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[0020] H.O.T.(エイチ・オー・ティー)「Outside Castle(5集)」(korea) 

[・関連の文章はここここここに。]
[こちらに書き足し00/11/27]

 やっとそろそろ書き始めるか。このアルバムがでた日から20回は聴いたでしょうか。やっと「何を与えられてもおいしいと感じるおなかをすかせた雛鳥」でなくなった気がする(この秀逸なたとえは、むかし音楽雑誌でY.M.OのBGMがでたときに誰かが書いていたもの。おなかをすかせた雛鳥はとりあえずどんな餌でもよろこんで食べる、つまりどんな難解な(もしくはつまらない)、ポップでないものをだされてもキャーッと飛びついてしまうほど新譜を渇望しているファンを揶揄ている)。ほんとに好きな人に対しては、否応なくそうなってしまうものである。夜中に盛り上がって書いた文章は一度置いといて、翌日読み直さないといけないように、冷静さに欠けた「ただのファンのラブ・コール」みたいになってしまう可能性があるから。やっとただの音楽好きぐらいの人間性で語れるようになった気がする。ではいきます。目を閉じて3回深く息を吸い込んで、ゆっくり吐いてください.....。いくぜ!

 前作(4集)で極めた「ハード・メタル+ヒップ・ホップ・ソウル+オーケストラ」という黄金のフォーマットは、やはりあの天才ソ・テジ率いる「ソテジ・ワ・アイドゥル」の発明した「究極のコリアン・ポップス」を「後継者」として完璧に作り上げたものだった。こういう曲を聴いて失神しないほうがおかしい。「天才のアイデア+同レベルの天才の努力」の相乗効果のたまものだったと思うのだ。今回の5集のグループとしてのコンセプトは、ずばり「ソテジ・ワ・アイドゥル超え」である。あえて「もろソ・テジの影響を受けた「末裔としてやる曲」を排した思い切った作り。デビュー曲「戦士の末裔」は「僕らはソ・テジ・ワ・アイドゥルの後継者だ」という宣言だったように、その後のアルバムでもその「後継者としてやるべきこと」が必ず意識されていた。この5集には、その影はない。その部分が少し「弱い」感じがする。メタル・ギターや絶叫ラップでびっくりすることはない。最初一聴して持ったのはこういう「地味な印象」だった。これはもう、何度も聴くしかない。「ギミックはなるべく無くした。曲をじっくり聴いてくれ。歌詞をちゃんと読んでくれ。」と言っているょうな気がしたのだ。今までもメンバー自身が作曲した曲をアルバムに何曲か配していたが、今回は全曲メンバーだけの作曲。これで「なんか地味じゃん。曲も良くないし」なんてことになったらもう、終わりである。いや、これだけの存在なので終わることはないと思うが、アーティストとしての活動は制限されるかもしれない。「ほらみろ、全然ダメだったじゃないか。次からは、またほかのプロの作曲家に主要な曲はまかせろ。」なんて事務所に言われそうなのである。でも良かった。曲は全部、ものすごく良い。一聴して地味にかんじるが、聴きこむほどに味がでるという「するめタイプ」のアルバムだというのが20回ほど聴いてわかった。本当に良かった。「本格アーティスト宣言」大成功だ。この5集でのカム・バックでTV出演した際のMCで、彼らは必ず「これからもがんばってもっと質の高い作品を作っていきます」といったことを言っている。この姿勢があるから他のグループとは一線を画した存在でいられるのである。おそらくこのアルバムは「アーティスティックなアイドル」から「アイドルみたいにカッコイイ、アーティスト」への変身をかけた勝負の1枚なのだ。

ではとりあえず今印象に残っている事柄を。

 1曲目のアルバム・タイトル曲「Outside castle」。荘厳なオーケストラの調べにヒップ・ホップ・ビート。決めのところではディストーション・ギターも使われているが、いかつい印象はない。スクラッチ音も、絶叫ラップも入っているが、その全部が今までのように「曲を強調するためのギミック」ではなく、「必然的に曲を盛りたてるためのパーツ」という感じでそれぞれが突出するこなく溶け合っている。「イケイケ」ではない使われかた。これははっきり音楽的成長と感じた。TVなどで歌われるときはストリングス・オーケストラと合唱隊が用意され、その横で歌い踊りまくる。最初カム・バック(↓参照)したときのスタジオ・ライブを見たときに驚いた。このストリングス・オーケストラの前奏だけのイントロで、ウヒュクとヒジュンがブレイク・ダンス風のダンスを踊りまくるのだ。リズム楽器は鳴ってないのに。白鳥の湖でつつつーと踊るのとは訳が違う(それはそれですごいが)。ストリングスで奏でられるクラシカルなメロディーの拍子をとって、カクカク踊るのだから、びっくりした。ダンスがクリックなしで刻むヒップ・ホップ・ビート。どうやらこのダンスの振り付けからもう、物語は語り始められているらしい。

 詞の内容が分からないので最初はなんとも言えなかったのだが、その後m-netのある番組で流れたこの曲のスタジオライブで、少しだけついたテロップ見て、アルバムのコンセプトから歌の大意まで、すべて氷解した。(推測の域を超えていないのだがあえて書くと)まずタイトル「Outside Castle」の「Castle」とは「弱者が自分のまわりに作り込んだ自分と他者を隔離させるために作り出した要塞」のようなもののことであろう、この物語は主人公がそこから出ていこうとするところから始まる。イントロで踊るこの2人の振り付けを見ていると良く分かる。「城の扉を開け、外に出て、傷付けられる」というストーリーをダンスで表現しているのだ。そしてリズム・トラックが入る直前、メンバー全員が横並びになって隣同士腕を高く組んで静止するのは、自ら作り出した防御壁に囲まれて他者とコミュニケートできなくなった人間たち、もしくは「他者との接触(戦い)」によって傷つき倒れた戦士たちが張り付けられた十字架のように見える。その呪縛を振り切ってヒジュンは前に飛び出し、歌い始める。なんとも象徴的なオープニングである。歌詞が分からないのがもどかしいが、僕がこの曲のメッセージを理解したと感じたテロップが流れたのが、曲の終板のメンバー全員が手話をする部分。「彼らと私たちにはなんの違いもない。愛を持って生きていこう」。そうか!そういえばアルバムのジャケットには「They are nothing different from us.」とあり、点字の表記まであったのだ(点字の意味は分からないが)。うちの奥様が言うには、途中足をひいているようにも見える振り付けがあったり、身体に障害のある人のシーンがインサートされるスタジオ・ライブ映像もあるらしい。この「城」の中にいる者は「弱者・他者との接触に憶病になっている者」の象徴であり、勘ぐり過ぎかもしれないが、この「彼ら」とは「北の人々」のことをも指すのではないか?「どんなに傷付くのが怖くても、その城の外に出よう(勇気と愛を持って他者と分かり合っていくようにしよう」というメッセージではないか?(まるで「Evangelion」である。)ほとんど想像の世界なのだが、僕はこういうメッセージと受け取った。これを20歳そこそこのアイドルが自分で作って歌っているのである。

[やっとこの曲のMV(プロモ・クリップ)がm-netで流れるようになって、この推測がわりと外れてなかったのをもう少しだけ確信。最後、都市の真ん中にそびえ立つ古風な城(もちろんCG)が崩れ落ちるシーンがあった。エヴァでいうところの「ATフィールドが破られた瞬間」である。(2000/11/22書き足し)]

 地味な印象が災ってか、発売後しばらくはチャート3位ぐらいだったのだが、m-netのカウント・ダウン番組の2000年11上旬のチャートではめでたく1位の座に。この曲はリーダー「ヒジュン」によるもの。彼はジェイソンのような鉄の爪を付けたり、ジーン・シモンズばりにステージで血を吐いたり、ものすごいやつです。H.O.T.の独特のダークでこわもての部分は彼が作ったのだろう。

