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いや、そりゃお寒い


真冬ですものね。

バイク乗らない人にはなかなかわかってもらえないことなのですが、オートバイ乗るのに快適な気候って1年のうちにそれほど多くありません。
真夏なんて「風受けて走ったら気持ちいいでしょう」とか言われたりするのですが、真夏のバイクなんてほんと修行かと思うくらい過酷なのです。
でもって、冬は冬でやっぱり寒いわけで、なにを好き好んでこんな寒空の下に外気を全身で受けて走らなきゃならないのか自分でもぜんぜんわからないのです。

でね、自分でもぜんぜんわからないことをどうしてやっちゃうかというと、それはやっぱり人間だからだと思うのですよ。

私たちは好むと好まざるとに関わらず”自分”という個性を生きているわけなのですが、じつは自分が思ってるほど”自分”のことはよく知らないんじゃないでしょうか。
自分で自分を”こーいう人間だ”と位置づけているのもじつはある種の物語で、その物語はいつどんな時もどんな場所でも揺らぎのない確固としたものではないのです。

大人になれば誰だって、多かれ少なかれ社会性というものを身につけて、理性的に論理的に生きているものなのだ、ということに(タテマエ上は)なっていますけれどね、そんな理性や論理や社会性だって、人間の上っ面に張り付いているだけの薄い皮みたいなものだと思うのですよ。
そしてそういう薄い皮の部分だけが、自分がよく知ってる自分だと思える”表層の自分”なんじゃないですかね。

理屈を言えたり言葉で説明できたりする自分ていうのは、”自分”のなかのほんの上っ面だけです。
その下には、とーっても理不尽でわけのわからない混沌とした”自分”というのが誰の中にもあるんじゃないですかね。


だからね、「どうしてバイクなんか乗るんだ?」という問いにはね、答えられません。
合理的な説明なんてできません。言葉になんかできません。

それは、”上っ面の自分”が選択して行動しているのではないからなのです。

素晴らしい音楽でも絵画でも彫刻でも映像でも、そういうすべての表現を必要とし欲することに理由が見つからないことと同じなのです。

バイク乗ることはね、言葉や理屈や体裁やタテマエや、そーいうほんとうにどうでもいいつまんない(だけどもなくちゃ生きていけない)諸々から解放されるステキな時間を生きることなのです。


ああよかった、私にはバイクがあって。
と、思うわけなのです。

にんげんだもの。



な、わけでこの寒いのにバイク乗りました。
チョイ乗り。30分。
あまりの寒さに手がかじかんで顔が引きつってきてチ○チ○は縮こまってしまって、もー耐えられないと思いました。


乗るもんじゃないよ、こんな季節。



にんげんだもの。



Posted: 木 - 1月 26, 2006 at 06:13 午後          

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