Titleimage

夜のバイクはえっちぃだ


夜は人をエロティックな気持ちにさせる。

と、そー思いませんか?

これはなにか生物的な生理としてフィジカルなメカニズムに依存しているのかとも思ったのですが、じつはまったく逆で、ほんとは人間という生き物の不完全さが呼び起こす現象なのではないかとも思うのです。

あたりまえですが人間以外の生物は生殖活動に”えっちぃ”な気持ちを感じてないでしょう。たぶん。
もしちょっとでもえっちぃな気持ちがあるとしたら、トンボなんてあんなふうにぶんぶんぶんぶん飛び回りながら人前で派手に交わるなんてこと、できないはずですから。
それとも私が無知なだけで、あのぶんぶん飛び回りながら交わってるトンボは、トンボの中でもごく一部の限られたマイノリティの露出願望の強い性的倒錯者であって、ほとんど大多数のトンボさんたちは我々の知らないところで人知れず恥ずかしながらことをいたしているのでしょうか。

たぶんね、えっちぃな気持ちになるのは人間だけですよ。生き物のうちで。
そしてそれは、人間様がすごくて偉くて賢くてそうなってるのではなくて、生物としての不完全さゆえにすべての活動に”意味”や”物語”を必要としているからじゃないのか、とも思うのです。

んでね、”夜のバイク”はなんだかエロティックな気がするのですよ。

艶かしいというか色っぽいというかいやらしいというか、なーんかそんな感じがするのです。存在が。
う〜ん、どうしてなんでしょうねえ。

たしか”キリン”の中ではピンヒールで街角に立ち小首を傾げて誘惑するコールガールに例えられていたと思いますが、サイドスタンドにもたれ掛かって、フロントを右側に倒しながら股がる男(に限りませんが)を待っている様子はまさにそんな感じ。
快楽と危険を予感させる誘惑。

日の光が落ちて闇に包まれる時間というのは、基本的にライトの当たったところだけしか見えないんですよね。
そして、夜の明かりというのは”月の光”や人工的なライトなのですけれど、月光というものは(太陽の光を反射している)間接照明だと言えるかもしれませんし、人間の作り出す様々な”光”だって太陽の明るさに比べたらまるでお話しにならない限定的、局地的なものですよね。
”すべて”が見えない、”すべて”を見せない状態。
あのときに「恥ずかしいから電気を消して…」というお願いは、じつはとってもとっても”えっちぃ”さを増幅させる効果があるのと同じように、すべてをさらさないことによる奥行き感や陰影の強調は、”いま目の前にあるそのもの”の奥深くに潜むなにかをにじみ出させてしまうのではないかと思うのです。

例えばクルマと比べてみたら明らかなのですけれど、バイクの(とくに空冷エンジンのフィンなど)機械としての造形は陰影や奥行き感に富んでいて、のっぺりとした面だけで構成されているクルマなどとはぜんぜん違うことがよくわかりますが、そういう造形的な要素がえっちぃさを醸し出す要因なのかもしれません。



と、いうようなことをぼんやり感じながら夜の街を走りました。

暖かくなってきましたね。

春ですね。


というか、なんでもかんでも”エロ”と結びつけて考える私は頭の中がエロなことでいっぱいなのでしょうか?
エロなことだけしか考えられないエロ人間なのでしょうか?


と、いうようなことをぼんやり感じました。


春ですね。

暖かくなってくると変なのが出てきますね。



↑オマエ





Posted: 水 - 3月 8, 2006 at 09:39 午前          

Comments