 この1曲目はカム・バックで歌われた第1弾の曲で、日本でいうと1stシングルって感じ。韓国ではシングルというものが存在せず、アルバムから1曲づつTV番組やイベントなどで歌い、しばらくしてまた別の曲に、といった風に何ヵ月かの間に2〜3曲歌って活動する。そしてまた次の活動まで何ヵ月かお休みするため「さよならスペシャル」など番組でして、潜伏する。そしてまた何ヵ月か後に「カム・バック」するという繰り返しがパターンなっている。この2000年の10〜11月は、このH.O.T.とFIN.KL(ピンクル)という女性4人組のグループがほぼ同時にアルバム発売&カム・バックし、激戦を繰り広げている。ピンクル(この3rdアルバムも素晴らしかった)が先行して1位になったが、H.O.T.がやっと追い抜きにかかったという感じだ(2000/11/21現在)。

[←その後、各チャートで1位に。やはり一聴して少しわかりにくい音楽性によって今までよりは地味な印象だったのと、メッセージが重いものだったので浸透するのに時間がかかったのだろう。しかし、このようなレベル(歌詞も含めて)の高いものなので、ちょっとやそっとの「良くできたアイドル・ポップス」よりは長く支持されるだろうと思う(思いたい)。m-netの1つのチャート番組に限っていえば、ピンクルは2週しか1位の座にいなかった。さぁ、この後どうなるか?というところでカンタ君の「飲酒事故」事件。あーもったいない。彼らは去年4集を出したときにもリーダー、ヒジュンが怪我をしてTV出演できなくなったことがあった。(2000/11/22書き足し)

 4曲目は予告通りジョージ・マイケルの「ケアレス・ウイスパー」を元ネタにしたもの(ちゃんとクレジットあり)。これまた素晴らしい。パチパチと針音がなり、ゆるめのヒップ・ホップ・ビートにサックスがあのメロディーを。歌のメロディー・ラインは元のメロディーをなぞりつつまた別のオリジナルのメロディーと合体し、ラップ・ヴォーカルがからむ。形式としては「ポップスのヒップ・ホップ・ソウル・カヴァー」というやつであるが、上に乗る歌がハンパじゃなくうまい。

 先ほど書いたようにギミックの部分を抑えた分、曲のコアな部分(コード進行/メロディーライン/歌唱/コーラス/ラップ」に重点が置かれている。「曲と歌の良さ」に前より集中していて「名曲ばかり入った名盤を自分たちの作曲で」というおよそ「アイドル」という存在らしからぬ決意。これがひしひしと感じられるのだ。

 およそ今のバンドやユニットというのは「まずジャンルありき」というのが当たり前でそれが何かの音楽スタイルを再現することから成り立つ。「ギター・ポップ/ヘヴィー・メタル/ジャズ/テクノ/サルサ/レゲエ(揚げ句の果てには「ミクスチャー」という「ある一つの形式」まで生まれる始末=しかしこれはレッチリが発明した、ただの「P-funkのリズム+Led Zeppelinのギターの組合せ」で、それをもう10年以上繰り返しているだけ...。)」などをやろう、と言う動機でそれらのジャンルをコアに置きそれらのジャンルのファンのために「大きくそれからはずれないよう」に曲を作り、そういう格好をし、そして「どこか個性を出す」。そのテクニックが「売れる」ということで、音楽的に個性を放棄する場合は、化粧やテンポの速さなどで他と差をつけようとする。

 H.O.T.もそうだった。ソ・テジの後の空いた場所に、それ本家を巧妙にヴァージョン・アップした形で収まり一儲けする。そういうものだった。5枚もアルバムを出すなんて事務所の社長も考えていなかっただろう。彼(イ・スマン社長)はあのリッキー・マーティンのいたラテン・ポップ・アイドル・ユニット「メヌード」を念頭に置いてこのグループをプロデュースしたという。例外的な人気のメンバーがいた場合をのぞいて、メヌードは20歳になったら脱退させられ代わりの若いメンバーが後に収まる、という規則でいまだに存続しているすごいグループだ。イ・スマン氏は、兵役があるということもあって、適当な時期にメンバーを入れ替えるつもりで若いメンバーを用意していた。しかし、あまりの人気にメンバーを入れ替えることができなくなってしまったという。「もしH.O.T.のメンバーを入れ替えていたら、私はファンに殺されていたでしょう」と彼は語っている(その予備メンバーたちは今「神話(Shinwa)」というグループになっている)。

 話戻って、H.O.T.はアイドルである。人から「今はやってる〜と〜をぱくったこういう曲をこういう格好で歌え」と言われて、言うとおりにして、それでも彼らならではの確固たるスタイルを築いてきた。そして、そういう立場にある彼らは、いわゆるミュージシャンと違って「売れるためにはなんでも」というノン・ジャンルの立場でいられたのだ。というところで、だんだん自分で曲を作ったり、事務所に押しつけられたイメージ以外のビジョンを提示したりと「アーティスト化」してきた彼らにとって、この「ジャンル」というものの縛りが全くないと言っていい立場は非常にプラスする。ソ・テジ・ワ・アイドゥル解散後、リーダーだったテジ君が久々にカム・バックしたが、ヒップ・ホップ色があまりなく、ロック色の強い音に拒否反応を示した人もいた。そういうことを彼らはほとんど気にしなくていい。そして幸せなことに今までのファンは少々ポップさにかける「地味な」「本格派」のものを出しても、「雛鳥のように」買ってくれるだろう。そういう立場もわかってのこの5集だと思うのだ。爆発的な売り上げや、今までのような熱狂的なファンによるミーハー人気は少なくなるかもしれない。「もうそういうのは充分だ。俺たちの作った音楽を、作品として評価してくれ」とこのアルバム全体が主張している。

 彼らがこれから進んでいくであろう道を切り開くべく「勇気を持って城の外へ出た」一枚。彼らが目指すところの「良い作品を作るアーティスト」として、とても有意義な一歩を踏み出したアルバムである。

 他にもメンバー全員が全曲を手がけ( 共作という形で他の作曲家の参加もあり)、何度聴いても味のある名曲揃いの名盤。まだまだ聴き込む価値がありそうです。

「Outside Castle」の最近のTV出演の映像の解説を。
『ヒジュンは怪我がひどいらしく踊れない。それを気遣うウヒュクが最初の「ビートなしブレイク・ダンス」でおどけて見せる。ダンサーをゆっくりげんこつで殴るふり。そしてヒジュンは自分がいつも踊り始めるところでじっと静止し(しかし左手が神経質に動いていた。いらいらしているのか...)一歩前に出て深々と礼をする。「踊れなくてごめん。心配かけてごめん。」という礼。それでも怒るどころかファンは絶叫。幸せ者だなぁ。で、いつもヒジュンが痙攣ダンスをするところで、左手からいきなりトニーが現れ、ヒジュンの前で痙攣のマネをしてまたすぐに去っていく。ちょっと笑いながら。おちょくりつつも「オレが代わりにやっといたる」という友情&愛情。予期せぬトニーのアドリブ・プレイだったらしくダンサーたちにも大ウケ。でも、ヒジュンは笑いながら泣いてしまう。歌い始めたらみるみる顔がくずれて、涙が。怪我でみんなに迷惑をかけている自分への不甲斐なさ。それを暖かくフォローしてくれるファンや仲間たち。「オレはなんて幸せ者なんだーっ」というの涙。それを見て、僕も半泣き。くぅー、しみるのぉー。「おかみ、熱燗もういっぽん!」
 ...しかし彼らはこのときヒジュンの怪我以上の大打撃が起こるという現実をまだ知らなかった...。(つづく)』 (←2000/11/27)

(また詞の内容などがが分かった時点で書き足していきます。 ←2000/11/21)
(「Outside Castle」のMVを見て少し加筆修正。 ←2000/11/22)
(「Outside Castle」のTV出演映像を見て少し加筆修正。 ←2000/11/27)


