歴史資料集
ここでは、当ページで取り上げた各拠点について過去の資料の記述を集めてみました。
- 高座郡福田村村差出明細書上書(明治3年(1870年)3月)から
- 一 土橋七ヶ所
字堂下 三間 字若宮下 同断
字神明下 同断 字高札前 同断
字新道通り 同断 字山下 同断
字境橋 同断
右者、村入用を以取繕、内普請所ニ御座候、此外用悪水跡等之普請所一切無御座候、
この、「字堂下」に該当する橋がどれに該当するのか決め兼ねていましたが、この橋から右岸方面に上がっていった所に蓮慶寺が位置すること、明治初期の「迅速測図」の該当箇所(「歴史的農業環境閲覧システム」にリンク)に架橋されている様に見えることから、恐らく福田橋に該当するものと判断して良いだろうと考えます。但し、この「堂下」という小字は他の資料で見つけることが出来ず、何故村明細帳でだけこの名前が出現するかが課題です。もしこの名前が多用される状況であれば、現在の「福田橋」の名称が「堂下橋」になっていた可能性もあったと思われ、現実にはそうならなかったという事実が、逆にこの字のその後を物語っていると思います。
- 一 土橋七ヶ所
- 高座郡福田村明細帳(明治3年(1870年)11月)から
- 自普請所 七ヶ所
字堂下 土橋 長三間 横壱間半 壱ヶ所
字若宮下 土橋 長三間 横壱間半 壱ヶ所
字神明下 土橋 長三間 横壱間半 壱ヶ所
字高札前 同 同 断 壱ヶ所
字新道通り同 同 断 壱ヶ所
字山下 同 同 断 壱ヶ所
字境はし 同 同 断 壱ヶ所
長さだけではなく、幅まで1間半で綺麗に揃っています。普請が面倒にならない様に村内の橋の寸法を予め決めていたのかも知れません。
- 自普請所 七ヶ所
更新日:2011年06月23日
