Miriam Makeba / Homeland
(ミリアム・マケイバ 「ホームランド」)←back to list
'32年南アフリカのヨハネスバーグで生まれた Miriam Zenzi Makebaは '54年マンハッタン・ブラザーズという当時人気の男性4人のジャズ・ヴォーカル・グループに参加し注目を浴びます。そしてその後、自分のグループ「Skylarks(スカイラークス)」を結成。これは南アフリカの音楽と、ジャズ、フォークなどをミックスした音楽を作るヴォーカル・グループで、作曲者としてHugh Masekela(ヒュー・マセケラ)も参加していました(1時期このお2人は結婚していたそうです)。'56年「パタパタ」を初めてリリース。50年代後半には、アメリカに招かれ、'59年にはアメリカで黒人ボクサーの生涯を描いたジャズ・ミュージカル「キング・コング」に出演。そしてニュー・ヨークの有名ジャズ・クラブ、ヴィレッジ・ヴァンガードにも出演し、彼女のパフォーマンスを見たエリザベス・テイラー、デューク・エリントン、マイルス・デイヴィスらアメリカの有名なミュージシャンたちを魅了しました。またイギリスBBCにも招待されて、ロンドンでも公演をしています。50年代彼女はアフリカン・ジャズ・シーンを代表するスターでもあり、広く世に知られるようになりました。そして'60年、帰国しようとして祖国に入国拒否されます(その措置はその後'90年まで30年間続きました)。そして故郷から離れてアメリカを中心に世界で活動をはじめ、'62年にはマジソン・スクエア・ガーデンで行われたジョン・F・ケネディーのバースデイ記念イベントに出演、'65年にはハリー・ベラフォンテ(カリブ出身の歌手でバナナ・ボートの大ヒットで知られる歌手でWe Are The World ( USA for Africa )の提唱者でもある。)のTV番組に出演、その番組でグラミー賞を受賞します。そして'67年アメリカでリリースされた「パタパタ」が世界的に大ヒット。アメリカのTOP 10チャートに初めて入ったアフリカの音楽でした。この曲は世界中の多くのアーチストたちにも取り上げられた彼女の代表曲です。その後もジョー・サンプル、ディジー・ギレスピー、ニナ・シモンらとの共演を果たし、何枚のもレコードをリリースしています。彼女の作品はそのメッセージと共に世界中に受信されるようになっていったのでした。'68年にはギニアの名誉市民になります。
経歴を見てわかる通り、彼女はただのミュージシャン/ヴォーカリストにとどまらず、そういう点でも「南アの女王」「ママ・アフリカ」と尊敬の念を持って皆に呼ばれています。祖国南アフリカのために、人権や政治的な公正を求めて活動していた彼女は、アパルトヘイトに反対する発言をしていたこともあり、30年もの間祖国である南アフリカから追放されていました。
アパルトヘイト(Apartheid)とは南アフリカの白人に優位な人種隔離政策のことで、一部の少数の白人層に、黒人居住区(「ソウェト(Sowet)」と呼ばれる地区が特に有名)に押しやられた多くの黒人たちが不当に虐げられていました。こういう資料があります。「全人口の内、黒人及び混血であるカラードが85%を占め、白人は14%と少ない。白人中心の富裕層1割が国民所得の51%を独占し、ほぼ100%が黒人で占められる低下層階級の40%が国民所得の4%しか受け取っていない。」...この過酷な状況を変えようと努力していたネルソン・マンデーラら、多くの反アパルトヘイト活動家たちが政治犯として理不尽に投獄され、80年代にはそれに反対する様々なミュージシャンが、音楽でそういった政策に対する意思表明をしました。サン・シティーと呼ばれる白人歓楽街でコンサートを行った英米のミュージシャンらを非難した、「俺たちはぜったいサン・シティーには行かないぜ!」