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私が初めてジープと出会ったのは平成2年のこと。 最初はその武骨なスタイルに憧れたに過ぎず、オフロードを走って車を壊すなど考えてもいなかったのだが、わずか2年ほどで4WDトライアルにどっぷりとはまることになる。 それから平成9年に廃車に至るのでの8年間、さんざん林道ツーリングだトライアル遠征だと酷使し、北海道の林道での右横転から始まってトライアル中の左横転、前転、そして最後がバック転である。結局四方向転んでしまったことになる。上下左右、すべての面が地面についた車だったのだ。 そんなこんなでとうとう廃車となってしまった私のJeep P-J53だが、思えば数奇な人生(車生?)だったろう。廃車になって案外ホッとしているかもしれない。 「ああ、これでやっと車使いの荒い主人から解放される・・・」 なんてね・・・。 ジープがバック転したのは平成9年の11月のこと。仲間とともに茨城県取手市守谷の利根川河川敷に走りに行ったときのことであった。午前中はわざとスタックなどをさせてレスキュー劇を楽しんでいたりしていたのだが、恒例のバーベキューの昼食を終え、午後は少々場所を変えて走り出したときであった。 そこそこ広い場所であり、皆思い思いにそこら辺を走り回っていたのだが、ふと気がつくと数台の車両が見えない、不審に思って探すと、少々奥まってわかりづらい場所で2~3台がなにやら面白そうなことをしているではないか。そこはかなり急なヒルクライムが2本並んでいる場所で、右側のヒルクライムは少々手強い程度だが、左側はもう垂直に近く、頂上付近が少々オーバーハングしている。 この左側は見るからに登れた代物ではなく、我々は初心者に教えながら右側の楽な方にアタックを始めた。 しかし、どうも左側が気になる。登れなくてもともとなのだからやるだけやってみたいという欲望を抑えられず、私はとうとう左側のヒルクライムにアタックした。 思えばこれが間違いの始まりであった。 さすがに最初から突っ込んで行くような真似はせず、一度目は様子を見ながらグリップで登ってみる。 おやおや、結構いいところまでいくではないか・・・。 もしかしたら登れるかも知れない。 私はこの思いにとらわれ、登れなくなった限界点でジープがほぼ垂直に立っていたことなどすっかり忘れてしまい、2度目はラインを選んで少々勢いをつけてこの難関にアタックをかけた!! ほら、登る登る!! タイヤがぐいぐいと土を掻いているのが感じられる。いい感じだ。もう少しだ ほら行け!! 気が付いたときにはフロントガラスには青い空しか見えなくなっていた。 おぼろげな私の記憶によれば、ジープはテールを下にして数秒ほど立っていたようである。 いつもはちゃんとシートベルトをしているせいで、こける!!と思っても恐怖感はなかった。 しかし、このときはなぜかシートベルトをしていなかったのである!! 信じられない。 そして恐怖は次の瞬間やってきた。垂直に立ったジープがゆっくりと後ろに傾き始めたとき、体がふわりと浮いた。 しまった!! と思う間もなく、体が激しくあちこちにぶつかる。痛みを感じる余裕すらない。ふと横を見ると幌ドアを外した横の空間から地面が見える。上も下もわからないが、その時、私にはジープが私の逃げ道を差し示してくれたような気がしたのである。 とっさに私はそのラインに向かって飛び出していた。
一応未熟ながら武術の心得のある私は受け身を取ってすぐに立ち上がると、愛車が四輪を地面につけて正常な格好で立っていた。ボンネットからグリルが滅茶苦茶になっているという点を除けばだが・・・。この愚かな私を責めないで欲しい。クロカンを大人の泥遊びと称し、一般の正常な方々が車で入るなど思いもよらないような場所を見ると入りたくてうずうずしてしまう。そんなオフロードに取り憑かれた私のような人間は危(ヤバ)いと分かっていてもやってしまうものなのである。このページを読んでいる貴方・・・貴方も思い当たる節はありませんか? そんなわけで、大破した車を目の前にして呆然と立ち尽くす私の傍に、すぐに仲間たちが駆け寄ってきた。皆の協力ですぐに損害程度のチェックにとりかかる。
ぐしゃぐしゃになってまくれあがったボンネットからエンジンルームが除いている。右側のバッテリー(J53は24V仕様のため、エンジンルーム左右に巨大なバッテリーが二つ載っている)が割れて中の希硫酸が流れ出している。そのすぐ傍で小さな火花が散っていた。バッテリーターミナルがボディに触れているのだ。かなり危険な状態である。 急いでバッテリーを外そうとしたが、なにしろボンネットがぐしゃぐしゃで開かない。仕方なく、すき間から手を突っ込んでターミナルから配線を外す。ボンネットはボルトを抜いて取り外した。 作業中、何気なくバンパーに手を置くと焼け付くような痛みが手のひらに走った。反射的にそこを口で吸うと、舌にかなりの刺激が来た。転倒の際に切っていた手のひらの傷に希硫酸がついたのであった。急いで仲間の水筒を借りて洗い流したが、これは実際とんでもない痛みだった。 とりあえず、どうやら牽引できるように作業を終えると、やっと体中の痛みを脳が認識しはじめた。 今まで感じなかったのが不思議なくらいである。まず右側頭部。これはロールケージにぶつけたものだろう。それから腰の右側、そして両足の向こうずね。いずれも脱出するときにロールケージのサイドバーにぶつけたものに違いない。その他全身くまなくといっていいほど、打撲と擦り傷、切り傷、筋肉痛のオンパレードであった。
仲間のサファリに牽引されて、四街道のAES千葉に車を運ぶ。さすがに社長の斎藤氏はこういった人間の扱いに慣れているらしく、今後の段取りなどの詳しい話は後にして、「とにかく今日は置いて帰れ」 口は悪いがこまごまとした気配りが感じられ、内心ありがたかった。 自分ではそれほどとは思っていなかったが、今考えるとおそらくそれほどひどい顔をしていたということだろう。 結局、ボディの歪みがひどく、フレームにもかなりストレスがきている可能性があるということで、後々のことを考えると、買い換えた方が良いという話になり、泣く泣くこの相棒を諦めることとなった。 その後、私は懲りもせず、同じ型のP-J53を中古で購入し、現在に至るまで二代目の相棒として乗り続けている。 こちらも初代と同じ平成元年式、ボディーからこそ違うものの、車台番号も200番程度しか違わないというなんとも運命的な車である。足周りなど、初代のパーツの大部分はすべて移植したため、初代ジープで長年かけて作ってきた設定が受け継がれ、まるで生き返ったようだ。 三菱ジープもすでに生産が終了し、だんだんと入手が困難になってきている。 現在のジープをいつまで乗れるかわからないが、できることならいつまでもジープに乗っていたいものである。 |
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| 壊れた初代のジープから足周りをはずす | ||
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| はずされた足。タイヤをつけたままのホーシングをサスペンションごと取りはずす。 | ||
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| 新しいジープに移植 | ||
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