Music From The Tea Lands ←back to list


アメリカからの音便り、プテュマヨ・レーベルのコンピレーション・シリーズは、年々数多くの良質なCDのリリースを重ねています。その品質の高さ・内容の良さは揺るぎないものとして定着し、レーベルに対する信頼はどんどん高まるばかり。なんでも「音楽にとりつかれた」というスタッフたちが厳選して出した企画は3回会議にかけられ、それをクリアーしたものだけがリリースされるという姿勢を守り続けているそうで、なるほど、どんなタイトルもそれが納得できるような良いものばかりだと深くうなずいてしまいます。リリースをはじめた初期の名作コンピレーションに「世界中のコーヒーの産地の音楽を集めた」コンピレーション「Music From The Coffee Lands」というのがありました。その独特のコンセプトの素晴らしさと内容の良さで、一躍プテュマヨへの注目度が集まったといえる名盤でした。そして今回ご紹介するCDは、その「コーヒー・ランド」の続編といえるコンピレーション「ミュージック・フロム・ザ・ティー・ランズ/Music From The Tea Lands」。「待ってました!」というプテュマヨ・ファンの方も多いと思います。今回もコーヒーの時と同じように「世界中のTea Lands/お茶の産地の音楽を集める」というコンセプトで選曲されています。そして今回画期的なのは、プテュマヨ初めての「アジアもの」だということ。プテュマヨ・ファンの間で「なんでアジアのものが出ないんだろう。」とささやかれていたところにこのリリース。さすがです。もうひとつ記念すべきは、我らが日本のアーチストが初収録されていること(!)。アイヌの血を引く「オキ/Oki」というアーチストの曲がセレクトされています。これはうれしいですね!

 では、まず英文解説にあるお茶についてのお話を簡単に訳しておきましょう。

『お茶の最初の発見は紀元前2737年、中国で茶の木の下で湯を沸かしていたポットに茶葉が偶然落ちて入ったのを当時の皇帝シェン・ナンが見つけた時だとされている。彼は香り高い一杯のお茶を楽しむ最初の人となった。しかしその伝説を否定する学者も多く、大方の学説では今から5000年前、同じく中国でお茶を飲んだり作ったりが広まったとされている。ヨーロッパには16世紀、オランダやポルトガルの貿易船によって絹/スパイスなどと一緒に中国/日本/ジャワからお茶が伝えられた。今ではアジアのほとんどの地域/ロシア/中近東/北アフリカ/イギリスで欠かせない飲み物となっており、世界中で製造もされている。中国では少なくとも8,000種類のお茶があり、儀式や病気の治療などに使われ、地域によっても多くの種類がある。9世紀初頭にある仏教徒によって中国から日本へ茶種が伝えられた。彼は日本の天皇に自分の作ったお茶を献上し、それをとても喜んだ天皇は日本中で茶耕作をするよう命令した。日本にはわざと複雑で禁欲的につくった「茶の作法」があり、その儀式はほとんど宗教に近い。世界のお茶の多くはスリランカ/インドで作られる。1800年代にイギリスによって開発された大きなお茶のプランテーションはその需要のため、そのあとどんどん増加した。インドのお茶、チャイはたいていミルクで茶葉を煮込み、砂糖とスパイス(クローブ/カルダモン)を入れて味わう(このチャイのレシピを最後に載せておいた)。中近東と北アフリカではミルクを入れず、しかしたくさんの砂糖、そしてミントを入れて飲む。イラン人はパブで音楽や「Shahnameh」といわれる伝統的な叙事詩のライブを聴きながら、バックギャモンをしてお茶を楽しむ。ロシアでは17世紀からお茶を飲む習慣があり、精巧に飾られたサモワール(おそらくモンゴルの Firepot に由来する金属製のヤカン)でお湯を沸かして、別の小さなヤカンに入れた濃く入れたお茶をそのお湯でうすめて飲む。これらのティー・ランドにある音楽は、そのお茶の文化と同じくとても多種多様である。その昔シェン・ナンのポットにはためいて落ちた茶葉のように、このアジア音楽の刺激的な世界のセレクションが味わい深いもので、そのことであなたの感覚がより拡げられることを願っている。「お茶を飲まないものは、真実と美を理解することができない」と日本のことわざが忠告しているように、このCDを聴いている間、お茶を入れて飲んでいただくことをおすすめしておこう。』

 なるほど、「わざと複雑で禁欲的につくった茶の作法」って、言えてるなぁ。補足しますと最後の文章のことわざで「お茶を飲まないものは」としているのは、原文で「If a man has no tea in him」となっており、「お茶の作法がないものは」ってニュアンスかもしれません。

