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The Great Rock'n'Roll Swindle◆Sex Pistols


ボ・ディドリーとボボ・ディルドーって、似てるね。

で、ボ・ディドリーとボボ・ディルドーでは、どっちが好きですか?
私はもちろんボボ・ディルドーですが、そんな私と同じ感覚なあなたにオススメなアルバムは、これ。
ザ・グレイト・ロックン・ロール・スウィンドルザ・グレイト・ロックン・ロール・スウィンドル
セックス・ピストルズ

東芝EMI 1999-09-29
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同名映画のサントラとして79年に発売されたアルバムですが、私はこのアルバムはピストルズそのものだけでなく、パンクロック全般、そしてさらにモンキービジネスの側面を持つロック音楽すべてを象徴している非常に重要なアルバムではないか、と考えています。

私の感覚ではパンクロックとは(世間ではあたりまえとされているが自分としては納得することができない)既存の”価値”に対してNoという態度のことであり、その生き方なのだと感じているのですが、そもそもロックやロックンロールすべてが誕生の瞬間からそういうパンクの持つ役割を持っていたことは疑いのない事実だと思います。

50年代にエルヴィス・プレスリーが腰をくねくねさせながらカントリー・ミュージックを黒人音楽であったブルーズとちゃんぽんにして歌ったときには「白人の若者が黒人のまねしたいやらしい音楽を演っている」という批判を受けたわけですが、このときのロックンロールの役割には「黒人の音楽は低俗でいやらしい」という当時のアメリカの白人社会での一般的認識を打破するという働きがあったでしょう。

ピストルズが代表するパンクロックの破壊力が大きかったのは、カウンターカルチャーとして生まれてきたロックそれ自体を否定しコケにし茶化したということが理由のひとつですし、ロック音楽という同じ土俵でそれをやるためにある種の自虐性を孕んでいなければいけなかったのは必然でもあるのです。

そこではまず理念や意思や思想ではなく、”不満”が最優先の動機としてあったでしょう。
マルコム・マクラーレンがなにをどこまで意図して指図したかはわかりませんし、「ロックは死んだ」とうそぶくジョニー・ロットンがどこまで確信犯だったのかは確かめようがありませんが、いずれにしてもエルヴィスもチャック・ベリーもビートルズもストーンズもボブ・ディランも否定し、そしてそのための方法として3コード・ロックンロールを(ろくすっぽ演奏技術もなしに)がなり立てるという手法はまさに彼らの”不満”を体現するに相応しく、そして他に選択肢のない唯一の方法でもあったのでしょう。

ピースやフリーやラブや、そういうわかりやすくて大前提的に善で、しかし表層の意味だけ追えばとても薄っぺらなメッセージが蔓延した(そしてその裏側のドロドロした穢れにうっすらと皆が気づき始めた)時代に”神を冒涜し王室を茶化し既存のロックをコケにする”彼らが「新たなメッセージ」を発信してくれるんだという期待感があったのではないでしょうか。

しかししかししかし、ピストルズにはなんのメッセージもないのです。
主義や主張もありません。右も左も関係ないのです。
そこにあるのは”No”だけ。
「イヤだ!イヤだ!イヤだ!」という幼児的な全否定の破壊衝動のみが、彼らのすべてなのです。

「グレイト・ロックンロール・スウィンドル(偉大なるロック詐欺師)」というこのアルバムのタイトルは、まさにピストルズが(パンクロックが)ロックという土俵で二重三重にペテンを働いたことの総括を表しているとともに、アメリカ公演で空中分解したときのジョニー・ロットンの言葉「Ever Get the Feeling You've Been Cheated?(騙された気分はどうだい?)」にも見られるようにハッタリをきかせてきたはずの自分がじつはもっと大きなペテンにはめられていた、というある種のお笑い的な結末をも示しているのだと思います。

2曲目収録の『ジョニーBグッド/ロードランナー』はともにチャック・ベリーとボ・ディドリーというロックンロール創世記の重要な偉人によるロックのスタンダード曲ですが、この無茶苦茶さ加減、イイカゲンさ、やる気のなさはシドの歌う『マイ・ウェイ』とともに、このバンドとパンクロックのすべてを象徴している曲だと思います。
シド・ヴィシャスなんてほんとに本気でボ・ディドリーなんかよりボボ・ディルドーのほうに興味ありそうですもん。



パンクにメッセージなどない、と書きましたが、そのことが同時にもうひとまわり大きな観点でのメッセージ性について新しい可能性を示唆していることも忘れてはいけません。
幼児性というのは否定的に聞こえる言葉なのですが、人間にとってとても大切なことでもあるとも思うのです。
自我形成以前の混沌とした意識、無意識の有り様は、意味や物語に支配される以前の状態で、そういうときって言葉や理屈を持たない分、とてもとてもイノセントな感性を持っているのではないかと想像します。そういう状態で感じる”快・不快”というのは、生物として備わる鋭敏で本質的な判断なのではないかと思うのです。
楽譜を読めなくても楽器が弾けなくても、理屈を言えなくても、ロジカルでなくても、”学”がなくても、意味もなくても、ただただ肌感覚として不快と感じる対象に対して”No”を言うスタンス、やり方。
そういうものをパンクロックは示してみせたのではないでしょうか。

コドモから見る大人の社会は複雑で難解で、そのことを理解できないのは自分が未成熟だから、自分が足りないから、と考えがちで実際にそうであることももちろん多いのですが、大人の社会の隠蔽された穢れやタテマエとホンネの中に、どうしてもどうしても納得のいかない、だけど言葉では説明できない違和感を感じたとき、若者が武器として持てるのはパンクロックのようなものだけなのではないでしょうか。

いや、バイクも、ある面では同じですけどね。
意味もなく深夜に走り回るのは、じゅうぶんに幼児的ですね。

私には10代の頃にパンクロックやバイクがあって、ほんとうに助かったと思っています。

ロックやバイクがなかったら、それこそもうボボやディルドーなことばっかに没頭していたと思います。



ところで、「ボボ」って言うのは九州でも一部の地域だけらしい、という話を聞いたのですが、ほんとうでしょうか?


私の地域では「おこめ」って言いますけど、皆さんのところはどうですか?







Posted: 火 - 3月 14, 2006 at 07:55 午後          

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