cape verde ←back to list
カボ・ヴェルデは1456年にポルトガル人が見つけてポルトガル植民地となり、アフリカからポルトガルに奴隷たちを運ぶときの北大西洋をわたる船の寄港地となっていました。そういう場所だったため、ポルトガル、アフリカ、そして(同じくポルトガル領の)ブラジルなどの文化が混じったわけですね。あとセザリア・エヴォーラさんが、(このCDには入ってないのですが)ラテンの名曲「ベッサメ・ムーチョ」を歌ってたり、このCDの2曲目ボーイ・ジェイ・メンデスさんの曲などにキューバン・ラテンの影響が見られたりするのですが、ラテンはおとなりのセネガルでポピュラーだそうで、なるほどなっとく。こんなふうに、ポルトガルのファド、ブラジルのサンバ、アフリカン・リズム、そしてセネガルでポピュラーだったキューバン・ラテンなどがミックスされた独特の音楽が生まれたわけなんですね。
カボ・ヴェルデと他のポルトガルの植民地は1975年に独立。あまり豊かでない土壌で干ばつや飢饉で苦しんでいた人々は、ほとんどがポルトガル(そのほかフランス、オランダやアメリカ合衆国などへ)移民しました。世界中に「私はカボ・ヴェルデ人だ」という人たちは100万人はいるといわれますが、島に住んでいるのは30万人にすぎないということです。理由はともあれ世界中にそれだけカボ・ヴェルデの文化も広まり、またいろいろなところで文化交流がおこっているということで、なるほど奥深い文化になってあたりまえですね。「20世紀のカボ・ヴェルデ共和国の歴史は、移民と亡命の歴史だった。」とあります。カボ・ヴェルデの音楽にそこはかとなく漂う哀しい雰囲気はこういう「別れの歴史」みたいな背景からくるものなのかもしれません。カボ・ヴェルデにはクリオール人や、西アフリカから奴隷としてやって来た人々、そしてポルトガルの植民地開拓者などの人々がいて、その人々の血が混じりあっていったのです。そして、その人種交流こそが、この魅力的な文化の混じりあった音楽の形成された秘密でもあるのでしょう。
では、カボ・ヴェルデの音楽のスタイルをあらわす言葉をいくつかを紹介しましょう。
・sodade(ソダージ) ポルトガル語のサウダージと同じく、「愛する人・家族と会えくてさみしい」というような切ない、感情をあらわす言葉で、「英語での直訳語がないけど、誰でも感じるほろ苦いあの感じ」と解説されています。ブラジルのサンバやボサ・ノヴァの歌詞にもよく出てくる言葉です。先ほど出てきたように大勢が移民を繰り返してきた歴史を考えると、こういう国に独特の言葉なのかも。しかしこの気持ちはみんな共通するものですね。
・morna(モルナ) 最も重要なスタイルの1つで、マイナー調のメロディー、離れている相手への「会いたい!」というフィーリングをあらわす。英語の「mourn(悼む、嘆き悲しむ)」に近い言葉で、ポルトガルのファドとも関連を指摘する人が多いそうです。
こう書いていくと、カボ・ヴェルデって暗いとこなのかな?と思いますが、とてもお祭り好きで陽気な面もたくさんあり、カリブのズークやブラジルのサンバの影響を受けた「Coladeira」や「funana」などとても明るい、ダンス・スタイルの音楽もあるそうです。特に「funana」は、近年ジャズやロックの影響を大きく受けたカボ・ヴェルデ独特のリズミカルなダンス・ミュージックとしてスタイルが確立されています。
では、一曲ずつ聞いていきましょう。
1 アナ・フィルミン with チトー・パリ 「シーク・マーランドゥ(バッド・ボーイ)」
「セザリア・エヴォーラだけがカボ・ヴェルデの女王ではない」と日本でもアルバムが紹介されたアナ・フィルミンはsal島出身。カボ・ヴェルデの新時代を築いたミュージシャン、チトー・パリと共演。「あなたは私の心を盗むわるい人。私もあなたの心を盗むわ。」
2 ボーイ・ジェイ・メンデス 「クーンバ・イェトゥ」
西アフリカ・セネガルの首都ダカールのカボ・ヴェルデコミュニティーで生まれ育った彼はmorna、coladeiraなどの音楽スタイルに親しみ、マリ・ギニアなどの音楽にも影響を受け、そこでポピュラーなロック、R&B、キューバのラテン(ソン)、レゲエなども取り入れています。「みんなが良い人として生きていこうと明日を信じて生きていけば、世界に生まれ変われるとぼくは信じる。」
3 ナナ・マティアス 「パエース・ソウル(Sun Country)」
このあと11曲目にでてくるドゥルスさんと姉妹で音楽一家に育ちました。すごく味のあるこのギターは叔父さんのダミアンさんが弾いています。「私たちは思い出の言葉に輝き、ギターの調べに涙する太陽の国」
4 ティオフリュ・シャントル 「ニャ・フェイ(マイ・フェイス)」
13歳でパリに移住した彼は、10代にしてもうmornasやcoladeirasにインスパイアされて作曲をしていたそう。セザリア・エヴォーラは彼の曲を「Miss Perfumado」で取り上げ、ヒットして有名になりました。小さいアコーディオンのような楽器accordinaが独特の哀愁を引き立てています。「夢を実現しよう。何も恐れずに愛をつらぬいていこう。」
5 セザリア・エヴォーラ 「カボ・ヴェルデ・マンダ・マンテニャ」
ビリー・ホリデイ/エディット・ピアフとも比較されるカボ・ヴェルデを代表する大歌手で、世界中で大成功をおさめています。この曲はManuel de Novasというカボ・ヴェルデで有名なソングライターによるcoladeira曲。よりよい場所を求めて島を離れた彼女が「私はあなたに私達の国、愛するカボ・ヴェルデの芳香を運んで来るためにやって来た。」と歌っています。
