[books]
「私は書店で本を選ぶときに、ある死刑囚の最後の一言をいつも思い出す...『最後にもう一回だけ、あの神様の本を読ませてくれないか?』。死にゆくその時に、私は何を読みたいと思うのだろうか?」
_____ Perry. J .Vorks「Time and A Word」より。
[0001]「じゃがたら」陣野俊史
久しぶりに行き帰りに本を読みました。うちの奥様が買った「じゃがたら」の本。陣野俊史という人が書いたもの。僕はじゃがたらの音楽はあまり好きじゃありません。「日本人って暗いね」という言葉通り、そういう暗い日本人の性格が作った音楽だというところが「直接身にしみすぎて」ちゃんと聴けない。僕はあんまりそういうのを聴いて「すげー」とは思わない。それと、音楽的にもあまりピンとこなかった。「岬で待つわ」がちょっと好き、というぐらい。しかも女性コーラスのパートが好き。リズムは僕も自分で音楽やっててものすごく影響を受けた「Talking
Heads」系でシンパシーは感じるが、あまりにもモロで、ちょっときつい。でもやはり「なんのこっちゃい」のビデオを全部出たときに買ったといううちの奥様が好きだということもあって結構聴いている。後期のライブをテレビでやったのも見たが、全員赤いスーツとか着てて「だせー」という印象。
でもこの本を読んでやっぱり「すごい!」と思った。あの「あんまり好きじゃないけどすごい」という典型的な例。しかし、「じゃがたらがだんだん神格化されていくのがいやなので、ありのままを伝えたかった。」というコンセプトはちゃんとそういう姿勢が取られていて成功していると思うのだが、「ありのまま」が「エキセントリックで神様」みたいなものなのだから、「ありのままでこれかー」とよけいにそういう畏敬の念は高まるのだった。これはしょうがない。ほんとにすごいんだもんな。
「いかに日本語の持つリズムでビートを作るか。そういう命題に対しての挑戦を続けた」という音楽的考察が書かれているのだが、P-Funkとフェラ・クティーだけしか喩えに出してないのが気になった。この2つを核にしてポップ化し、大成功した「トーキング・ヘッズ」こそ、おそらくじゃがたら「も」最も直接影響を受けたものなのではないだろうか。「じゃがたらも」と書いたのは、当時、他にもたーくさんのグループがめちゃめちゃ影響を受けていたからである。例えばローザ・ルクセンブルクとかね。もう、もろである。でもナゼかヘッズに影響された、と公言するバンドは少なくて、「フェラ・クティー」が出てくる。そのほうがかっこいいからか。それに、OTOが目指したワールド・ビートについても、もっと詳しくつっこんで欲しかった。結局アケミ+バンドという印象を残す危険がある本だと思う。僕は彼の詞にも歌にも、インパクトは感じるがあんまりシンパシーを得られない(好きじゃない)ので、僕にとってのじゃがたらとは、ほとんどあのリズム隊とカッティング・ギターなのだ。そういうファンからすると「アケミの思想に始まり、アケミの死で終わったアケミの詞とパフォーマンスが中心だったバンドの本」という風にしか読めなかった。もちろん、文章で現される書籍としてこういうスタンスがいちばん分かりやすいし面白いので良い本だと思うのだが。途中OTOの発言に「じゃがたらから江戸アケミを抜くと、けっこうまとまった音楽になる」というようなものがあった。僕のような趣味のものは、その音をぜひ聴きたいと思う。
こういう本が出て、ここまで語られるのはやはりアケミが「神格化」されていることのまぎれもない証明であり、読み終わっていちばん強く印象に残ったのは「この本でもっと神格化されるやん」という感触だった。こんな人、「神格化」しないでいよう、なんて思うのがムリなのではないだろうか。「事実が脚色されて誤解されている部分を正したい」と思って「事実をありのままに書いて」いったら、脚色された話よりもっとすごかった。って感じかな。あんまり好きじゃない僕にここまで書かせる、とっても興味深い本でした。
(インタビューで明かされる、南流石さんが新幹線で遭遇する「あるエピソード」がなんとも素晴らしい。この数行のためだけにでも読む価値あり。)
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