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皮革衣料偏愛


今年も革の季節がやってきましたょ。

いやあ、待ち遠しかった。
先週末早起きして、地元の周山街道ひとっ走りしてきましたが、早朝はもうすっかり冷え込んでいて、上下革装備でちょうどいいって感じでしたよ。

こんな感じ。

これまで何度も書いてます が、ヘンタイ的に皮革フェチな私は真夏でもエアコン効かせた室内で革ジャン着て馴染ませたり、オイルアップのメンテとか口実つけて意味もなくレザー表面を素手で撫で回したりすることにこの上ないよろこびを感じる筋金入りのちょっとアレなのですが、バイク乗ってると世の中の皆さんよりもずっと早い季節に皮革衣料着られることが、とってもとっても嬉しいのです。
ひょっとして私は革ジャン着たいためにバイク乗ってるのかしらん?とかも思っちゃいます。

衣料としてのレザー素材は、もちろんタフでワイルドな雰囲気があって、見た目的にカッコイイというのはもちろんなのですけれど、私はそれよりもっと深いところで革製品の魅力に取りつかれてるような気がするのです。
革を纏うとなんていうかね、こう生命の根源的なところで絶対的な安心感を得られるような気がするのですよ。

抱かれる感じ?

そう、考えてみれば皮革衣料ももとはといえば牛や馬やその他の動物の”皮”だったわけで、そーいう温もりのある肌感覚とでもいうか”包まれ感”を感じても不思議ではないと思うのですよ。
胎児が羊水に抱かれること、生まれたての赤ん坊が母親に抱かれること、人間でも動物でも小さな生き物を抱きしめることで得られる癒され感、安心感、恋い焦がれてるあの人と裸で肌を重ね合わせるときに感じられる無上の至福感、、、そーいうものと似た感覚が、皮革衣料を身につけることで感じられるのではないかと思うのです。

あ、それはひょっとして私がリアルな温もりに飢えてるからなのでしょーか?(寂


ってなことを回りの悪い頭で考えつつrssをチェックしてたら、open minded なyamatatzさんがタイムリーな(でもないか?)エントリ をアップされてますよ。(悪い予感のカケラもな〜いさぁ♪)
ふむふむなるほど、
ヒトって(いやヒトに限らず、動物植物すべての多細胞生物は)一個の生命体ではなくて、生きていたり死んでいたりする生命体(細胞)が寄り集まって形成された複合体であり、その複合体が“生命現象を帯びている”状態をもって、彼が“生きている”と判断されるっちゅうことでしょうな。

うーん、そっかぁ。そうだよなあ。

そして、そのあとにくる、
生命現象の副産物であるマインドが…

ってところを考えていくとですね、私が皮革衣料に偏質的に惹かれる理由も見え隠れしてきそうなのですよ。

マインド、魂、想い、祈り、、、そーいうものって生きたり死んだりの生命現象のその先で、さらに生きたり死んだりしながらこの世界に漂ってるモノなんじゃないかなあ、って気がするのです。
「昨日テキサスで始まった恋が、4千年前のクレタ島で終わる」なんてーのもそうですけど、物質や時空を超えたところで(ある意味では”自由に”また別の側面では”不自由に”)存在するんだと思うのです。

つまりね、皮革製品はとうぜん死んだ動物の皮を革へ加工されたモノなんですけどね、それが宿していたマインドや”生命の温かみ”のようななにかが残っていてですね、そういう”なにか”を感じられるということが、我々皮革マニアのアソコをびんびんにしてくれるのではないでしょーか?
人や動物の生死がある意味での曖昧さを内包していること考えれば、死んだ動物の皮(→革)からそれらの温もりや想いが伝わるっていうこともあながちなさそうともいえないかもしれないかもしれなくもないかも、とか思ったり思わなかったり…


とかなんとかいいつつ、ほんとはお馬さんや牛さんの”温かみ”ぢゃなくって、えっちぃおねーさんの柔肌の温もりに触れたいことは内緒にしときますよ、この際。


え?




Posted: 水 - 9月 6, 2006 at 10:32 午前          

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