俺たちに明日はない
あっ、と言ってる間にね、
今年も二ヶ月が過ぎようとしているわけですよ。2月は逃げるように、3月は去るように過ぎていってしまう年度末なわけですよ。時間なんてものは幻想に過ぎない
というのは自明のこととしても、それでもこう都合よく”欲しい時間は常に少なく、苦痛な時間は経過が遅い”というのはどうにかならないものですかねえ?いや、それこそが時間の絶対性を疑問視せざるをえない根拠なのですかねえ。速いか遅いかなんてのは、あたりまえですけれどもあくまで”相対的な”価値基準であって、たとえ隼
や最新リッターSSがどんだけ速くてもですね、比べる対象が「公道上のその他のバイク」だという枠だけ外してみれば、あんまり意味のない価値でもあるのですよ。ていうか、貧乏性の私はどんなバイク乗ってもとりあえず限界まで回してみて、そのバイクの”全開”を知っておきたい、と思ってしまうちょっとアレなあれだったんですけどね、最新リッターSSで6速全開ってふつーに体験できるものなんですか?公道で。いやほら、イリーガルだからできませんっていうことじゃなくって、根性の問題として。気合いの問題として。そういう自分の根性とバイクの性能のバランスという意味でいうと、私の経験した中では体感的に最も速かったバイクは、80年代後半の2スト250レプリカですかね。いやあのころの4スト400も速かったなあ。とかいうオヤジのノスタルジーは置いておいて。
どっちかいうと遅いバイクに分類されるだろうアメリカ産のモーターサイクルのなかで、どっちかいうとちょっとだけ速いほうに位置づけられるスポーツスターやダイナが好きな私は、ほんとにもう速いか遅いかでいうとどっちやねんみたいな中途半端な趣味だということが露呈してしまいますね。いやほんと。
ところで速いか遅いかとかいうこと以前に、そもそもバイクなんか乗ってていいのかこんなご時世に、っていう気もしてきますよね。冬の来ない国になっちゃったっていうほど極端に劇的に加速して進行する地球温暖化とかいう時代に、無目的に温室効果ガスまき散らすだけのうるさいうるさい排気音響かせながら前時代的な空冷OHVの内燃機関で有限な化石燃料を消費し続ける行動は、なにをどんなに理由付けしても負のベクトルへの加担でしかないような気がするのですよ。個人的には。ある側面では。バイクは自動車に比して燃費や機動性で有利であり、都市部のコミューターとしては環境負荷が小さい、とかいうある意味もっともらしい話も聞くのですが、それはあくまで目的的な移動手段としての利用を前提とした理屈であって、仕事の足とか通勤手段とか郵便屋さんとか新聞配達とかバイク便さんを除くほとんどの”趣味として”乗ってるバイク乗りにはあてはまらない話なのですよ。無目的な移動、走るために走る、という行為そのものがバイク乗りという種類の生きものの生態でもあるのですから。そもそも私は根性が歪んでるというか人格が破綻してるというか徳が低いというか、絶望的にペシミスティックな性格なので、すべての環境負荷低減の取組みは最終的な目標に届かずに挫折するだろう、と考えてる不届きものでもあるのです(ていうか”最終的な目標”が明確なのかも疑わしいですが…)が、それを差し引いて考えてもですね、やっぱり社会全体の流れの中でいつまでも内燃機関を有する二輪車が許容され続けるとはとうてい思えないのですよ。遅かれ早かれ『CB感REBORN
』な世の中が来るのだろうなあ、という想像のほうがリアリティあるのですよ。いや、モーターサイクルが文化として社会の中に根付くとそんなことないのかもしれませんけれどね、疑わしいのはその”文化”化じたいがモーターサイクルの魅力そのものをスポイルしてしまわないか、ということもありますね。騒音だって広義の環境問題ではありますが、無音のプリウス的電気バイクが(私の欲するところの)バイクの象徴性を有しているとは想像できにくいのですよ。社会に受け入れられ認められるように形を変えたときに、それでもその乗り物が”バイク乗り”という人種が股がるべき性格を持っているのかどうか、こればっかりはなってみないとわからないことでもありますけどね。けっきょくのところ、ね、ビリーとキャプテン・アメリカの物語
がああいう形で終わったことが、ある種の象徴であり未来予想であり(バイクなんて興味ないという大多数の社会を構成している人間の観点からは)”まっとうな”結末でもあるのだなぁ、という気もするのですよ。正義という名のショットガンの銃口を向けられることを覚悟できるのは、1%erな文字通りのアウトロウ(outlow)だけでしょう。秩序の外に立ち位置を置いて生きるのが無理ならば、ゆっくりとやわらかな着地点を探すことくらいしか残された道はないのかもしれない、とも思うのです。たぶんきっともう来ない”明日”までの時間を、どれだけ引き延ばすことができるか、ということなのかもしれないとも思うのですよ。”時間なんて幻想に過ぎない”わけですから、ね。ところで早いか遅いかというのはあくまで相対的な価値基準であって、という話に戻るのですが、ワイルドな男性は魅力的ですか?いやじつは私は自他ともに認めるザ・リアル・ソーローなのですが、野生動物というのはものすごく早いらしいですねっ!ベタにワイルドな野生動物と比べると、いくら私でも”そんなには早過ぎない”くらいのレベルだと思うのですが、いかがでしょーか?そーいう意味でワイルドなんですけど、いかがでしょーか?いかがでしょーか?って誰に尋ねてるの?>じぶん
Posted: 水 - 2月 21, 2007 at 06:36 午後
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