6 バナ 「カビンダ・ア・クーネンネ」
セザリアがカボ・ヴェルデでいちばん有名な歌手になるまで、35年間この伝説的大歌手のバナさんがシーンの最前線にいました。今までに30枚以上のアルバムをリリースしています。'58年よりダカール、アンゴラに移住。この曲は、同じくポルトガル植民地だったアンゴラの長い戦争による涙の歴史に対する平和の呼びかけになっています。「CabindaからCuneneへ。ドアからドアへ。どこよりも笑顔にあふれる理想の国、アンゴラ。」
7 マリア・アリース 「ソル・ナ・チャダ(Sun On The Field)」
ユニークな声を持つ彼女はポルトガルのリスボンに移住し、そこで有名なアーチストたちと一緒に'95年ソロ・アルバムをレコーディングしました。彼女の歌はPutumayoレーベルのお気に入りだそうで、'Islands'というコンピにも彼女の曲が収録されています。パーティー・ソングのように見えて実は「手を取り合って立ち上がろう!」という政治的行動を呼びかけるまじめな内容の歌です。
8 ジョー・'ゼカ'・ニーヴェス 「インジューリア(Humiliation)」
10代から芸術家通りの近くに住んで音楽と共に時間を過ごした彼はパリに移り住み、'95年にファースト・ソロ・アルバムを発表。この「侮辱」という曲は「なぜ僕を移民と呼ぶの?僕は偉大な国に生まれたんだ。」という内容。朗々と歌い上げるスタイルは、やはりヨーロッパの感じがします。左右で鳴るギターのアルペジオがここちよいですね。
9 ファンチャ 「シンデレラ」
Ti Goiという有名なディレクターに気に入られた彼女は、彼を通じてセザリア・エヴォーラと仲良くなりセザリアに普通のレッスンでは習えない大事なことを色々教わったそうです。その後セザリアのツアーでアメリカへ渡り、そのままアメリカに移住。セザリアのプロデューサーJose Da Silvaの手助けでカボ・ヴェルデのベテラン・ミュージシャンとソロ・アルバムとレコーディング。そんな彼女はほんとに「シンデレラ」のようですね。リズミックなカヴァキーニョが印象的です。
10 ゼカ・ディ・ナ・レイナルダ、ジョウ・シリリョ&ブリック・チューチー 「チョン・ディ・マサ・ペイ(On Solid Ground)」
この曲はHELP-CVという組織(カーボベルデ共和国の経済の再建を手助けする、ボストンで創設された非営利の協会)の企画で、Paulino Vieira(カボ・ヴェルデで今最も尊敬されているミュージシャン・作曲者で、長い間セザリア・エヴォーラのバンドのピアニスト・音楽ディレクターをしていた人→写真の人です。)の呼びかけでカボ・ヴェルデのオール・スターたちが集まり、ウィー・アー・ザ・ワールドのような5曲入りのアルバムが作られました。参加したBana,Ildo Lobo,Cesaria Evora,Tito Paris他、たくさんのアーチストはボストンやリスボンのスタジオで、彼らの故国の恵まれない子供のサポートのために力を合わせてレコーディングしました。
11 ドゥルス・マティアス 「ニャ・クンパット・フォウスティーン(My Compadre Faustine)」
音楽一家(3曲目のナナさんと姉妹)に育ち、彼女らはヴァイオリニストの祖父による厳格な音楽教育を受けました。3曲目でギターを弾いてた叔父のジョンさんもその一人で、後に彼はヨーロッパで成功し、他の多くの親戚たちもミュージシャンになっているそうです。ドゥルスはフランスを本拠地としてそこのカボ・ヴェルデ出身のアーチストたち(Jovino dos Santos,Paulino Vieira,Teofilo Chantre)と自分のソロ・アルバムを作ることが出来ました。「強いお酒を夜になるとのみ歩くあなた。お酒はあなたを破壊していく。」
12 ジュルマニー 「ガルー・ベッジ(Old Rooster)」
ギタリストであり作曲者のCarlos Germanoはカーボベルデ共和国の中の最も美しい島の1つ、sao Nicalau島の出身で、ジュルマニー(彼と縁がある、ギニアでの発音)という名前でよく知られています。他のカボ・ヴェルデ人の多くがそうであるように経済的な理由でポルトガルに亡命し、この20年間ポルトガルに住んでいます。ポルトガルでのカボ・ヴェルデ人コミュニティの強い絆のおかげで、長く離れていてもカボ・ヴェルデの文化との絆をずっと持ち続けている彼の音楽は、もはや「ホーム」とは呼べない生まれ故郷に向けての懐かしさと熱い想いがこもっています。この曲はカボ・ヴェルデで一番尊敬されているB.Lezaという作曲者による典型的なcoladeiraで、セザリアさんのヒット・アルバム「Miss Perfumado」にも収録され、よく知られています。老いを悲しむ男が「おれはもう、むかし空高く飛べた翼は床をすり、くちばしは折れてしまう老いた雄鶏だ」と若さを懐かしむといった内容。
いかがでしたか?独特の哀愁と陽気さを持った、美しくて力強いカボ・ヴェルデの音楽。遠く離れていてあまりこちらでよく知られていない国ですが、こうやって世界中で活躍するいろいろなアーチストの曲を聞いていると、私達の心の琴線にもふれる素晴らしいものを持った音楽であることがわかります。セザリアさんの成功に続いてここに収録された人たちの作品もどんどん世界に広まっていくことを願っております。それではまた!
1999年11月