という歌詞の「Sun City」という曲をアメリカのミュージシャンたち(マイルス・デイヴィス、ルー・リード、ホール&オーツらビッグ・ネームが多数参加)がチャリティーとしてレコードをリリースしたり、「ネルソン・マンデーラを解放しろ!(フリー・ネルソン・マンデーラ)」という曲をイギリスの Special A.K.A. という元スペシャルズのメンバーらで結成されたグループが発表していたり、「We Are The World ( USA for Africa )」「Live Aid」など「音楽で世界をよく変えてこう」という運動がさかんでした。その後そういった運動のかいもあってか'94年5月南アフリカの政権は代わり、ネルソン・マンデーラは牢獄から解放され、南ア初の黒人大統領にまでなったのでした。僕のような遠くの国のにいる政治や世相にうといものでもこういったミュージシャンたちの歌によって「南アフリカって、ひどい状態なんだ。」ということを認識できていたのですから、その影響力は大きなものでした。
元サイモン&ガーファンクルのポール・サイモンが南アフリカ音楽を取り入れた音楽を展開し、Ladysmith Black Mambazo(レディースミス・ブラック・マンバーゾ)ら南アのミュージシャンとのコラボレートに成功した「Graceland(グレイスランド)」という'86年にリリースされたアルバムがあります。この名作はアフリカのアーチストたちを世界に知らしめた意味でも重要なアルバムで、高い評価を受け、グラミー賞も受賞しました。そのアルバムがリリースされた翌年からたくさんのゲスト・ミュージシャンと共に「グレイスランド・コンサート」が行われ、そのコンサートにヒュー・マセケラ、レディースミス・ブラック・マンバーゾと共にミリアムさんがゲスト出演しています。そのジンバブエで行われたコンサートのビデオがリリースされているのですが、その中でポール・サイモンがミリアムさんをこう紹介しています。「一番最初に世界に南アフリカの音楽を知らしめた、偉大なママ・アフリカ(アフリカの母)、南アフリカの女王を紹介します。彼女は'59年に世界ツアーに発ち、1年後帰国しようとしたら入国を拒否されました。27年後の今も政治追放をされていてまだ帰れないんだ。」このあと彼女は観客の暖かい拍手で迎えられ、「いつかちゃんと南アフリカに帰って、今度は私が自由になったこの国にポールを招待したい。」と感動のスピーチをしています。このコンサートが行われた'87年には、まだ国外に追放されていたのですね。このような運命に翻弄されたあと、'90年に自由になった祖国に30年ぶりに戻り、南アフリカをホーム・グラウンドにまだまだ精力的な活動をしています。ざっと上げてみただけでも、
・南アの女性の保護を目的としたチャリティー・プロジェクトを始める。
・イタリアでヨハネ・パウロ二世と共にクリスマスのイベントに出演。
・オーストラリアからヨーロッパ諸国、アメリカでのコンサート・ツアーを回り、チュニジアではマリアンヌ・フェイスフルやディー・ディー・ブリッジウォーターらと共演。
・彼女のドキュメンタリーをTV番組「 The South Bank Show 」が制作。カンヌ映画祭に出展され、アメリカ、イギリス、フランス、オーストラリア、チュニジアで放映。
・'94年アルバム「 SING ME A SONG 」をリリース。
・'98年にはアフリカと米国とヨーロッパ・ツアー。
と、世界をまたにかけた幅広い活動をしています。(ここに挙げた以外にもいろいろな活動をしているので念のため。)やはり今でも音楽以外のチャリティー・プロジェクトなどもしているところがミリアムさんらしいですね。なぜプテュマヨからミリアムさんのアルバムがリリースされるのかな?と嬉しいながらも少し不思議に思っていたのですが、プテュマヨもいろんなコンピレーションでチャリティー活動をしたりしているので、そういったところでお互いに話が合ったのではないでしょうか。