[0019] Alaitz eta Maider(アライツ・エタ・マイデル)(BASQUE)
このアルバムが出たとき、ぜんぜんこのバスク地方のことを知らなくて、「まぁちょっと聴いてみるか」と何の先入観もなく耳にしました。そのときのことは、はっきり覚えています。「ふーん。ほー。えっ?ほほーう!あっ。うぉっ!わーっ。ふんふん。きゃー!うぎゃー。」って感じでした(なんじゃそりゃ)。この名前は「アライツとマイデル」という女の子2人の名前をバンド名にしたもので、トリキティシャという半音無しのアコーディオンを弾くアライツさんと、パンデロアというタンバリンを弾くマイデルさんを中心としたバンド。ほかドラム、ベースのメンバー、ゲストのギタリストも入ります。この2つの楽器が中心のこういうバンドがバスク地方では最近盛んで、「トリキ・ポップ」と呼ばれています。聴いてみるとまずこの1stの1曲目でど肝をぬかれる。激早いテンポのポルカがまるでメロコア(最近のパンク)バンドのよう。しかしこのアコーディオンとギターのアルペジオはネオアコ風。しかもタンバリンがものすごいテクニックで超絶リズムを刻み続ける「カチャ、カチャ」なんてもんではなく、「チャラララー」って感じ。そして、歌はまるでパンク化したサンデイズのハリエットのような「ロリータ系+絶叫」という。なんですかこれ?いろんな僕の好きなものを混ぜて作ったような音楽じゃないか?2曲目は最近ブラフマンという日本の人気メロコア・バンドがリリースした自分たちのライブ・ビデオのエンディングに使って問い合わせが殺到したという名曲。特にびっくりしたのがギターのフィードバックからはじまる4曲目の「スカパンク」。どこの英米のインディース・バンドかな?と思うようなギターに続いてアコーディオンの高速リフが。この速度でこのリフを弾き続けるのは、ものすごい演奏技術がある証拠です。タンバリンも的確なリズムを「これでもか!」と繰り出します。皮を叩く音よりもジングルという小さいシンバルの音の方が強調されて使われます。片手で「チキチキ」もう一方の手に当てて「カッ」っという音だけでこれだけの表現力はすごい。ロカビリーのバスドラ/スネア/シンバルだけのセットよりシンプルなロック・ビート製造マシーン。このCDは輸入のものに帯と解説を付けて日本盤で出ているのですが、解説はあの中村とうよう氏。「若くてぴちぴち」とか、「おきゃんで」とかこの方にしては珍しく思い入れたっぷりに大絶賛。氏の解説にあるようにもともとバスク地方の人たちは豪快なお人柄らしく(あのザビエルやピカソはここの出身だとか)、このパンクっぷりもそういう気質の血がさせるものなのだろう。そういう気質と、バスクの伝統的な音が文化をちゃんと持ちつつ、このような「世界的共通コードを持つポップス」のフォーマットとそれを結びつけて表現しているところが素晴らしい。「自分たちの国にある独特の伝統」と「コンテンポラリーなポップ感覚」を同時に持って自分のものとして表現すること。ここにある「putumayo world music」というレーベルのいろんな国のアーチストのCDの解説を書いたときに一番大事なところはそういうことなんだと何度も実感した。当たり前のことだがなかなかできないことである。僕が最近特に好きな韓国のアーチストたちもこういうスタンスがちゃんととられている。コンテンポラリーなものをやろうとしても、ついにじみでてしまう自国文化。うらやましい。こういう意識が有るか無いかが、「何かを取り入れた本物」と「ただのなにかのサルマネ」を分けるところなのだ。「その人らしさ」を持っているか。そしてそれを「きちんと開かれた姿勢で広く伝えようとしているか(ポップかどうか)」。何に関してでもまずそこを見分けなければならない。伝統だけをそのまま守って伝えるのは、価値のある大事なことかもしれないが簡単だ。そしてその「伝統」が「ただ古いもの」として遠いところろに置かれているだけで本当に「後に伝わった」と言えるのか。僕はバスク地方の古い文化については何も知らなかった。でも彼女たちの好きな「ポップ・ミュージック」は同じように聴いている。そして彼女たちがちゃんと伝統も忘れず、ポップにそれを表現してくれることによってバスクの文化の一部を確実に受けとめ、僕の中のポップなものとして取り入れることができた。こういうことが、笑いながら楽しくできることは何より素晴らしい。雅楽が良い例であるが、庶民に聴けないようにして皇族たちの中でだけずっと大事に「保存」されているだけ。だから僕らは自分の国にある(あった、かな。こういう隔離されたのものだと、ないのと一緒なので)独自の音楽文化を、まるでワールド・ミュージックを聴くように遠くから「発見」しなければいけないわけだ。で、当時民衆が親しんでいたものにも(伝えられ、耳にできるものに限ってだが)なんのシンパシーも感じない。それだけのポップさを持っていないレベルの低いものだったのだ(たぶん本当だ)。高いレベルの「琉球王国」の音楽や、大多数が差別し追いやり絶滅寸前のアイヌ音楽をのぞいて、世界に誇れる音楽文化は日本にはない。彼女たちにとってもこのような楽器を使った伝統音楽はあまりなじみのなかったものらしいが、彼女らはきちんと伝承してもらい、自分たちのものとしてさらに独自に昇華した。とうようさんも気に入るはずである。こうして言葉にするだけでもはや完璧。しかし、本当に僕が言いたいのはこんな理屈を吹き飛ばすかのようなこの人たちの音楽の素晴らしさである。もう、これはCDを聴いてもらうしかないのだが。ちょいと出来るようになったらこのページ上で聴けるようにしようかな。あと、2nd「(インシャラー「希望」というタイトル)も日本盤が出ているのだが、日本語訳詞が付いていてそれを読むと、その内容もまた素晴らしい。こんな激ポップな音楽なのに、解説によると2人ともまだ20歳そこそこ(1998年で)なのに、自分たちの置かれた民族的な状況の上で、政治にまで言及している。やっぱりパンク(僕が使うこの「ロック」や「パンク」といった言葉は、「マジ」「本物」「ピュア」といった意味の言葉だと思って下さいね)。まだまだいっぱい言いたいことはあるのだが、締めますね。「とにかくせっかくなのでぜひこれを機会にこの素晴らしい音楽に触れて下さい。おそらくかなりの確率で損はしません。もし聴いてみてあまり好きな音楽でなくても、なにかしら大きな発見があるでしょう。世界にはまだまだこのようなきらきら光る宝石のようなものが眠っているのだろう。すごく幸せなことに、ひとつ見つけました。みなさんにもそれをぜひ伝えたかった。」以上。(2000/11/17)
[0018] Roger Daltrey & Friends「Sings The Who Songs / Live at Carnegie Hall」(UK)
