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キリン


多くのオートバイ乗りにとって、特別な作品なのではないでしょうか。


最近はなんだか路線が変わってきたストーリー展開になってきてますが、それでも懲りずに追いかけてしまいます。

キリン 20 (20)
東本 昌平


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この漫画に出会ったのは確か20歳そこそこの頃。
バイク乗りの友だちの部屋で、夢中になって読んだのを思い出しますね。

小説でも音楽でも絵画でもそうですが、"魂を震わせる作品"というのは、なにかしら受け手(自分自身)の経験や想像力に補完されて個人の感性に響いてくるものなのだと思います。
たとえそれが潜在的であったとしても、それは私自身が強く渇望している"なにか"とシンクロするのでしょう。
そういう"なにか"のひとつがバイクであったり、ロックであったりするのですが、この漫画が私に与えた影響は、自分自身の来た道をかなり客観的に提示してみせてくれるというものであったような気がします。


私は、かなり閉じた若者でした。

10代の頃の自分のイメージをビジュアル化するとこんな感じ。↓



ウニ、です。
四方八方あらゆる方向に刺を出して、触れようとするものを傷つけるカタチです。(イヤですねー)

こういう殻に閉じこもりながら「誰も自分を受け入れてはくれない、誰にも理解されない」などといったナルシスティックな被害妄想の中に生きていたのです。
あたりまえのことですが、誰もこんなトゲトゲな奴を受け入れてなどくれません。
ずいぶんあとになって気付きましたが"周囲が自分を受け入れてくれない"のではなく、自分自身がまわりを受け入れる力を持っていなかったのです。

アオいですね、ガキですね。
こういうアタリマエの事実を大人になるまで気付けなかった自分を恥ずかしく思います。
いまでも少しは殻や刺が残っているのかもしれませんし、そのこともとても恥ずかしいことです。


「キリン」の初期ストーリーは、中年になった主人公が自分の"ターニングポイント"を意識し、その折り返し地点で挑む勝負についての物語です。
誰も自分の折り返し地点なんて正確には知りようがないし、そもそも「あと半分」残っている保証などどこにもないのですが、それでもそういう"点"を意識して生きることは大切なのだと感じました。

勝ち負けなどはないし、すべては泡沫のはずの人生ですが、そういう舞台に立った以上「自分が納得できるように」生き抜くしか方法はないのです。


我が名はバイク乗り
そんなふうにカッコよく、いつまで言い続けられるのかわかりません。
しかし、16歳の夏の夜に、はじめて半クラッチを繋いで股の間の鉄の塊がスルスルと動き出したときに感じたあの"なにか"を、いつまでも忘れずにいたいと思うのです。






ところで、いまの私はもうこんなん↓ですので、キライにならないでね。



おねがい。

Posted: 火 - 9月 21, 2004 at 10:47 午前          

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