では、一曲づつ聴いていきましょう。

1 Zulya 'Saginou' 「ズールヤ(サギヌー)」(タタルスタン)

ロシア中部のヴォルガ川地域のSarapulという小さな町に生まれたズールヤ・カマロヴァは子供時代に聴いた音楽にインスピレーションを受けたアーチストです。「ライ麦畑のとなりに住んでいたので野イチゴやキノコをよく採っていました。通りにはガチョウやニワトリが歩いていて、子どもは遊び、女たちは泉から水を運び、男たちは干し草を集めていました。人々はみんな裏庭で野菜を育てていました。」こんな情景が浮かんでくるような曲ですね。彼女の国Tatarstan(タタルスタン)はもともとトルコに含まれていましたが、様々な経緯で最後にロシアに属しています。ここの音楽はモンゴルとハンガリーの橋渡しになるような文化をもっており、東欧と中央アジアのものがブレンドされたような特徴を持っています。ズールヤは'91年オーストラリアに移民し、有名になったミュージシャンで、タタール(=タタルスタン)特有のメロディーをベースに幅広い世界の楽器を使って作品を作り出しています。'91年にリリースした「Aloukie (Soulful Song)」というアルバムでオーストラリアン・ワールド・ミュージック・アワードで賞を受賞しました。この「あこがれ(Yearning)」という曲は、アフリカの「コラ(=大きなひょうたん型のハープのような楽器)」トーキング・ドラムも使われています。なんとも独特の雰囲気を持った曲です。

2 Lei Qiang 'Picking Flowers' 「レイ・キャン(ピッキング・フラワーズ)」(中国)

中国中央部にある「Shaanxi」という地方の出身。そこで有名な音楽学校で学んだ後、いろいろな国を「The Shaanxi Provincial Song & Dance Troupe」というグループで演奏して廻りました。そしてカナダのモントリオールに移住。最初は地下鉄や中華料理店で演奏をして稼いでいましたが、すぐにいろいろなレコーディングやツアーに呼ばれるようになります。彼は世界中で愛される有名な楽器、二胡(にこ=Erhu=チャイニーズ・フィドルとたとえられる1000年の歴史をもつ楽器で、三味線のような形で二つの弦のあいだにヴァイオリンのもののような弓がはさまれていて、ふつう座って演奏される。ヴァイオリンのようにネックに弦を押さえつけず、浮いた弦にただ指を当てて弾くため非常に音程をとるのが難しい)の名手で、2枚のソロ・アルバムと「Cirque du Soleil」という映画のサントラをリリースしています。この曲は「Sichuan」という地方のもので、「Shaanxi Song & Dance Troupe」の伴奏によるもの。音程をとるのが難しい、ということは逆にものすごく細かく音程をゆらすことができるということなので、熟練した二胡奏者の演奏には何ともいえない艶やかさがあります。最近ではピックアップをつけたエレクトリック・二胡を立って演奏する新世代の奏者も出てきました。ケニー・ウェン(この人の1stアルバムには坂本龍一氏がプロデュースで参加もしています)やウェイウェイ・ウー(ファンキー末吉氏のグループ「五星旗」でも活躍)などが有名です。

3 Ghulam Ali 'Hangama Hai Kyon Barpa' 「グラム・アリ(ハンガマ・ハイ・キョン・バーパ)」(パキスタン)

南アジアの古典の歌「ghazal(ガザル)」を歌うパキスタンの偉大な歌手。もともとペルシャの起源にあるこのスタイルは12世紀にインドに伝わりました。「ghazal」とは古代のアラビア語で「なまめかしい女性の語り」という意味で、音楽と同じようにその歌詞がとても重要なものです。50年代にインドのラブ・ロマンス映画で使われるようになり、人気を得ました。グラム・アリはこのスタイルの第一人者で、数々のスタンダード曲を歌っています。この「どうしてそんなに動揺するの?」というタイトルのこの曲は「彼への悔しさがたくさんありすぎて、ちょっと飲み過ぎただけよ。」という女性の失恋の歌です。