今久しぶりにスカパーのMusic Air Networks(271ch)をつけたら、ちょうどカーネギー・ホールでの「ロジャー・ダルトリー&フレンズ」のライブが。50才の誕生日記念でThe Whoの曲ばかり歌うらしい。おー。かっこいいなぁ。ゲストがいっぱいで豪華豪華。あー、でもドラムは僕のきらいなサイモン・フィリップスだ。お前には感情の波がないのか。しかももともとあの天才ヘタウマ・ドラマー、キース・ムーンさまが叩いていた、あの、むちゃくちゃ「感情なすがまま」ドラムをきっちり叩きやがって。バカもーん!責任者出てこーい!はいはい、うまいうまい。「計算され尽くしたノリ」なんてロックの敵どす。スティーブ・ガットとかね。大きらいどす。ミック・ジャガーのソロ公演でサイモン・フィリップスがあのストーンズの曲をあのノリのまったくないドラミングをしていたとき(特にホンキートンク〜のとき)は、殺意さえ覚えました。ギターのジョー・サトリアーニはわざわざカウボーイ・ハットかぶってくわえタバコでキースの「ずれずれギター」を完コピしてたのに。ここまでやったら「計算され尽くしたノリ」も凄すぎて感動するけども。まぁストーンズも僕にとってはどうでもいいのですけど。The Whoっていい曲多いなぁ。オーケストラとの共演。サックスにデビッド・サンボーンか。この人もあんまし...だけどむかし吉田美奈子さんのアルバムで吹いてたので許す。あっチーフタンズだ。パイプ奏者のカルロス・ニュネスさんもいるぞ。今よりまだ前髪が...いやいや音楽とは何の関係もありませぬ。おー、ケルトケルト。と思ってたらそのイントロで「Baba O'Riley」だ。横で歌ってるアルビニ兄はんみたいな人はシンニード・オコーナー。メガネかけたらものすごそっくり。あー、ジョン・エントウイッスルだー!すげー!この人はすごい。変なベースソロをばしばしと。アコースティック・ギター型のベースにファズかけて歪ましてるぞ!おとこやのー。兄貴さすがやのー。ハープの旋律に導かれて始まった「Behind Blue Eyes」。おおー。泣けるのう。ほんで「ピンボール・ウィザード」。この曲はもともとなんかの交響曲のコード進行をそのまんまぱくったとピート・タウンゼント大先生が自分で言ってたが、それをオーケストラが楽譜前にして弾いてます。なにをかいわんや。あ。でたー。そういってるとピート大先生が。この人、難聴でもうアコギしか弾かないそうで、これまた男やのう。耳がやられるまででかい音を出す。これぞ本当のロック。アコースティック・ギター弾いてても、この人はロック。あー、この曲「Who are you?」だ。先生が歌ってる。いいねぇ。といってるうちに「Won't get fooled again」。名曲やのー。しぶいのー。「ある日革命が起きてそれまで政府を批判してた奴が支配者になった。でも結局結果は前と同じだった。もう、だまされないぞ。ばかばかしい。」ってな内容でしたね。確か。こう言うのを見てると、オーケストラって、完璧に電機増幅の楽器やマイクをたてて叩きまくるドラムには負けるなぁ。画面見て「あ、いたの君たち」って感じ。ディストーション・ギターはどんな楽器より強い。こういうのを見るとよくわかる。あ、今終わりました。そうか、ボブ・エズリンのプロデュースか。なるほど。しかしなんでテレビ見ながら実況してるのかしら。日記を書いててこうなっちゃったのだが、もう、[music]のほうに載せちゃおっと。ジミヘンを聴いてトランペットにファズ、ワウをかけはじめ、4ビートを捨てたときのマイルス・ディヴィスは「もうジャズは博物館に入ってしまった」と言った。アメリカでストーンズがロックの殿堂入りをしたときの式典でミック・ジャガーは「アメリカ人はなんでも博物館に入れたがる」と皮肉を言った。カーネギー・ホールで博物館に入ったようなロック。でも、The Whoの曲はどこでどうやってもロック。曲がロックしてたらほかのことはどうでもいいのだ。(翌日撮ってたビデオを見ながらまた加筆修正した僕ってヒマなのか?)(2000/11/13)
[0017] Aimee Mann「Whatever」(America)
僕たち80's野郎にとってはバンド「ティル・チューズデイ」のベース/ヴォーカルの人という認識がまだ強く残っている。実にいいバンドでした。「ヴォイシズ・キャリー」って名曲だよな。で、そのリーダーでありソング・ライターであり、ベーシストだったのがエイミー・マン。このグループは当時のニュー・ウェイブ・ブームにのりけっこうヒット。でも2ndはいまいちで、よく中古レコード屋さんで安い値段で売ってました。それから幾年かが過ぎリリースされた初のソロ・アルバムがこれ。いやー出たときはびっくりました。「あぁ、この人あのティル・チューズデイのあの人か!」で聴いてみるとこれまたものすごい名曲揃いのアルバム。これもいまだによく聴きます。たぶん全曲歌えます(えっへん)。それほど聴きこみました。アメリカン・ロックの持つハーモニーなどのいいところと、ブリティッシュ・ロックの持つちょっと憂いを含んだひねくれた魅力を兼ね備えた、というような常套句しか浮かんでこないのがまたはがゆいですが、ほんとにとってもいい曲ばっかりで、なんだかすごいアルバムなのに過小評価されているなぁ、とずーっと思っていました。で、びっくりした。例の映画「マグノリア」。監督はフィオナ・アップルの恋人だというなんとかさん(忘れた)。この人がエイミー・マンの音楽が好きで、エイミーさんの曲を元にして作った映画だというじゃありませんか。映画は大評判でサントラ盤も大ヒット。サントラはほとんどがエイミーさんの書き下ろし曲。このエイミー・マンって誰?みたいなことにやっとなったのです。ほらみてみい。「うれるまえから、おっかけやってっしー」です。ほんとに言いたいわ。でっかい声で。ほかにあのニルソンの曲をエイミーさんがカヴァーしたのが冒頭でながれたり、お懐かしやのスーパー・トランプの曲が使われていましたが、映画で一番印象的なシーンで登場人物がみんな口ずさむというまさに要の曲がやっぱりこのエイミーさんの「エイミー節さくれつ曲」。でもこのぐらいで当然。いままでがものすごい過小評価だったのだよ。バークレーで理論を学び、派手な格好でベースを弾きながらバンドで「MTVアワード(確か)新人賞」を受賞。バンド解散後リリースしたアルバムはかなりの名盤なのにほとんど評価されず、やっと来ました。エイミーの季節が。でも「あーあの映画の音楽の人ね」で終わってしまいそうな気もしてちと不安。「いっかい流行ると終わる」という法則がこの世界ありますからねぇ。でも待ってくれ、せめてこの1stアルバムだけは絶対に忘れないで聴いてくれ。特にびっくりしたのが、あーなんだかバーズのロジャー・マッギンみたいな12弦ギターが鳴ってるなぁ、と思ったらほんとにロジャー・マッギンが弾いてた(しかも「タンバリン・マン」や「ターン・ターン・ターン」を引用している!)こと。才能に才能が集まる、ということですな。ほんとにいいぞ。映画のおかげでこのアルバム、また日本盤が再発されているので、ぜひ聴いてみて下さい。というわけで結論。「優れた才能はいつか世に出る。」別に映画に使われて名が知れただけだが、それまではほとんど誰も耳にしなかったのだから、たいへんいいことでした。この1stのあと、2枚のソロ・アルバムがでていて、それぞれ素晴らしいです。でもこの1stが一番好き。(いまめずらしくCD引っぱり出してきて見たらジャケット写真はあの「Anton Corbijn」だ。そういえばこの人の写真集持ってたなぁ。そうかそうか。つながってたか。)(2000/11/08)

