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恋は底ぢから


えろオヤジ”恋”を語る。


人生は、泡沫の夢ゆえ美しい。

その美しさを担保してるのはきっと、”出会い”なのだろうと感じます。
人やモノやいろんな表現作品などとの出会いの中で、その対象に向かう共感、共鳴、驚き、衝撃、気付き、などのひとつひとつが、人間に心のひだを刻み付けていくのだと思います。

のっぺりとした表面の平坦なココロよりも、ヒダヒダの多い複雑なテクスチャの心を育む人生の方が豊かで幸せなのだろうと考えるのは、個々人それぞれが持つ個性や価値観の違いを、ひだの多い心を持つ人の方が、自分の中に咀嚼して取り込み理解し包み込むことができるのではないかと思えるからです。

人やモノや表現に出会い、その対象に向かって心を開くとき、心くだくとき、私たちはその対象に”恋”しているのではないでしょうか。
そういう意味で、恋多き人生というものは、心のひだを多く刻む人生なのだと言えるかもしれません。
恋は底ぢから
中島 らも

集英社 1992-07
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恋は美しい。それは人生そのもののように。
けれどそれは、心かきむしられる苦しい夜をいくつもいくつも重ねなければならない病なのだ。

そういうことを教えられたのは、中島らもさんのこの本によって、だったのだと思います。

日常性という時間軸に対して垂直に立つという”詩”の性格を、わかりやすく恋に置き換えて説明してくれています。
お得意の”笑い”をちりばめながら。

恋という病が”詩”と同じように瞬間的、刹那的であるために、逆説的に永遠を孕んでいるとも言える。

そのことは、”恋”がこの穢土の上では絶対に成就することなど無いものなのだ、ということと同時に、やはり時間や空間を越えて(永遠に)生き続ける”想い”がある、ということを教えてもくれます。
だから、初恋は永遠だし、カタチや結果でなく”想い続ける”恋があるのだと思います。

人の一生という時間は有限で、すべてのものとの出会いの中でそれぞれと関われる時間も密度も限られています。
形あるものはいつか壊れるのだし、別れはいつも否応無しにやってきます。

しかし、それでも、私に”想い”がある限り、その恋は続いてゆくのだろうと思います。
想いの深さや広がりは、無限ですから。

そして、そういう”想い”があるから、私は今日もなんとか生きています。


さようなら。
そして、ありがとう。








いやね、ずっとずっと愛用してきたシルバーのリングが割れちゃったんですよぅ。
(手入れもせずにず〜っと付けっぱなし、そりゃー割れるわ…)
愛しいリングへの想いを、エントリしてみました。
いままでありがとう、忘れないよ。



Posted: 金 - 2月 4, 2005 at 10:36 午前          

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