4 Sanjay Mishra 'For Julia' 「サンジェイ・ミシラ(フォー・ジュリア)」(インド)

ギタリストの彼はインド中央部の小さな町で生まれ、文化豊かなカルカッタで育ちました。シタールを習っていましたが、「彼にとってエキゾチックな楽器」だったギターに魅了され、ロック'ン'ロール・バンドを始めます。そのとき彼はもう「インド音楽」と「ロック」を融合したものを演奏していたのでした。その後'77年クラッシック・ギターを学びにアメリカへ渡り、現在もアメリカに在住しています。この「ジュリアのために」という曲は彼の「Blue Incantations(青い呪文)」という彼のアルバムの曲で、あのアメリカでカルト的な人気をもつバンド「Grateful Dead(グレートフル・デッド)」リーダー/ギタリストのJerry Garcia(ジェリー・ガルシア)が参加していたことでとても話題になりました(このCDに入っているヴァージョンには参加していませんが...)。この曲は彼がサウンドトラックを手がけたフランスの映画「Port Djema」にも使われました。この曲にはギター、タブラなどに加えてニューヨークにいる中近東のミュージシャンたちによって作られたセラミック製の「ハイブリッド・パーカッション」も使われています。彼の音楽には西洋音楽の和音構成と東洋のメロディーが混じっており、非常に強い個性を持っています。今でこそ特にイギリスにいるアジア系のアーチスト(ニッティン・サウニーやエイジアン・ダブ・ファウンデーションなど)が作る「西洋+東洋」のミクスチャー・サウンドが注目されていますが、彼はその先駆者だといえるでしょう。

5 Oki 'Utuwaskarap' 「オキ(ウツワカラップ)」(日本/アイヌ)

記念すべきプテュマヨに収録の日本人第一号はこのアイヌ出身のミュージシャン「オキ」です。この英文解説にも「日本の先住民族で、彼らの文化/言葉/宗教の多くは 今消え去ってしまった。」と説明されている通り、われわれ日本人でさえその名前や民族衣装ぐらいのことしか知らないのが普通でしょう。「同化/文化変容を迫られたこの何世紀かで彼らの数はたった2万4千人になってしまった。残っている彼らのほとんどは北の島、北海道に住んでいる。アイヌの男性は濃いヒゲをたくわえ、女性もヒゲのような入れ墨を口の周りにいれている。そしてしばしば幾何学模様で飾られる樹皮の布や皮を着ていて、狩猟や漁をしていた。彼らの宗教では自然の中に神が宿るという。」アイヌの思想では、日本の神道の「天皇という神を置いた唯神論」的な考えではなく、仏教のような「全てのものに神が宿るという氾神論」的考えだったわけですね。彼は大人になるまで自分にアイヌの血が流れているとは知らなかったそうです。それを知った彼はこの失われかけた日本の文化を現代に復活させました。ということは、大人になってからアイヌ文化を学んだと言うことですね。彼の弾く「タンコリ」という木製の5弦の弦楽器と彼の歌声がなんとも暖かく心に響きます。アルバムもリリースされているので、ぜひそちらも聴いてみて下さい。

6 Okan Murat 營t殲k ヤGerizler Basiユ 「オカーン・ムラー・オズターク(ゲリズラー・バーシ)」(トルコ)

'67年生まれの彼はアナトニア(ヨーロッパ大陸にあるトルコの領地)の伝統音楽のリーダー的存在として知られています。ここはインドのラジャスタンからヨーロッパへの移民たちが通ったことによってヨーロッパとアジア文化の出会った刺激的な場所となり、「トルコとギリシャ/アラビアそして中央アジアのジプシー音楽」の混じった、この地域ならではの音楽が形成されました。彼はリュートという楽器の仲間である洋梨型で長くて細いネックの「saz(サズ)」という楽器のスペシャリストです。アナトニアは世界最古の民族が、途絶えることなく住み続けている地域でもあります。アラブ音楽の影響は、トルコの「Maqam(マカム)」というよく知られるスタイルに見られ、「即興が根底にある精巧なスケール/モードの構造を持つ」と解説されています。

7 Kamil Alipour 'Afshari' 「カーミル・アリプア(アフシャリー)」(イラン)

現在イランと呼ばれるペルシャは、世界でも有数の古代からの偉大な伝統音楽文化をもつところです。ペルシャの古典音楽は紀元前5世紀からの由緒あるもので、「Sassinad王朝時代(3~7世紀)」にインドの古典音楽とともに最盛期を迎え、マスターするのにとてもテクニックが必要なほど複雑に発展しました。「Dastgah」という独特の7種類のスケール、それの副パターンである「Avaz」、そして「Gushes」という特別なメロディーがあって、それぞれを駆使して即興で感情を現すのがペルシャ古典音楽の基本となっています。カーミルはテヘランの音楽大学を出身。主に「Tar(26の可動フレットのある6弦のリュート)」を演奏するマルチ・プレイヤーであり作曲家です。曲名の「Afshari」とはこの曲に使われている、先ほど出てきた「Dastgah」というスケールのひとつの名前です。ちょっと話がそれますが、例えば古代の「グレゴリア聖歌」の和音はバッハ以降の半音分割のスケールでは表現できないほどの緻密な和声であったり、インドネシアのガムランやケチャなどが西洋音楽の音楽理論を凌駕するほどの複雑な構成でできていたり、我々がふだん日常耳にする音楽体系の外にも、ものすごく複雑でシステマチックな音楽が存在します。この曲を聴いていてそんなことを思い出しました。

