足るを知る
ここんところバイクに乗れてません。
やっぱり年末でいろいろと忙しいのや、せっかくの週末がお天気に恵まれなくて、っていうのもあって。乗れないと、激しく乗りたくなる。乗れてると、あんまり乗りたくなくなる。こーいうのをきっと”矛盾”と言うのでしょうが、人間という生き物は矛盾そのものの存在でもあるわけで、そう考えるととても人間らしい、とも言えるわけです。よく聞きますね、恋愛でも「追いかけると離れられる、突き放すと振り向いてもらえる」って。私も16才の頃からオートバイという乗り物に接して生きてきたわけですが、所有してるのに乗らなくなって放置して手放すと、今度は無性に乗りたくなって欲しくてどうしようもなくなる、というのをなんども経験しています。こういうことって、いわゆる”倦怠感”なのでしょうが、無いものを欲しがり、今在るものへ対する感謝を忘れがちになるというのは、とてもとてもさもしい心持ちです。京都のとても有名なお寺に『龍安寺
』という禅寺があります。アンディ・ウォホールが固定視点の映像作品のインスピレーションを得たというとても有名な室町時代の石庭のある古刹です。修学旅行などでいらっしゃった方も多いのではないでしょうか。私は高校生の頃、よく学校をサボってはこのお寺に来て庭を眺めてました。雨の日に半日くらいボーッと軒に座ってたこともあります。(ヤンキー風情のガキなのに、こんな崇高なお庭が好きなんて、ヤな高校生ですねー)ここの方丈(本殿)の裏手にあの水戸光圀公(コーモン様ですね)が寄進したと伝えられる蹲踞があるのですが、その手水鉢にはこんな意匠が施されています。
水を溜める口の部分を共有して、時計回りに吾唯足知と読めることから”知足の手水”と呼ばれています。これ『われ・ただ・たるを・しる』と読み、日常や暮らしのなかで「アレが欲しい、コレが欲しい」と”いま在る”ものことに満たされず不平不満をもって暮らすことは貧しい、”足るを知る”ことで感謝の気持ちをもって生きなさい、というような禅の精神を現した言葉のようです。AS IS
さんのエントリ「ないほうがいい
」を読んで、ふとこの手水鉢のことを思い出してしまいました。バイクも衣類もなんでもそうですが、私は未だにAS
ISさんの境地までは程遠いのだろうというほど”欲”にまみれているわけですが、けっきょくきっと、そこまで辿り着けるかどうか、が人として大切なことなのではないか、などとも思うわけです。同じことは仕事や人間関係や恋愛にも言えることですし、人生そのものを”不平不満”で埋めながら暮らすことと、幸せを感じ感謝しながら生きることの差は、考えてみれば歴然としていることなのでしょうけれど、ね。いまの生活や仕事、人間関係や恋愛関係でお悩みの方、ちょっと立ち止まって自分は今「足るを知っているか」と問い直してみてはどうでしょう?などと、エラそーなこと書きつつ、「あー、あのパーツ付けたいなー」とか「マッコイのあのジャケット欲しいなー」などという欲望が一日二十四時間アタマから離れない矛盾の固まりな私です。あんなえっちやこんなえっちもしたいー、というのももっと強いかもしれません。”足る”を知らなくちゃ。
Posted: 金 - 12月 10, 2004 at 10:49 午前
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