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感じる


こんなお題だと「またそんな話か!」と思うでしょ。


いや、そうじゃなくって…


先日ぶらっと走りにいった近所の京見峠という場所。
ここは京都市内から北へ向かって氷室という昔の朝廷の冷蔵庫のような場所があった地区へ向かう歴史ある道。
市内が一望できる絶景のスポットのある峠です。

山中を走るととても涼しくて、異常な暑さが続いた今年の夏もすっかり逝ってしまったんだなぁ、と感じました。

「バイク乗りは季節の変化に敏感だ」とはよくいわれることですが、常に風を感じて、日の光を感じて、温度や湿度やいろんなものを、ほとんど生身と言っていい状態で受けながら走るのですから、それも当然かもしれません。

よく思うのですが、人間の感覚というものは曖昧で、普段何気なく感じている外的な刺激(例えば暑さ、寒さや味や触感なども)は「いちおうだいたいでこれくらいだろう」と大多数の人が共有できる範囲のものを言葉に置き換えて表現しているに過ぎないのではないでしょうか。
まさに”相対的”に。

ま、気温なんかは温度計が指す数値が出ているので、ある程度は絶対的なものなのでしょうが、それだって個々人によって同じ気温でも暑いと感じるか寒いと感じるかは違いがあるのかもしれません。
”色”なんていうものに至っては、太陽の光の波を感覚器官である”眼”を通して感じているだけで、私が「赤色だ」と思って見ている色が、実は他の人にはオレンジ色に見えているというのは、ありそうな話です。

虹をよ〜く見たことがありますか?
ホントに七色に見えますか?
アメリカでは、虹は6色 です。(なのでMacのリンゴも6色)

こういうことも「感じる力」の差からきている曖昧さなのだと思います。

「センスが良い」という言い方は、なにかスノッブな匂いすらしてイヤですが、じつは感じる力(センス)を磨くのをそう難しく考える必要もないのではないでしょうか。
まずはフィジカルの側面から感じる力(感性)を磨いてゆくことも大切なのだろうという気がします。
一日中エアコンの効いた部屋に閉じこもって暮らし、一年のうちにいちども裸足で地面を踏みしめることもなく、ジャンクフードばかりを口にして生きているような(私も含めた)現代の都会に住む多くの人は、そりゃぁ感じる力が萎えてゆくでしょう。

そういう人たちにとってのひとつの解決策が「バイクに乗る」ということではないでしょうかね?
(もちろん他にもいっぱい選択肢はありますけど…)

風を感じて、外界の様々なインフォメーションを感じて走るバイクは、それこそ本当に感性を磨いてくれます。
トンネルに入ると「夏は外よりも涼しいし、冬には外よりも暖かいんだ」というようなとても単純なことでも、それを”感じ”られるのはバイクに乗っているからこそ、でもあるのです。

ブレーキング時に前輪タイアがつぶれていく感じ、フルロック手前でパッドがローターに食いついている感じ、そんなものを感じられるのもひとつの”感性”です。
ホントかどうか知りませんが、あのアイルトン・セナ は走っているマシンの「何番シリンダーのピストンが調子悪い」とメカニックに訴え、実際メカニックがエンジンばらしてみるとその通りの場所が壊れていたという逸話を聞いたことがあります。
Sportsterみたいに2気筒じゃないんですよ。V12エンジンで、ですよ。
これなんかホントに天才だけの特別な感性なのでしょうけれど…。

そういう意味の「感じる力」を磨いていきたいと思います。
フィジカルな感性を磨き、五感を研ぎ澄ませていく。
そういうことの延長に、文学や音楽や美術や料理や服飾や持ち物など生活全般に関わるすべてのモノゴトへの”センス”が磨かれる下地があるのではないでしょうか。


センシティブであること、はとても大切なことです。



だってぇー、アノときだって”感じ”られなきゃ男も女もつまんないでしょ。



あ、「そんな話」になった。


スミマセン。
もう止めときます。






Posted: 月 - 9月 13, 2004 at 06:25 午後          

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