[0016] GO-KART MOZART「Instant Wigwam and Igloo Mixture」(UK)
ずーっとかばん(といってもレコ袋だが)の中のCDケース(がんばればCD中身だけ15枚は入る)に入っていたがなぜか忘れていたのをよく見ると「GO-KART MOZART」のだった。そういや、買ってからあんまり聴いてないなぁ。と思い聴いてみた。うーん、へなへな〜。「へなちょこ」という概念を音楽にするとこうなるのではないか、というほどのへなちょこぶり。「とん、ぽしゅ」ってな感じのリズム・マシーンならぬリズム・ボックスに、ムーグ(かもしれんが音の太さが違う気がする)ならぬアナログ・シンセがふにゃ〜びよびよ。そして牧歌的コード進行のけっこう泣かすインスト。元気はないがキーボードはうまいプラスティリーナ・モッシュみたい。で、次に出てきたへなちょこ歌。ヴォーカルって書くのもおこがましいような。でも、この人けっこううまいやん。えっ?この人って実はあのフェルトのローレンス。お元気そうでなにより。今でもよく聴きますよ、あなたの音楽。もちろんデニムも。くわしくはフェルトについてのところをまた書きます。簡単にいうと、英国いちだった元祖ネオアコ・グループ。で、そのヴォーカリストだったローレンスさんが最近こういうバンドをやってると。どんなことやってるのかなーと思って手に入れたのがこのアルバム。買ってすぐは「うわーへなちょこ!がははは!」でフェルト・ファンの友達と盛り上がって終わって、しばらく忘れていた。なんでも若いもんと一緒にやってるバンドみたいでたぶん「ローレンスさん、これからはへなちょこやで。やっとあんたの時代が来るで。こんなんやりましょ。」とか言われて「そーかー、ほないっちょ俺のへなちょこパワー久しぶりに全開でいこか。らーらららー」「あかんあかん、にいさんそのルー・リードもどきはもうはやらへんで。にいさんらしゅう、歌ってみはったら。」「そっそうかー。じゃあ、らーらららー」てな感じで(なぜか大阪弁)けっこうわきあいあいとやってる雰囲気。ルー・リードぽくない歌い方だとうまいじゃないですか。いるよなぁ、こういうわざとはずす歌い方をする人。ボブ・ディランの直系ですな。フェルトのあとローレンスにいさんが結成したデニム(フェルト解散後、もっと強いものを、とデニムにしたらしい)も80'sにレイド・バックしたちょこっとへなちょこな音楽だったが、デニムにはもっと突っ張りがあった。「So I'm back in denim」と宣言し I hate stones,marvin gaye〜」と歌い、反骨精神ばりばり。で、おそらくフェルトも(インディーで発表したあまりにもパンクな1stシングルindexを聴けば特によくわかる)いわゆるパンクを超えるものとして、あの繊細で内向的な美しすぎる音楽をやってたのだ。デニムは90年代にそれを「80's」というあの時代の勢いを元にすることによってもういちどがんばった。そして、この「GO-KART MOZART」。はっきりってここにはなにもない。アナログシンセがぴゅわーんと鳴ったところでそんなものはもう、90年代にさんざん「もういちど使い古された」ものだし。でも、ローレンスのこのバンドには恐ろしいほどの主張があるのだ。「オレタチニハモウ、ナニモナイ。」という、うすら寒い真実が。ただのこじつけに聞こえるかもしれないけど、フェルトがすごく好きな人にはわかってもらえる気がする。もう、やるべきことはなにもない。いつのまにか年もとった。でも、へんちょこな音楽をやりつづける。理由のないこの行動。でもね、これを聴いてるとフェルトの使命も役割も、いままでよりもっとよくわかる。ちゃんとそれをまっとうしたバンドだったこともはっきりする。影をまとう必要のなくなったローレンスはとっても明るい。たのしそう。でもその声の持つアイロニカルな響きは少しも失われていない。モリッシーとかフォールのマーク.E.スミスとかいったある種の英国人にしかない、あのニヒリズム。それが健在だというだけでもこのバンドには特別な存在価値がある。とってもいいアルバムだとはいいません。でもフェルト、ローレンスに思い入れのある人にはとても大事なアルバム。でもフェルトのことなんにも知らない若い女の子が「カワイイ感じでいいですねぇ。フェルトもこんなんなんですか?」といってたのでひょっとすると大ブレイクするかも...。いやー、やっぱ、ぜったいムリ。ははは。でも、2曲ほど「ローレンス節さくれつ」のめっちゃ泣かし曲があるぞ。ウェブ検索しててわかったのだがほとんど同じつづりの名前のまったく違う「スカコア」バンドがあるので注意。念のため。では次はフェルトについてがんばるか。(2000/11/08)
[0015] Felt「The Strange Idols Pattern & Other Short Stories + Ignite The Seven Cannons (2 in 1 CD)」(UK)
フェルトはけっこういっぱいアルバムだしてて、時期によってレーベルもメンバーも音もぜんぜん違ったりするので、とりあえずここではこの2in1のCDに入ってるころについて書きますね。人にもよるが、ほとんどのファンはこの2枚をフェバリットに上げるのではないでしょうか。なんてったってあの天才ギタリスト、モーリス・ディーバンクが超バリバリのギターをこれでもか!と弾きまくり。まずはこの人について。「ロック・ギターは、ブルースの呪縛から逃れられない」という定理がある。もちろんいわゆるロックはブルースから発展したのだから当然。エレキ・ギターを弾く人は、どんなに嫌でもブルースをなぞってしまうのだ。あらゆる手本となるものが、そういうものに基づいているから、これはしょうがない。「ブルース大嫌い」という僕でも3コードのブルース・フレーズなんかいくらでも弾ける。これはエレキ・ギターを上達するためのメソッドにある、チョーキングとは?とかそういう練習を積んできたからである。で、ほとんどのエレキ・ギターを弾く人は知らず知らずのうちに潜在的ブルース・ギタリストに成長してしまうのである。フェルトやその他の大きく「ネオアコ」とくくられるバンドに共通する概念の一つに「ブルースしない」というのがある。付け加えると「しかしリズムは跳ねる」のである。簡単にネオアコを音的に説明すると「ブルースしないフォーク、クラッシック・スパニッシュ、ジャズ、ボサ・ノヴァ・ギター+白人ファンク・ベース+ロック・ドラム」となる。ちょっとあなたの好きなネオアコ曲を思い浮かべてください。まぁ、例外もたくさんあると思うが、ほとんどこれでしょう。ベースが跳ねるところがポイント(「ドドドドー」ではなく「ドーッドドー」という感じね)。で、このフェルトの黄金期を支えたモーリス・ディーバンクのギターは「絶対にブルースしない」典型。スパニッシュ・ギターが根本にあって、ストラトキャスターを弾いてるのだが、まずチョーキングは絶対にしない。ビブラートはもしやってもヴァイオリン式で、弦に対して平行な指の揺れでかける。これはジャンルはちと違うがP-MODELの平沢さんも同じ(蛇足ながら平沢さんのギターのポイントは「ホールトーン」という全音ずつで分けたスケールで「美術館」も「カルカドル」もぜんぶそう。この人のギターも絶対にブルースしない)。このへんの潔さがネオアコ特有の清潔感を生む。汗くさくない音楽になるわけだ。ポスト・パンクといわれるゆえんで、そういう清潔さが、汗くさい、うるさいパンクにたいする新しい態度だったのだ。そういうことの頂上に光輝くのがこのモーリス・ディーバンクのギター。スパニッシュがベースだが、かといってそれだけではない。ブリティッシュ・トラッドの要素もクラッシック・ギターの要素も強いが、どーんとあるのは「ディーバンク節」。独特のメロディーライン。これがこれまた独特のつぶやきヴォーカルの「ローレンス節」と折り重なって何ともいえない不思議な世界が構築される。このころのアルバムの曲をよく聴くと、ふつうの「ヴォーカルが主旋律」で「ギターがコード+裏メロ(ハモリやオブリガード)」ではなく、それが逆転したような形の曲が多い。とってもめずらしいと思う。