彼女が「ホームランド」と歌う南アフリカは、とくにジャズやR&Bの影響を受けた「AFRO-JAZZ」がさかんなところです。ある研究書によると、アフリカの他の地域に比べてもともとあった音楽の構造が「南米の(ラテン)・リズム」のフォーマットよりも、北米でさかんだったジャズやR&Bやファンクに近いものだったため、アフリカの他の地域の音楽の多くがラテン音楽と結びつきが深いのに比べて、よりジャズなどと結びつきが強いのだということです。この地域からはヒュー・マセケラ(トランペット奏者でジャズ色の強い音楽で有名)、レゲエ界で有名なラッキー・デューベなど、特徴のあるアフリカン・ミュージックがたくさん生まれています。
(このCDと同じ時期に「South African Legends」というコンピレーションがプテュマヨから発売されました。 このアルバムからの曲もHugh Masekela、Ladysmith Black Mambazoの曲と共に収録されています。こちらもぜひ聴いてみて下さい。)
今回リリースしたこのアルバムには、彼女にしか表現できないような祖国に対する深い愛情にあふれた曲がたくさん入っています。あらためて彼女のプロフィールを読みながら、4曲目や9曲めを聴いていると本当に泣けてきますね...。このような素晴らしい作品に出会えたことはファンにとっても本当に幸せなことだと思います。
では曲を聴いていきましょう。
1 MASAKHANE ( LET'S BUILD UP ONE ANOTHER )
ハードなギターに一見シンプルなリズム。ドラムとベースの少しずれたようなパターンでアフリカのポリ・リズムを表現するこの方法は、昔のアフリカ音楽で使われた打楽器などのパートを現代の楽器に置き換えたもので、エレクトリックな楽器を使っていてもアフリカ音楽独特のグルーヴが感じられます。シタールっぽいギター音も効果的ですね。アフリカン・ポップスをベースにした新しいものを作ろう、というような意気込みが感じられます。「一致団結してみんなで新しい南アフリカを作っていこう」という呼びかけを、CREW SIXというコーラス隊と共に力強くシャウトしています。
2 AMALIYA
んっ?この何とも美しいギターは!そう、あのロクア・カンザが作曲とギターを担当しています。歌手・ギター奏者・作曲者・プロデューサーとしてすべてに非凡な才能を発揮する彼はザイール出身で、独特のフォーキーなアフリカン・ミュージックを発表し世界中で多くの支持を得ました。自身のアルバムも3枚リリースしていて、パパ・ウェンバやユッスー・ン’ドゥールなどさまざまなアーチストとコラボレートもしています。ブリティッシュ・フォーク風のアルペジオですが、よく聴くとやはり独特のアフリカ的なパターンであることがわかります。英語と母国語の両方で歌われています。
3 PATA PATA 2000
でました!彼女の代表曲のセルフ・リメイク、ミレニアム・ヴァージョンです。原曲を少し遅くして、打ち込みリズムでよりグルーヴィーにしたまさにミレニアムにふさわしい最新のアレンジです。途中で Zenzi Lee (2000年の最新インタビューで「孫娘が29歳」と答えているらっしゃるので、おそらくそのお孫さんだと思われます)に リード・ヴォーカルをゆずるところが「伝統が受け継がれる」といったかんじで何ともいいですね。思わずからだが動き出してしまう、とてもダンサブルな曲です。
4 'CAUSE WE LIVE FOR LOVE
これまた美しいバラードです。「心を開いて、子どもたちや世界のを愛し抱きしめるために」。というなんとも前向きで暖かい詞を、子どもたちの合唱団(Chaneng Primary Shool Choir)と共に歌い上げています。このアルバムのプロデューサーであるセドリック・サムソンの作詞・作曲。プロデューサー・ノートに「こんなに愛に溢れたプロジェクトは今までになかった」と書いてある通り、お互いに深く心の通い合った人たちどうしにしか作れないような暖かみを感じます。名曲です。
