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転んで起きて


それでも、走る。

あのね、バイクはね、転ける乗り物だと思ってきたわけなのですよ。ずっと。

だってそもそも二つの輪っかを並べた上に乗っかってるんだから、あたりまえですよね。
そのままじゃあ倒れますよね、転けますよね。
バランスをとりながら走ることで”なんとか転けないでいられる”だけで、そもそもが転ける仕組みの乗り物なのですよ。

私も昔はずいぶんいろいろ転んだわけなのですが、さいきんはとんと転けなくなってきちゃいました。
数年前に(ひどくカッコわるい)立ちゴケ をいちどしましたけれど、それを除けばもうずいぶん長い間転けてないなぁってふと思うのですよ。
もうあんまり、転ける気もしなくなってきてるのですよ(←そーいうのが、アブナい)

10代の頃でしょうか、はじめてモトグッツィBMW のRシリーズなんかの実車を見たときは「なんなんだ!こんなバイク転けられないじゃん、いったいどーすんの?」と本気で心配になったものなのですが、いまの自分を思うとなるほどバイクはそうそう転けるもんじゃないな、とかも思えたりもするのですよ。

それはまあ大人になったというかオヤジになったというか○○○の堅さが足りなくなったとか、そういう自分の変化が大きいのですが、まず転けにくいバイクに乗ってるっていうことや無茶をやらなくなったってことなんでしょうね。


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それでもね、やっぱりね、こーいうオバカな人々を見ていると、やっぱりバイクってのはそもそも転けるための乗り物であって、そこに魅力もあるんだなあって思うのですよ。
しかも、中年になった自分がなかなか転けなくなったのも、転ける気がしないように思えちゃうのも、いわゆる熟練の巧みを身につけたことの成果なんかじゃなくて、ある種の”逃避”なだけなんじゃないかなぁなどとも思えてくるのですよ。

いや、無茶や無理を推奨してるんじゃないですよ、ねんのため。

なんていうかね、こういうのって”自己責任”ていう言葉を思い浮かべちゃうところがあって、たとえシリアスな結果が待ってる事故になったとしても、どっかで「ほら見たことか!」っていう気持ちになっちゃうんですよね。
小さな子供がはしゃぎまくって走りまくって、さんざん注意したのに聞かなくて、そのうちどっかにぶつかって大泣きしてる、っていうような感じ。

べつにね、テクもないのに無茶なウィリーやジャックナイフしたり、公道を172マイル/hで走ったりしてなくてもですね、ほんとにごくごく普通にあたりまえにバイクで走るっていうそのことそのものに、そういう”ほら見たことか感”があるのですよ。


完全な安全の確保や完璧なバランスの維持が難しいのは、人生にも似ていませんか?

絶対の保証なんてどこにもなくても、私たちは自分の人生が終わるまでの路を走り続けなくてはいけないのですょ。
好むと好まざるとに関わらず。

何度転んでも、どれだけ傷ついても。

転んで起きて、それでも走る。


そういうのが人生なんだ、って思うわけなのですよ。

そういうことを教えてくれる乗り物に出会えて、ほんとうに幸せだなあ、と感じるわけなのですよ。







Posted: 土 - 10月 7, 2006 at 10:49 午前          

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