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浮気と日常と感謝の気持ち


じつはね、さいきん浮気を考えていたんです。

先日タンデムでのんびりツーリングを経験してから、なんか私はもうちょっとゆったりバイクに乗った方が似合うんじゃないかと思ったり。
すり抜けしたり、最速チャレンジしたり、知らない誰かと競走ったりするのはもう、卒業しようかなあと思ったり。

で、Sportsterも、車高を下げて、ノーマルステップに戻して、ベルト・ドライブにして、のんびりゆったり走れる仕様に変えようかな、とか。
はたまた、いっそのこと、そーいう乗り方に適しているビッグツインにでも乗り換えようかな、とか。

そんなふうに考えて、友人のFXDLに試乗したりしたんですけれどね、ああ、やっぱりローライダー、車高低過ぎ。重過ぎ。回らな過ぎ。曲がらな過ぎ。止まらな過ぎ。
やはりアメリカのバイク、クネクネ道ばっかり走るようには出来てないです、きっと。
まだまだいまの私にはフィットしない車種なんだろうと思いました。
これはこれで、とっても魅力あるバイクなんですけれどね。カッコいいし。

で、この週末、いつもの京都北部の練習コースを走りにいったんですけれどね、これがとってもとっても気持ちイイ。
やっぱり今の自分にはSportsterが相応しいのだろうなあ、ということを、とても強く感じました。




いやあ、気持ちイイ。きもちいい。

周山街道の川沿いで、京北町の杉林で、芦生の峠の途中で、貴船神社の境内で、バイクを降りて記念撮影。
近所にこんなステキな練習コースがある私は、とってもシアワセです。

バイクの魅力には、バイクを所有することそのものや、カスタムしたり磨いたり、眺めたり、ウェアやグッズに凝ってみたり、といったことも大きいのですが、そういうことはすべてやっぱり副次的なものであって、なによりそのバイクで”走ること”だけがもっとも大きな、そして唯一の喜びなのだと改めて感じます。
よく言われる「バイカー」という言葉の意味や定義はよく知りませんが、最高速が何キロだとか、排気量や最高出力の数値や、メカニズムの先進性や、そういう”相対値”としての特性はじつはどうでもよくって、自分と目の前にあるこの1台との一対一の関係だけで見出せる喜びに気づくこと、それがとても大切なのでは、と思うのです。そして、それに気づくことのできたバイク乗りのことを「バイカー」と呼ぶのではないだろうか、と思うのです。

そして、そういうことって、人生の様々な場面で同じように当てはめることのできる考え方の指針にもなるのではないか、とも感じます。

年収が300万円の人と、二千万円の人とでは、後者の方が幸せなのだ、とは言えない、といったあたり前のことを、往々にして見失いがちになってしまうのが、日常という生活の場面なのです。

ほんとうの”豊かさ”とは、所有するモノやお金の量などではなく、素敵なもの、幸せなことを感じられる力のことではないかと思うのですが、そういうことって、追われるような現代社会の日常の中では、とても近視眼的に見えづらくなってしまっているのではないでしょうか。

”日常”から、一歩外へ踏み出してみる。
それが、私にとってバイク乗るという行為のいちばんの目的のような気もします。


まーね、パチンコや競馬に没頭することも、スポーツして汗流すことも、プロ野球見て一喜一憂することも、飲み屋やセクキャバでハメ外すことも、ぜんぶ、同じように”日常から一歩踏み出す”行為としては、いっしょなのでしょうけれどね。

みんなそれぞれがそれぞれの方法で、バランスとりながら毎日を生きていってるのでしょうけれど。


私にはバイクがあってよかった。

いつもいつも、そう思いますよ。


感謝してます。



Posted: 火 - 5月 17, 2005 at 09:08 午前          

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