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現在、クラシックアコーディオン界において、ボタン式アコーディオンのほうがピアノ式アコーディオンよりも数多く使われています。これは、ボタン式アコーディオンのほうが楽器が小さく作れる、また、2オクターブから3オクターブの音がつかめる、等の理由があります。現代作曲家たちの作品も、ボタンアコーディオンを念頭に書かれたものが多いのも理由の一つです。私自身も以前はボタン式に転向しようと考えていました。しかし、クラシックアコーディオンの勉強を深めるにつれて、ピアノ式クイントシステムアコーディオンこそが自分の求める音楽性に一番合致しうる楽器であるという結論に至りました。
ボタン式を実際に演奏してみてまず感じたのが、「都合の良さ」でした。例えばO.SchmidtのToccata No,1の最後の部分、とても早いパッセージの演奏を求められています。この部分は明らかにボタン式の方が、より楽に演奏できます。またL,Berioのsequenza XIII等の曲は、ピアノ式では掴めない広さの和音を求められます。この場合、ピアノ式では左手でカバーするか、音楽的に考えて、レジスターの効果も視野に入れ、可能性のある音を1オクターブ上げたり下げたりして演奏します。また、楽器が小さいのも魅力的です。体の小さな人でも難無く楽器を持てます。顎スイッチも余裕を持って操作出来ます。そして、手が大きくなくても、それがコンプレックスになることはありません。どんな人でも、余裕で2オクターブはとどきます。
さて、これほどまでに魅力的なボタンアコーディオンですが、私はボタン式を選びませんでした。最大の理由は、「滑りのテクニック(滑奏)が使えない(注1)」ことです。これは、上に述べた数々の素晴らしいボタンアコーディオンの可能性、長所をすべて捨ててでも、私は譲れませんでした。
注1、(ボタン式も限定的ではありますが、最大、連続する5つの半音までなら滑奏できます。これはJukka,TiensuuのZoloという作品の中で試みられています。)
ピアノという楽器は「ペダル」という必殺技があります。これにより、音の響きの長さを自在にコントロール出来ます。しかし、アコーディオンという楽器は、ボタンもしくは鍵盤を押している間しか音は出ません。放した瞬間に音は止まります。「音の発生、その間のコントロール、そして終止」これこそがアコーディオンの特徴です。ボタン式の音列は、折り重なる様に並んでいます。ということは、演奏によっては、必ずどこかで指を放して移動しなくてはいけないポイントが発生するということです。鍵盤は音が横一列に並んでいます。どこまでも、指一本で滑って移動することが可能です。
この「音のコントロール」の重要性を強く感じさせるのはバッハやフレスコバルディなどのポリフォニー音楽です。片手で2声3声の旋律を演奏するには、どうしても滑りのテクニックを使わないとレガートに演奏できません。もちろん現代音楽においても同様のことが言えます。例えば、J.Ganzerの「SILHOUETTEN(1988)」の1楽章risolutoは、3声による多声音楽ですが、スタッカートとレガートの指示が極めて細かくなされています。
また、F.Palazzoの「Movimento perpetuo(2002)」は滑りのテクニックの限界を意識して創られた作品です。
ボタンアコーディオンはあらゆる面でとても合理的です。楽器は小さくまとまるし、手の小さい人でも2オクターブは簡単に届く。ですから、ボタンアコーディオンを演奏する人は沢山います。しかし、私は自分の専門を決めるとき、このような合理的観点を重要視したアプローチは避けました。そしてその結果、やはりアコーディオンにおいて「レガートとスタッカート」はとても重要な奏法の一つなので、この「滑りのテクニック」の解決なしには、私はボタンアコーディオンへの転向は出来ませんでした。
個人的な考えとして、この「滑りのテクニック(滑奏)」にアコーディオン奏法の大きな可能性を見いだしました。そして、その研究を深めたいと思い、私はピアノ式アコーディオンを自分の専門に選びました。
ピアノ式アコーディオン持論