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不安定な人生にオートバイ


”混沌のカテゴリ、破綻寸前のエントリ、迷走するアーカイブ”でおなじみの、おーぷん・まいんど なアーバン・アストロノーツyamatatzさんの『ヒトはなぜ二輪車に乗るのか 』にインスパイアされたので(インスパイアってどーいう意味?こんな使い方でいいの?)TBぼむをどぴゅっと発射。

あのね、オートバイは二輪車ですよ。あたりまえだけど。
でね、二輪車というのはね、とっても不安定&不完全な存在なのです。

自転車もそうなのですが、二輪車というものの特性は”走ってないと倒れる”ということです。
いやまあ、サイドスタンドとかセンタースタンドとか、そういう装置はありますよ、便宜的暫定的に。
しかしオートバイの本質は、ヒトが跨がってアクセル開けて、走り出すと安定する、ということに尽きるのです。

これはねえ、不思議なことですよ。じつは。
物理的にとか工学的にとか、どんなに説明ができたとしても、やっぱりどっかで「ほんとかな」と思っちゃうようなことなのです。

止まると倒れる、ってのはなんかとても象徴的ですね。人生ですね、ロックですね。

A rolling stone gathers no moss.

ですよ、まさに。
そーいうお魚がいますね、泳ぎ続けないと死んじゃうっていう魚。マグロですか?カツオですか?

バイクはね、マグロなんですよ、きっと。


そしてバイクのそういう”それ自体では立ってさえいられない不安定さ”とか、”ライダーが跨がってはじめて形になるような不完全さ”がじつは、『自由』へと繋がっているのかもしれない、とも思えるのです。

簡単にいうと”このままじゃダメだ”という危機感。

”自由”という状態や概念は、とてもシリアスなものから私のようなぬるま湯の日常を生きる市井の中年オヤジにとってのものまで様々な次元がありますが、そのすべては”相対的なもの”ですね。
なにかの枠や箱の中にいる自分という状況に対して、充たされていて不満がなければ”自由”なんて求めません。

そういう意味で、自我の再構築を迫られる10代の頃に、どうしようもない鬱屈した閉塞感を感じ、バイクやロック音楽を拠り所にしてなんとか凌いでこれた、という人が(私も含め)多くいることはとても理にかなっていると言えると思います。
バイクもロックも、”いまいるこの場所から”走り出して暗闇の中から小さな灯りを見つけるためのいちばんの道具なのですから。

加齢とともにバイクを降りる人が多くいるのも、単にフィジカルの側面での制約からというよりは、人生のステージが違うところへ移ったから、という要素が大きいのではないでしょうか。
それはつまり、”いまいるその場所”に充たされるようになった、ということ。
それが家庭なのかもしれないし収入や社会的地位や名声なのかもしれないけれど、もう充分に満足して走り続ける必要がなくなったから、なのではないでしょうか。
安定しちゃったから、ではないでしょうか。


今晩の飲み代がお財布の中にない、という不自由からの脱却、解放のためのインセンティブは”飢え”であり”渇望”であり”欲求”ですね。

幸か不幸か私は、そーいう激低次元の”不自由”をまだまだいっぱい抱えているので、しばらくはバイク降りられそうにありません。

不安定日常が続く限り、まだまだ走り続けなきゃいけないような気がします。

マグロですからね、バイクは。



しかし、ベット上での”マグロ”は男女ともに犯罪的所業だと思っておりますので、そこんところはどうぞヨロシクなのです。





Posted: 水 - 11月 9, 2005 at 05:46 午後          

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