1999.7.
     
木には望みがある
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新緑の森の中で

失意の中でさまよっていたとき、「ついて来なさい。」と声をかける人がいた

疲れはてた身体を、風がとうりすぎ、生きる力がよみがえっていく

「いのちの息吹き」にふれたとき、傷ついた心はいやされていった

気がつくと、新緑の木立の中を、あの方と語り合いながら歩きはじめていた

心の奥底から、いのちの水の川があふれでてくるのを感じながら
 

 能勢川バイブルキャンプの桜
木には望みがある
「木には望みがある。たとい切られても、また芽を出し、その若枝は絶えることがない。たとい、その根が地中で老い、その根株が土の中で枯れても、水分に出会うと芽をふき、苗木のように枝を出す。」
 旧約聖書のヨブ記14章7節〜9節のみことばです。確かに、たとい切られてもまた芽を出す木や、樹齢千年を越える木の生命力は、驚くべきものです。
 これに対して、続く10節から12節には、「しかし、人間は死ぬと、倒れたきりだ。人は、息絶えると、どこにいるか。水は海から消え去り、川は干上がり、かれる。人は伏して起き上がらず、天がなくなるまで目ざめず、また、その眠りから起きない。」とあります。人間のいのちのはかなさと、直面する問題や試練に押しつぶさそうな人間の姿が鋭く描写されています。

 人間には、望みはないのでしょうか?
 実は、聖書は、復活のキリストに出会い、そのいのちに触れるとき、「望みがある木」に例えられる以上の希望と喜び、そして、永遠のいのちがあたえられると約束しているのです。
 
「あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。」 
           (ペテロ 第一 1章21節)   
なお火あるを・・
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魂への情熱失せしと言いし時
 なお我が心に火あるを知りぬ

   


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