Titleimage

プーマ(PUMA)OCHO RIOS


河原町のジュリー を知ってますか?(知らないよね)

80年代に京都に実在した伝説のホームレス。
あのどんとさんもこんなふうに歌ってました。

あっちのベンチでゴロリ〜♪
こっちのベンチでゴロリ〜♪
だけどジュリー♪

ヒッピーヒッピー♪
レゲエレゲエ♪
B00005FE27ぷりぷり
ローザ・ルクセンブルグ

ミディ 2000-07-26
売り上げランキング : 7,060
おすすめ平均

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

私もね、10代だった当時、なんども何度も遭遇してます。
そしてローザのこの歌詞の影響で、私の中で”レゲエ”というのはボブ・マーレイでもピーター・トッシュでも最近のオシャレでえっちなダンスレゲエでもなく”河原町のジュリー”のイメージが真っ先に思い浮かぶのです。

あのバブルの80年代。
週末の河原町通りはさながら高級外車ショーの様相を呈していて、メルセデスのSL見ては「ほら、1700万円が走ってる」とか、当時投機対象にもなってプレ値だったフェラーリF40が来ようものなら「おぉ!二億円が走ってる!」とか言ってた頃です。
そんな時期の同じ場所、三条大橋の下のダンボールのお家にひっそりとしっかりと暮らしていたのが河原町のジュリーさんなのです。
京都ではものすごい有名人で、知らない人はいなかったと思います。亡くなられたときには新聞記事にもなりました。
ある意味愛されてもいましたし、いま思うと”なにか”の象徴のような存在だったのでは、とも思えます。

追われるようにお金稼いで投資して浪費しての繰り返しのスパイラル。ババ抜きのような資産運用と投機。学セーさんが高級ブランド品じゃらじゃら持ってることが当たり前の風潮。
きっとね、みんな心の奥底のどこか無意識のところであのバブルな世の中のこと、警戒して馴染めなくて「なんかおかしー」と思ってたんじゃないですかね。
そんな深層心理の投影の対象が「二億円のクルマ転がしてる人の横でダンボールのお家に住み続ける”河原町のジュリー”」だったんではないでしょうか。


あ、いやね、こんなスニーカー買ったんですよ。

プーマ(PUMA )のオーチョリオス という企画ものスニーカー。けっこうローテクの仕様でこの色使い、カッコいーでしょ。
で、ジャマイカ色レゲエ色ラスタ色のこの靴見てたら、急に河原町のジュリーさんのこと思い出しましてね。(ぜんぜんカンケーないね)

以前にも書きましたがサッカー少年だった私にとってスポーツシューズの基本はダスラー兄弟の2ブランド、アディダスとプーマです。
サッカー雑誌を穴開くほど見つめては、当時のスタープレイヤーたちがどんなシューズ履いてるのか調べたもんです。
私にとってスポーツシューズブランドは、往年のフットボール・プレイヤーたちと密接にリンクしているのです。

プーマは、歴史上もっとも偉大なブラジル人選手ペレをはじめマリオ・ケンペス、ディエゴ・マラドーナといった南米の選手たちが好んで履いてましたね。
一方のアディダスはどちらかというとヨーロッパの強豪国のプレイヤーと強く結びついています。ベッケンバウアーやカールハインツ・ルンメニゲ、ピエール・リトバルスキーといったドイツの選手は(ブランドの地元でもあり)当然ですが、ライバルだったフランスのミシェル・プラティニやジャン・ティガナたちもアディダスでした。
ちなみに関係ないけどケビン・キーガンはパトリック、現日本代表監督のジーコはル・コック履いてましたね。

ヒップホップ・カルチャーなんかでうまくアメリカ市場のカジュアル路線に定着したアディダスと違って、プーマは長い間「本気の人たちのブランド」という印象でしたが、90年代以降はオシャレなデザイナーさんとのコラボなどでずいぶん洗練されたイメージになりました。
私なんか子供の頃の刷り込みがキツくて、最近の細身でオシャレなスニーカーよりも、やっぱりこんなローテクのダサカッコいいデザインがしっくりきますけどね。

しかしなんか、同じような色使いのスニーカーばっか買ってますね、最近の私。(これこれこれ
黄色が好きなんでしょうか?

って聞かれても、そんなこと知らんっすよねー。

スミマセン。


ちなみにラスト一足のセール価格で定価10290円のところ4980円(安っ)

お買い物上手です、私。(ってきっとまた履かずにずっとしまっておいて忘れるんだろうなあ…)

スミマセン。(←誰に?)


Posted: 木 - 9月 1, 2005 at 10:35 午前          

Comments