ときどきね
ふっと息抜きしたくなる時間に、バイクを引っぱり出してみるのです。
通勤や仕事にバイク乗られているような方とは違って、いまの私にとってのバイクは完全に趣味の時間の相棒です。移動手段としての快適性や合理性を考えれば、ほんとうに必要の無いものだったりするのですが、そのために逆に、日常の中で鬱積していく細かな塵のようなストレスの残骸を、自分の中から追い払うために乗りたくなったりもするのです。仕事をサボって、バイクに乗る。こんなことができるのは、ほんとうに幸せなことなのだと感謝しなくてはいけません。震えるエンジンと車体を感じながら、無目的に走り出して、気の向くまま景色を見ながら走っていると、ついさっきまで胃のあたりにどすんとした重みで感じていたこと”うまくいかなかったり、うまくいかなかったり、うまくいかなかったりしたこと”が、もうぜんぶ、どうでもよい些末な出来事のように感じられてきて、なんか意味も無く笑いが込み上げてきて、幸せな気持ちになったりもするのです。
思い起こせば、ずっと昔、まだ10代のガキだった頃。バイク乗っているときにヘルメットの中で口から出てくる言葉は、それはそれは汚い罵り言葉、呪いにも似た舌打ちとぶつけ先の無い怒りの言葉が多かったように思います。理不尽なこと、納得できないこと、屈折した論理、説明の無い縛りごと、、、ああ、世界はなんて汚れていて、救いようの無いほどにバカばっかりが溢れてるんだ、などと嘆いたりもしてたような気がします。あぁぁ、恥ずかしい。穢れも矛盾も自分自身の中にあって、誰かに毒づいたり見下したり貶したりする狭量な魂こそが、恥ずべきものなのだ、と知るようになったのは、けっこう最近のことなのかもしれません。そして、そんなふうに考えれるようになって、背負ってる荷物の重さもずいぶん減ったんじゃないかって思えます。歳をとったんだなぁ、って思います。そのことを嬉しく思いますし、なんか神様か誰かわからないけれど、感謝したい気持ちになったりもします。きっかけは、ふとしたこと。誰かとの出会いの中で気付かされることも多いし、何気なく手に取った書物の中から見つかるかもしれません。なにもかもが迷い無く悩みも苦しみも無い完全な人生などというものは、きっと嘘っぱちの人生です。ストレスもあるし、うまくいかなかったことやうまくいかなかったことやうまくいかなかったことは、これからもずっとあるでしょう。でもそんな朝にも夜にも、私のガレージには鉄の心臓と身体を持ったお馬さんがいるのです。だから、だいじょうぶ。またいっしょに、走りにいこう。ヘルメットの中でニタニタ笑えてきちゃうほど気持ちの良いツーリングに。ああ、よかった。私には、バイクがあって。
Posted: 火 - 2月 15, 2005 at 06:11 午後