どんなに言葉で説明してもよくわからんと思うが、その独特の美学が「ジャンジャカ、ジャンジャカ」の上に「ラーラーラー」というふつうの「歌」のフォーマットに拮抗しているのだ。いくら荒く、でかい音で、なげやりにしたところでこういうふつうのフォーマットから逃れられていない「パンク」より、フェルトの音楽は「既存のフォーマットに反抗」している。しかも美しい。こんな成り立ちで、こんなにも美しい音楽はほかに聴いたことありません。英国人特有のニヒルでジェントルでエレガントなアイロニー。フェルトの孤高の輝きはまだだれも越えられていないし、だれも、マネすらできない。ローレンスさんのその後のことについてはここに書きましたが、モーリス・ディーバンクさんは、だいぶむかしにひょっこりセント・エチエンヌのシングルのカップリング曲(この曲もほんまにばりばりのディーバンク節がさくれつしまくってました)でギターを弾いていたのが最後で、その後の活動はわからない。どうしてはるのでしょうか?もちろん唯一のソロ作品「Inner thought zone(なんという素晴らしいタイトル!)」も激名盤。ギターの好きな人にはぜひ聴いてほしい。エレキ・ギターで作り出された最高のインスト・アルバムです。またどんなかたちでもいいから、早く新しいギタープレイを聴かせてほしいものです。僕、ずーっと待ってるからね。(2000/11/07)
[0014] チョPD「stardom ver.2.0」(korea)
今日の1曲の[0001]で取り上げたチョPD(チョピディ)。あれからハマってしまい、全アルバム3枚をそろえました。と同時にもう一度ちゃんと御紹介。彼は在米の韓国人で、曲を登録して人気を決めるインターネットのサイトで人気を得てアルバムを発表。過激な歌詞もあいまってそれが大ヒット。そして表に現れない、顔を出さない謎のアーチスト/プロデューサーとして噂が噂を呼ぶ状態に。彼の音楽は、ヒップ・ホップをベースとした多種混合もの。ミステリアスで硬派なイメージのDJ/ラッパーという印象でした。そして2nd「stardom ver.2.0」はバリバリのゲスト・ヴォーカリストを迎えたアルバムで、UPTOWN(オプタウン←のちにタシャニーでも活躍)の「超バリバリ・ソウル・ラップ・ヴォーカリスト」ユン・ミレを1曲めに迎えてのソウルフル・ヒップ・ホップ。オプタウンもそうだが、こんなすごいハングルのヒップ・ホップを聴いたら、もう英語のがダルいです(日本語のはもちろん問題外です)。そして!聴いてからずーっと身体にしみついてはなれない3曲目名曲「Fever」これにはあの、イ・ジョンヒョン嬢が。この人についてもまたくわしく書きたいと思ってますが、女優で個性的なスターとしてデビューし歌手活動を始めるも、そのあまりに過激で独特なファッションと歌で世間を騒がせ、何曲もチャートNo.1になった女の子。この曲に参加したころはまだ歌手デビューしておらず、ある意味貴重な1曲。とてつもなくクールなテクノ・ヒップ・ホップで、しかもちゃんとポップなところがすごい。この曲のクリップはもう、何回見たかわかりませぬ。ほかにも何人かのゲスト・ヴォーカリストが参加。2nd発表時、なんとサイン会かなんかを開いて、にこやかに登場したりそれまでの「謎の男」のイメージを払拭。ミステリアスなところや過激な歌詞が好きだったファンからは不評だったらしい。その後ライブを行い、それがライブ盤としてもリリースされています。これを聴いたとき、これまたビックリしました。彼の今までの曲で「ヒップ・ホップ・パーティー」のように盛り上がっている中で、なんといきなりビートルズの「Oh! Darling」を完コピ。しかも続いてイーグルスの「ホテル・キャリホルニア」!これまた完コピで、歌めっちゃうまい!ただものではありません。口をあんぐりしていると、そのあとあの名曲「Fever」。フィーチャーされているイ・ジョンヒョンちゃんはでてきたのか声だけテープだったのかはわかりませんが、ライブ・ヴァージョンもすさまじくカッコイイ。最近m-netでクリップが流れた2ndに収録の「私を忘れて」という泣かしヒップ・ホップ曲もまた素晴らしい哀愁ラップ曲なのですが、この曲でサンプリングしている12弦ギターのモトネタはおそらく「ホテル・キャリホルニア」だな。ライブ盤聴いて確信しました。さすがです。センスが並外れています。彼は在米なのでこのへんの曲がナツメロといった感じなのでしょうが、やはりただのアメリカ人とは違って独特の音楽を作っています。げに恐ろしきはコリアン・アーチストなり。こんな人が英語でアメリカ音楽界に出てきたら、たぶんそのへんのやつらはブッ飛ぶでしょうな。差別があるのでムリだけど。日本にいて、このアーチストの音楽に出会えたことを感謝しよう。もったいないのでみんな、聴かなくていいぞ。この幸せ自分だけ独り占めしよっと(←やけになっておる)。(2000/11/04)
[0013] Dry&Heavyのイベント「echomaniacs」レポート(2000/10/28大阪ベイ・サイド・ジェニー)(Japan)
あまり予備知識なく行ったので、開演30分すぎに入ったとき、バンドがステージ上にいなくて「あー、良かった。まだ始まってなかった」と思いきや、ステージ正面のブースでミキサー卓いじながらマイク片手にトースティングしているデニス・ボーヴェル大先生を発見。「うわーやっぱり始まってたー」と近寄り、まじまじと。「It' s a brandnew style!」といいながらニューリズムのものをかけたり、ばりばりのルーツものをかけたり、ばしばしのシーブーイ選曲。さすがです。この人がスリッツの名曲シングル「I heard it through the bassline」やポップ・グループをプロデュースしたんだなぁ。と思うと感激もひとしお。スリッツのこれはザップのロジャー・トラウトマンのと、どっこいどっこいぐらいすごいマーヴィン・ゲイの「悲しい噂」の名カヴァー。僕がDJするときだいたい1曲目にかけます。これぞ「パンカレゲエ」。「グレイプヴァイン」と「ベースライン」をかけてるわけです。レゲエのいちばん要の楽器はベース。デニス大先生はダブ・ポエタリー・レゲエという独特のスタイルでラップの基礎を作ったといわれるえらーいレゲエ・ジェントルマン(いつもスーツと帽子を欠かさない)LKJ(リントン・クェシ・ジョンソン)様のバンドでベースを弾いたり、UKパンクバンドのレゲエ・トラック作りに数多く起用された名プロデューサーで、ご自身のソロ・アルバムもリリースしています。最後はあのサッチモ(ルイ・アームストロング)で有名なスタンダード・ジャズの名曲「What a wonderful world」のレゲエ・ヴァージョンを熱唱して終わり。そのあと、あの「ニュー・エイジ・ステッパーズ」の、ON-Uレーベルの創設者で最近ではプライマル・スクリームのアルバムをぐしゃぐしゃにした「エコー・デック」というダブ・アルバムでも有名な「ダブに取り付かれた英国白人」エイドリアン・シャーウッドが登場!デニス・ボーヴェルさんはLKJのメトロでのライブで一度見たことがありますが、「バンドのベーシストと」いう感じだったので、この「左手にフェーダー右手にマイク」のラガDJスタイルは強力でびっくりしました。シャーウッド氏には前に一度お会いしたことがあります。その時僕が働いていた京都店に、何年か前に日本のオーディオ・アクティブ(このグループのベーシストがドラヘビのベーシストなんだって。なるほどー!)というダブ・ユニットがアルバム・リリース時のインストア・イベントで来て、そのアルバムのプロデューサーだったので一緒に来られてたときに、CDを買いたいというので案内したのです。さーてなにを買っていったでしょう?ちょっと考えてみて(答えは最後に)。シャーウッドさんはこのデニスさんのあとに出てきたときはわりとあっさり。で、今度日本でもアルバムが出る3 HeadというUKのニュー・スタイルのダブ・グループがステージに登場。このグループの紹介文にもありましたが、マッシブ・アタック(シブアタ、と略す。マッシブとかいっちゃダメヨ)にバイオリンが入ったような感じ。