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笑ったり悩んだり


今朝ね、コンビニ行ったらね、、、

駐車場に若者二人組が座り込んでなんか食べてるわけですよ。
ひとりはカップ麺を湯気を立てながらすすっていてですね、その横のもう一人はね、pino っていうアイスクリームあるでしょ、あれを食べてるんですよ。
えぇっ!って二度見しちゃいましたよ、私。
だってまあ極寒の時期は過ぎたとはいえ、朝の京都の最低気温はまだまだ1桁ですよ。
私はB-10とか着用しながら、「あー寒っ、温か〜い缶コーヒーでも買おー」と思ってコンビニ行ってるのに…

でもまあ、世の中にはいろんな人がいるもので、こんな季節にも朝からアイスクリームを”屋外で!”食べちゃうような人もいるんだなあ、って思いました。
ひょっとしたら私の知らない理由(たとえば、いままさに全力疾走で10キロ走ってきた、とか)があるのかもしれませんしね。
そんなふうに考えながら、コンビニで缶コーヒーとタバコを買って出てくるとですね、さっきまでpino食べてたあの若者がですね、こんどはなんと”おにぎり”食べてんですよ!

えぇぇぇっ!
いや、あの、それはいくらなんでも逆じゃないの?

もうね、あんまり驚いたので声かけしてインタビューでもしようかと思いましたよ。まじで。
なんか私を笑わせたり悩ませたりするための仕掛けがあるんじゃないかと、疑っちゃいました。


笑わせたり悩ませたりといえばですね、昨日のロイター からのエンタテイメント•ニュース。

[サンパウロ(ブラジル) 20日 ロイター] ブラジルで18日に無料コンサートを開いたロックバンド、ローリング・ストーンズのミック・ジャガーさんが20日、サンパウロの学校に通う息子に面会に訪れていたことが分かった。目撃者が明らかにした。
 6歳のルーカス君は、ジャガーさんと元モデルのルシアナ・ジメネスさんとの間にできた子供で、サンパウロの高級地区にある英国系の学校に通っている。
 大スターのジャガーさんが訪れたため学校はファンやカメラマンたちで大騒ぎとなった。その状況に驚いたのか、ルーカス君は母親とボルボに乗って学校から帰る際、泣いているのが目撃されている。ジャガーさんはバミューダパンツにサングラス姿。ジャガーに乗ってその場を去ったという。

えぇぇぇ!
ミックには6歳の息子さんが(も?)いたんですねー。知りませんでしたよ、私。
お盛んですね、強者ですね、さすがですね。

てか、この記事じたいがなんか笑いとろうとしてませんか、ロイター(の記者)さん。
あのね、ミック•ジャガーがどーして”ジャガーさん”なんですか?

ほかのロイターのエンタイテイメント記事を見渡しても、こういう”さん付け”で書かれる人とそうでない人がいるようですね。
てか、記事内容によって変えてるのか。

最後の「ジャガーに乗ってその場を去ったという」このオチを書きたくてそー呼んでんじゃないんですかー?
てか、このオチがなけりゃべつに特別なニュースってわけでもないですしねえ。

子供が泣いたことと、バミューダパンツ履いてるミックの格好の話との脈絡のない繋げ方。
そこにきてこのオチですからねえ。笑わされましたよ、ほんと。
こーいう強引な文章に憧れますよ。


あのね、関係ないかもわかりませんけれどね、偉大なロックンローラーは加齢とともに”笑い”を醸し出すように宿命付けられているのでしょうか?
というようなことを、例えばE.YAZAWAさんやジョニー大倉さんや内田裕也さんを見てたりするとふと思ってしまうわけなのですよ。
なんていうか、ご本人の意思とは別のところで存在自体がギャグに近づいていってるような感じ。
いや、皆さん大好きですよ、私は。尊敬してます。
でもね、なんていうか、世の中の風潮がそれに適合しないものを異物と位置づけて、貶めたり笑ったりするっていうことはあるのかなあ、なんて思います。
そういう意味で、ゴーイング•マイウェイな生き方されるロックンローラーなんかは社会の風潮なんかに迎合しない”異物”の代表ですもんね。

考えてみると「ジャガーに乗って去っていったジャガーさん」みたいな書き方されちゃうという位置づけでの、ブライアン•ジョーンズさん、ジム•モリソンさん、ジャニス•ジョップリンさん、ジミ•ヘンドリクスさん、ジェームス•ディーンさん、カート•コバーンさん、ていうのはあり得ないわけなのです。

エルヴィスさん、は、ありそうです。ドーナツ食い過ぎたプレスリーさん、とかね。

最も輝いていた時期に期待されながら夭逝した一握りの人たちだけなのかもしれませんね。存在としてのギャグ性から自由なのは。



時代や世の中や社会の鬱屈した閉塞感に風穴を開けることがロックの役割であり、そのための能力や適性のあるキャラクターが支持されていくのでしょう。
しかし、いったん風穴を開けてしまうと求められるその役割は満たされてしまって、メインカルチャーの側に取り込まれてしまうのではないでしょうか。
そしてまた、次の時代の次の誰かが新しい風穴を求めて新たなスタイルで出現してくる。
70年代まではその繰り返しが続いたんじゃないでしょうか。
そして、パンクロックが最後に大きな穴を開けてからは、もはやカウンターカルチャーとメインカルチャーという境目自体が存在しなくなって、ロックは大規模商業化するポップ文化の中と、より地下化したインディーズなどの中でひとまわり小さな閉塞感を破るための武器として細分化•サブカル化していったような気がします。

「ロックは死んだ」(ジョニー•ロットン)のかどうか私は知りませんが、すでに一時代を築いた後にも活動を継続しているストーンズのようなバンドや、再結成という”昔の名前で出ています”的な方法で演ってる人たちには、ひょっとすると全員”笑い”の魔の手が忍び寄ってきてるのかもしれません。


いいなあ、笑いがとれて。

と、羨む私はもちろん、時代に風穴を開けることもない市井のおっさんです。


誰か私に”笑いのセンス”をください。

できればシモ以外で…








Posted: 水 - 2月 22, 2006 at 01:28 午後          

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