5 LIWAWECHI
なんともアフリカ的なリズムにのって歌われる、静かな曲。もともとコンガの曲で、リンガラ語(ザイールの独立後統一された4大広域共通語のことで。このあたりを中心にこの言葉で歌われるポップスがリンガラ・ポップスと呼ばれる=ルンバ・ロック、スークース、ザイレアン・ルンバとも呼ばれる)で歌われています。若くして亡くなった有名なサッカー選手への追悼曲だそうです。ミリアムさんの作曲。
6 LINDELANI
ブックレットに載っている写真でミリアムさんが抱っこしているかわいい男の子がこのリンデラニ君なのでしょう(先ほどのインタビューで、「'99年に4歳になったひ孫の男の子がいる」とおっしゃっているので、おそらくこの子だと思われます)。この少年に対する愛情を暖かく歌い上げています。この曲もロクア・カンザが作詞・作曲・ギターをてがけています。リンデラニ君の声も入っていますね。
7 HOMELAND
このアルバムの表題曲。「涙をふく力をふりしぼってきた。いつの日かここへ帰ってくることを祈りながら。そしてホーム・ランドへ戻ってきた。」という詞を3曲目でデュエットしていた Zenzi Lee が作詞しています。帰郷した喜びがひしひしと伝わってくるような、力強い曲ですね。この曲もロクア・カンザが作曲・ギターで参加。インタビューによると、お孫さんたちはずっとアフリカでは暮らさず、ミリアムさんたちと一緒に海外で育ったという事なので、この詞はミリアムさんだけでなくファミリーみんなの心情なのでしょう。
8 UMHOME
ミリアムさんの作詞・作曲で、「新しい家族のところへ嫁いだ新婦が、うまくそこから逃げ出すが家にも帰れずジレンマに陥る」という内容。岩の上で泣きながら歌うという情景が、音楽でうまく表現されています。
(前出の「South African Legends」というCDにはこの曲が収録されています。)
9 AFRICA IS WHERE MY HEART LIES
美しいアフリカの自然が描写され、「アフリカは私の希望、私の夢、私の心のあるところ。」と歌われるこれまた感動的な名曲。この作詞はこのアルバムのプロデューサーのセドリック・サムソン氏(おそらくアメリカの人だと思われます。)によるもので、このコラボレートで感じた彼の心情でもあるのでしょう。彼のプログラミングによる、なんとも心地よいドラム ' ン ' ベース的なリズム・マシンのビートが、違和感なくこの雄大な印象の曲にマッチしていて不思議です。
10 IN TIME
「どんなにつらいことがあっても、神様は祈りをきいてくれる。時の流れの中で、傷ついた心は癒されていく。」といった、これまたミリアムさんの人生を思いながら聴くとなんとも感動的な名曲。これもセドリック・サムソンの作詞・作曲です。4曲目でも参加していた子どもたちの合唱団が参加(クレジットをみると、この合唱団にはサムソンさんの子供さんもいるみたいですね)。
いかがでしたか?アフリカン・ミュージックの伝統的要素と最新のアレンジがうまくまとまった、名曲ぞろいの良いアルバムですね。ミリアムさんの人生をよく理解して、まわりのスタッフも素晴らしい仕事をしていると思います。本人以外の人が作った詞の部分にまで「ミリアム・マケイバという人の人生」がよく写しこまれていて、制作に関わった人たちが一丸となって、心からコミュニケートし合って出来たアルバムなのだということがよくわかります。僕はこの解説を書くためにCDを手に入れてから、本当に何度も何度も繰り返し聴いていますが、何度聴いても飽きることなくどんどん好きになるアルバムです。こういうアルバムに出会うことはめったにないことで、とても嬉しく思っています。そして僕と同じく皆さんにとっても大切なアルバムになること心より祈っております...。
それでは、また!
(このアルバムのアメリカ原盤は、4月27日の南アフリカの解放記念日に合わせて、2000年4月25日にリリースされました。)
2000年5月