ドラムもギターもいわゆるレゲエ・ビートは刻まない。エスニックなリズムもあって、へんてこだ。しかしベースはばりばりラガ・ベース。ちょっと4ADっぽい雰囲気もただよう。僕にとっては、ちょっとポップさに欠け暗いが、好きな人にはたまらんだろう。そのへん好きは覚えといてください。スリー・ヘッドです。その演奏をシャーウッド氏が卓でバリバリのダブミックス!ミキサー卓のあるつまみを回すとスネアが「ズゴーン!」別のつまみを回すと歌が「あぅあぅああぅあぅあぅ」っと。しぶすぎっす。イカスッス。さてこの次。アンディ・ウェザオールだ。テクノ系のダブ好き野郎だとうわさは聞いてはいたが作品を意識して聴いたことはなし。最初はわりとテクノ〜ドランベっぽい雰囲気だったが、途中からもう「野放し状態のダブ猿」って感じでした。すごかった。2時間ぐらいやってた。眠かったし気持ちよかったしうとうとしかけるのですが、ダブるときのあまりに刺激的な音でその都度覚醒。最近のDJの機材にはうといのですが、彼のやっていたパターンを解析するに、まず音源(ほとんどアナログ盤)にウルトラ・サブ・ソニックの出るエフェクト(超低音域補強装置?とでもいえばいいのか)をかける。ベースがものすごくブンブンいう。もう、こういう低音を浴びると、車や家で聴く音がしょぼくてしょぼくていけません。しばらく音楽聴けません。そして曲の途中でサブ・ソニックを切り、同時に低域をカットするようなイコライジングにしたセッティングに切り替える。するとベースが消えたブレイクの感じになる(ベース音はかすかに聴こえるがほとんどなくなったような感覚)。そしてこのベース抜きの上ものにエコー&リバーブをばしばしとかける。こういうやりくちだと思います。「これでもか、おらー」という声が聞こえるかのような過激なエコー。ここでどんなに眠くても目が覚める。めちゃめちゃ轟音なんだけど耳障りじゃなくて、しかしものすごく刺激がある。すごいやつです。この人、ほっといたら何日でもこれやってるのと違うやろか。というぐらい楽しそうに。クールなDJぶりでした。んで、3時頃お待ちかねドラヘビ登場!こりゃーもう、ほんとに会場全体が揺らぎました。どよめきました。ここまでの人たちもものすごかった。でも、おれたちみんなおまえらを待ってたんだぜー!というどよめき。「わー」じゃなくて「うぉーっ!」でした。演奏も音も歌もそしてダブ・ミックスも超最高。すごいグループが出てきましたね。ほんとに。生でこんだけマナーにのっとった本格ルーツ・ダブ・レゲエをするバンドは他に世界中にもいないのではないか?レゲエ/ダブ好きはもちろん、ダンス・ミュージック・ファン、いやいや音楽ファンなら絶対必聴のものすごいグループですよ。まじで。ドラヘビと3ヘッド以外の人たちは世界中で名の知れたその筋のすんごい人たちばっかりですが、その人たちが自分の番が終わるたんびに「もうすぐドライ&ヘヴィーが出るから、もうちょっと待って」的なことをみんないってた。ドラヘビが好きで、聴いてびっくりして、にやりとして、ちょっと悔しく思ったりもして、でもお前らのためならなんでも協力するぜ!「ジャー・ラスタ・ファーライ!」って感じがみんなにみなぎってました。良い話だなぁ。アルバムからの曲プラス僕が聴いたことない曲もちらほら。全部良かった。すごかった。ステージとミキサー卓を両方見れる良い位置にずっといたのですが、この人たちのときは首をぐるぐると。ミキサーの手先を見るのも快感、バンドを見るのも快感。テニスの試合みたいに見てました。ベース、やっぱり音でかかった。やっぱりコンプレッサーまったくかけてないな。いさぎよい。レコーディングからライブまで「過剰な音量を押さえる」ことによって粒を揃えて全体の最大限の音量を常に得るというコンプレッサー/リミッターというエフェクターの効果をこの何十年の間にみんな当たり前のように使いすぎていたのではないか?寄り掛かりすぎていたのではないか?と感じました。「効果的だけど何か大事なものが失われる」という感じ。ほんとにコントロールされた演奏とPAのミキシング・テクニックを駆使すれば、いらないんだな。で、「押さえつけられていない」ぶんもっとでかい・強力な音になるわけだ。すごいぞ!それともうひとつドラヘビのサウンドの秘密を見つけました。ふるーい(が、一部の人たちの間ではいまだに強力に支持されている)エコーチェンバー。これがDJブースに置いてあって、これはドラヘビ専用の機材だったみたい。ローランドの名器「スペース・エコー」です。これはアナログ式のエコーで、といっても機械的にアナログ回路で音を遅らせる「アナログ・ディレイ」さえまだなかった頃の、テープ・エコー。今この手のエコーはほとんど小型で性能の良いデジタルの機材が使われる。エコーチェンバーをは簡単に言うと、電子部品で音を遅らせるエコーではなく、でかくて重い本体の中に磁気テープがセットされたほんとの「アナログ・エコー」。テープレコーダーのヘッドがいくつも付いていて、それに輪にしたテープをセットし、手前の録音ヘッドで録音した音を、少し離れたところにわざと付けてある再生ヘッドで読みとって鳴らす。テープのスピードとヘッド同士の距離で時間差がおこりエコーの長さが決まる、という何ともいにしえの方式。しかしその音はスペック的に見ると「悪い音質」なのだが、高域のこもり具合と繰り返し音の音質劣化がなんとも暖かくかっこいいので、こだわる人はめんどうだけど(テープを交換したり、でかくて重いので)使う。このへんのこだわり具合が、ドラヘビのすごいとこだ。ミキサーもステージにはいないが重要なメンバーの1人で、「「バンド全体の演奏」を演奏する」という立場。ミュートビートのダブマスターXさんが日本で初めて本格的にライブまで生でダブ化する、ということをやった人だと思いますが、この系統を完全に踏襲しつつ、ドラヘビの強みはヴォーカル。この女性ヴォーカリストはいいですねぇ。声がダブにするのにぴったりな「ダブ声」。高音に張りがあり、艶っぽい。まじでいいですねぇ。エリカ・バドゥーをかわいくした感じ。男性ヴォーカリストも、アルバムではちと弱い感じがしたのだが、ライブではすごくかっこよかった。ほかのメンバーもしかりで、見たとこふつーのお兄さんたちなのだが、目つきが違うぞ。まじめで本気です。まじめにレゲエを追求していくとなんか宗教がかってきて、そういうのはなんかきらいなのですが、この人たちの心にあるのは、ジャマイカン・レゲエ「ラスタ教」ではなくUKダブ「エコーチェンバー」なんだろう。その、エコーチェンバーやノン・リミッターなところが彼らの先陣たちを納得させ「愛される」理由。これからもばしばしトバしていってもらいたいもんです(2つの意味で)。レコードやCDではよっぽどの再生機がなければ再生できない音(特に低音)がもう、いやっちゅーほど身体で感じられるので、こういう人たちのライブはいっときましょう。その直後家で音楽聴くとみじめになりますが。このライブはもう、大大盛り上がり。イントロで「うぉーっ!」途中で「うぉーっ!」エンディングで「うぉーっ!」。みんな元気だ。若いっていいな。「熱狂ライブ」が終わったあとはまたまたエイドリアン・シャーウッド師匠がDJプレイ。ドラヘビのミキサーの人と交代するときにシャーウッド氏は「ローランド・スペースエコー」を指さして、なにやらドラヘビのミキサー氏の耳元で一言。ミキサー氏もにやり。なんと言ったか気になりますが、だいたいわかりますね(「こんどこれかしてくれへん?」かな?)。やっぱりこいつが要なんだろう。僕もそう思ってたので、今世紀最後の最高の「にやり」をこのシーンに捧げます。英米で向こうのレーベルからの強力なオファーがあってアルバムリリースされるので、もっともっと世界中にこの「なんじゃーこいつら!」は広がっていくのでしょう。もう一度「にやり」。シャーウッド氏のプレイ中3 headの男性ヴォーカリストがトースティング。グループではわりとニヒルなシブ目の音楽をしていますが、もう、元気に正統派ダンスホールDJぶりを発揮。シャーウッド氏も楽しそう。というとこいらへんでもう体力の限界が来て会場をでました。このあともなんかあったのかな?最後まで見てた人がいたら教えて下さい。

