素として位置づけます。
交通社会の中で圧倒的マイノリティな”バイク”という存在は、多くの”一般の人”にとっては異物以外の何ものでもないのでしょう。

世の中からバイクなんてものなくなった方が良い、と本気で考えている人たちも、けっこうな数いそうですしね。
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不安定さ、異物、の象徴でもあるバイクが、社会から抹殺されている近未来を描いたこの作品世界は、そんなに現実離れした設定ではないな、というのが、最近の世の中の動きなんかからもよく感じられるところです。

ひんしゅくを買うような存在でいることを肯定するわけではありません。
そうならないよう(なるべく)配慮して生きていきたいと思いますし、そういう他人を見れば眉をしかめたくもなります。

しかし一方で、”多くの人が言うことだから””偉い人が決めたことだから””法律やルールで決っていることだから”といった自分自身の目や頭で確かめること以外の理由で、何かを否定したり誰かを批判したりといったことをしないようにしよう、とも思います。

タバコに関する議論も同じですが、善悪やゼロか100かといった位置付けを安易にしないような、本当の意味で懐の深い世の中が実現するといいな、と感じる今日この頃なのです。


で、”輪行”ってなんかとーってもえっちぃじゃないですか?
私だけですか、あ、そーですか。
スミマセン。

このエントリが”ひんしゅくもん”ですか。
あ、そーですか。
スミマセン。


Posted: 木 - 4月 21, 2005 at 09:38 午前          

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