このイベント名は「エコマニアックス」。これをあとで知ったときまたまた顔がにやけてきました。

では締め。日英米に刺激的な良い音楽はもうないのか、とあきらめかけていた僕らの前にあらわれた世界最強のダブ・バンド。日本人であることを再び誇れるときがきましたよ。だって、UKダブ/レゲエ界の大御所がよろこんで共演してるんだもん。みなさん「俺たちの音楽で育ったような日本人がいて、ここまでやるとはなぁ。ははは。」ってかんじの表情で。英米で聴いた人たちがびっくりして「日本にはすごいやつらがいるなぁ、えっ君日本人なのに知らないの?」なんて向こうの知り合いに言われないように、ちゃんと体験しておいてね。

シャーウッド氏が買っていったCDは「効果音大全集」。その日のライブで使ってました。ヘリコプターの音とかね。なるほどなるほど。(2000/10/30)


[0012] 「特別寄稿ワン・ネイション・アンダー・ザ・グルーブ──テクノロジーと音楽の担い手たちの歴史から──」(松井元さんの音楽論)
とてもためになるので、ぜひ読もう。
→ここにアップ

[0011] The Jazz Butcher (Conspiracy) (UK)
(http://www.jazzbutcher.com/)←くわしくはここを見よ。

Jazz Butcher(のちにConspiracyが付く)。あるクラブの壁に書かれていた落書きから取ったというこのバンド名の単語2つ(3つ)を見ただけで込み上げるこの特別な感情を何と説明すればいいのか。「世界最高のB級バンド。」こういった表現をしてしまったらおしまい。でも、そういうアーチストにしか持ち得ない、この気持ち。このグループを知ったきっかけは、ある人からの手紙。ある雑誌に「英語で詩を書いています」という言葉と共に挙げられていた好きなバンドの名前見て、良い趣味だなぁと感心した僕は、「ぜひ自分のバンドで曲を付けたいので」とコンタクトを取り、詩を送っていただいたのでした。その詩は素晴らしく、気に入った曲もでき、才能ある友達が付けてくれたメロディーも完璧で、その曲は今でも僕の自慢の1曲です。で、その人からいただいたお手紙に「最近良かったのはJazz Butcherぐらいで」と書いてあった。ぜんぜん知らなかったので、CD買ってみた。それから、いわゆるロック・バンドの中で「なぜかいちばん好きなグループ」になってしまった。いつも「なぜこの音楽が良いのか」を説明するのに困るのだが、このグループについては、もっともっとむずかしい。ふつうは「〜が素晴らしい」「〜と〜が結びついてめずらしい」「〜が個性的」などの言葉をだしてきて理屈をこねられるのだが、このバンドに関してはムリ。はっきりいって何もこれといった特徴はない。言葉で説明できるところだけでもしてみようか。「Great american folk music」に魅せられたイギリス人パット・フィッシュを中心に結成。レーベル・メイトのウドゥン・トップスのロロ(なつかしい...)など参加した1stアルバムはグラス・レーベルからリリースされた。初期のギタリスト、マックス・イーダーはバウハウスのデヴィッドJのソロ(この人のソロ作品はネオアコ名盤多し!)にも参加したりして、この辺とのつながりもあり。グラス・レーベル分解後Jazz butcherの大ファンだったアラン・マッギーの希望で彼のレーベルクリエイションから何枚ものアルバムをリリース。アラン・マッギーは「オアシスでもうけた金で、俺はジャズ・ブッチャーのアルバムをリリースし続けるのさ。」という名言を吐いているし、ジャズ・ブッチャーのホームページのいちばん最初に彼のパット・フィッシュに対するものすごい絶賛のコメントが載っている。けっこういいやつである。ちなみにこのころのアルバムはちょこちょこ日本盤もでていたが、すべてすぐに廃盤。そしてメジャーになりすぎて自由にいろいろできなくなった、とアラン・マッギーは1999年クリエイションをやめる。けっこういいやつである。ほんならジャズ・ブッチャーはこれからどっからアルバムだせるのかな、もう無理なのかな、と思っていると、なんとVinyl Japanレーベルからニューアルバムがでるという記事が雑誌に!しかも来日公演までさせるという。さすがです。前に今日の1曲で書いたJane&Bartonのエドワード・バートンのソロ・アルバムを買ったのもこのヴィニールだったなぁ。こんなの売ってたの日本中でここだけ。西新宿のこのコアコアのお店は後にレーベルを起こし、たとえばモノクローム・セットとか欧米でリリースのむずかしくなったアーチストのアルバムをリリースしたり、注目していたのですが、なんとジャズ・ブッチャーまで面倒みるとは!りっぱです。ほんまのロックをわかっとる。ロック雑誌もたまには見てみるもんだなぁ。たまたま見たのに。神様ありがとう。で、難題にとりかかろう。なぜにここまで好きなのか。ぜんぜん好きじゃない曲もいっぱいある。点数評価なんかしたとしたら、おそらく高得点はムリだろう。ロック史には...残らないかもしれない。でも、僕にとってはどんなほかの有名な曲よりも心にしみる曲を歌っている。ほんの何曲か。どんなほかの曲より、どこかずば抜けている。そこが僕をひきつける。「いい音楽の定義」なんていうものとまったく逆のところにある、なにか。2000年その夢のようなライブが大阪でもあり、終わったあと僕はカウンターのところで談笑するメンバーたちに「angels」の7インチを差し出した→「サインして下さい。」もちろん、マキシミリアンのいるころのシングルだ。「いいよ、どうぞ」サングラスを外したパット・フィッシュはにこやかだ。思ったよりふつう。にこやかなおじさん。恥ずかしいけど言ってみた「えー僕はあなたの曲、Mr.Oddがフェバリット・ソングなんです。とってもいい曲だと思います。それで、僕、自分のバンドでいつも歌ってるんですよ。」途中、この名曲が入ったアルバムには参加していないマックスが「そりゃすごいね」と言ってくれる。いい人だ。サインもらって、握手もしてもらって、いっぱい尋ねたいことがあるのに何もきけず。でも、なんとなく実際ライブを見て、会って、ちょっだけわかった気がする。なんというか、ロッカーが持ついやーな自意識みたいなものがないんだなぁ。「こういう音楽が好き、で、だだそれを好きなようにやる。」それだけの話。これがふつうにできているアーチストが、実はあまりいない。自然体。「自然体を自分に強いてやっている」人たちがいかに多いか。そんなことを考えました。以下、「なぜこんなに好きなのか」を解く鍵となるエレメント。

・グラス・レーベル時代のジャジーなフォーク・ロックが素晴らしい。

・マックス・イーダーのギターが素晴らしい。

・クリエイション時代のマスターピース、特に「Cult of the basement」→が素晴らしい。僕を永遠に泣かせ続ける超名曲「Mr.Odd」はこれに収録。実にいいアルバムです。

・ライブ盤「Western Family」に入ってるGaraxie 500の超名曲「Tug boat」のカヴァーが泣かす(最初買ってすぐに車で聴いててこの曲が始まったときには「うぉーっ」と叫んで事故りかけました)。このアルバムには他に「Over the rainbow」なんかも入っててこれまた泣かす。

・21才で癌で亡くなったアメリカの女性漫画家「Summer Brannin」さんの生前好きだったアーチストの曲を集めたコンピ盤(チャリティー・アルバムにもなっている)「Songs For Summer」で、ジャッズ・ブッチャー名義でビート・ハプニングの「インディアン・サマー」をカヴァーしてるのが素晴らしい(このアルバムのためだけにレコーディングしている。オケが打ち込みのため、おそらくパット氏がひとりで作ったものと思われる)。このサマーさんはパット・フィッシュがフェバリット・ヴォーカリストだったそうで、これまた素晴らしい。こういう人がやっぱりいるんですね。このコンピほかにもすごくしぶい、いいアーチストがいっぱい入っている。すごくセンスのいい選曲。ぜひ買おう。

・なによりパット・フィッシュ氏が持つセンスが素晴らしい。

とまぁ、ざっと思いつくことだけですが、なんとなくわかっていただけたでしょうか?このバンドに限っては、もう、なにも書けません。自分でもよくわからんような感情がうずまいている。

そうそう、すごいエピソードをひとつ。うちの奥様がむかし働いていたところで知り合った音楽好きの女の人が、むちゃくちゃジャズ・ブッチャーのファンで、「ブッチャー」という喫茶店をやっていたそうな。これ、ほんとにものすごいですね。最初きいたとき、信じられませんでした。でも事実。ジャズ・ブッチャーのファンだから、逆に納得できるという気もします。そこまで人をひきつけるなにかを、やはり持っている。ヴィニール・ジャパンの人にしてもそうですね。まさに「カルト・オブ・ザ・ベイスメント」。理由は何なのか、ははっきりわからない。

と、こういう文章を書いていたら、職場でこんなニュースが。「ヴィニール・ジャパン・レーベルより、ジャズ・ブッチャーのグラス・レーベル時代のアルバムが再発!」うわうわうわう!むかし2in1でCDかされていたらしいが、めちゃめちゃ久しぶりのCD化でしょう。まったくもって素晴らしい。ちょうど頭がジャズ・ブッチャー・モードだったので喜びもひとしお。その案内FAXを受け取ったのが自分だったのも良かった。ロックの担当の人が見ても、「あっそう」で終わってたかも知れないからな。来日の記事を見たときもちょうど普段まったく読まないロック雑誌をたまたま読んでたときだったし。神様はきっといる。ごくたまーにそう思うときがありますね。僕は無神論的実存主義者ですが。やっぱりこのFAXを見た日、ちょうどライブ会場で買ったジャズ・ブッチャーのTシャツを着ていたのが良かったのかも。「日頃の行い」ですね。





珍しく補足を。僕の「人生の1曲」のひとつ、超名曲「Mr.Odd」はクリエイションからのベスト盤←「!ecsellent!」に入ってて、まだ手に入るみたい。ほかに入ってるアルバム「Edward's Closet」というベスト盤と「Cult of the basement」はおそらく廃盤。ざんねん。

何年かぶりにコラボレートしたマックス・イーダーとの最新型ジャズ・ブッチャーのアルバムはROIRからライブ盤←「glorious&idiotic」




VINYL JAPANから最新スタジオ録音盤「Rotten soul」←がでました。ぜんぶ最高。そしてマックス・イーダーのソロアルバム「Best Kisser in the world」も今年再発されています。激名盤。そして激マニアが日本公演をひそかにCD焼いてつくった「Eastern Family」というブートがでまわっています。とってもいい音で素晴らしいオーサリングの施された愛情あふれる2枚組。これは売ってませんのであしらず。

とりあえず結論。「よくわからんがものすごく好き、ということもある。以外とそれが大事だったりする。」それがロックだ文句があるか。(2000/10/19)



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