8 Hila Himbala 'Anggopanku (My Feelings)' 「ヒーラ・ヒンバラ(アンゴパンク)」(インドネシア)

彼はインドネシアの2つめに大きな島、スマトラ島のランプーンという地方の出身。ここはコーヒーやお茶の生産地として他の地方への輸出入のための玄関口であったため、ヒンドゥー教/仏教/イスラム教などの影響を受けそれらが主な宗教になっています。16~17世紀の間にはオランダ人/ポルトガル人/イギリス人の貿易商たちの交差する通り道でした。1860年ドイツ帝国に組み入れられ、のち1950年にインドネシア共和国の一部となります。インドネシアの音楽といえば「ガムラン」がよく知られていますが、他にも想像以上にたくさんのスタイルがあります。例えばギターは16世紀にポルトガル人によって伝えられ、いまでは「ダンドゥッド」や「クロンチョン」といったポピュラー音楽で普通に使われ、結婚式でなど祝賀の時によく演奏されます。この曲もそのようなイベントで歌われる曲で「私の気持ち」というタイトル。「大好きな彼女のためにいつも近くにいたい、彼女の使用人になることもいとわない」という男の気持ちを歌ったもの。歌の独特のふしまわしに、とても細かい「こぶし」が効いていて味わい深いですね。

9 Ancient Future 'The Empress' 「アンシエント・フーチャー(ジ・エンプレス)」(アメリカ/中国)

70年代に結成されたこのグループは、「インディアン/アフリカ/バリ...etc.」など様々な伝統音楽を新しいアレンジで解釈し、演奏しています。創立者のギタリストMatthew Montfortは大学時代に北インドの伝統音楽に魅せられたのがきっかけで、世界中を旅していろいろな国の伝統音楽を演奏するグループに参加し、それらの音楽を学びました。この曲は日本の奈良時代にポピュラーだった「日本/中国/インド」の要素をミックスした文化にインスパイアされたものです。「Gu Zheng」という楽器の名手Zhao Huiは北京の歌劇団出身の中国人。タブラのEmamはイラン出身で、タブラの第一人者Ustad Zakir Hussainの弟子でした。とても美しいメロディーが、どこのものともいえない不思議な音世界の中で紡がれます。我々日本人が自国の古典音楽にインスパイアされるということは(悲しいことに)ほとんどないと思いますが、この曲によって「日本にもこういう人に影響を与えるような良いものがあったんだなぁ」と気付かされましたね...。

10 Ujang Suryana 'Kang Mandor' 「ウージャン・サーヤーナ(カン・マン・ドール)」(インドネシア)

さて最後の曲はインドネシアの代表的古典音楽「ガムラン」です。細野晴臣氏のYMO結成直前のソロ・アルバム「はらいそ」や「スネークマン・ショー」のアルバムにガムランが大々的にフィーチャーされ、それによってかなりの人がこの音楽に触れ、衝撃を受けました。日本人にもいまだに根強いファンがいます。ガムランには様々なスタイルがありますが、基本的にいろいろな大きさの金属や木(竹)製の板(どら)を鳴らしてとても複雑なパターンを奏でます。さきほども少し触れましたが、その音構成はものすごく複雑で緻密なものです。ここに納められているものは「Degung」というスタイルのもので、スタンダードなジャヴァの宮廷ガムランに比べるとより少ない音で編成され、「Suling」という竹の笛でメロディーが奏でられています。いまでもインドネシアの田舎の地方では結婚式やいろいろなセレモニーで演奏され、とてもポピュラーなものです。このグループのリーダーはインドネシアでいちばん有名な盲目のSulingプレイヤー/作曲家であるウージャン・サーヤー。何とも心なごむ音色とメロディーですね。

いかがでしたか?一口にお茶の産地といってもいろんな国がありますね。もともとは同じ茶葉からいろいろな種類のお茶が生まれたように、音楽にもそれぞれの特徴がでています。食べ物や飲み物はふだんの生活にとても密着しているものなので、その違いによって生じる芸術文化の差といったものも想像以上に大きなものなのかも知れませんね。姉妹盤である「コーヒー・ランド」と聴き比べてみると、そのそれぞれの文化の違いがまたより深くわかるかと思いますので、ぜひこちらも聴いてみて下さい。何よりこの「ティー・ランド」はアジア中心のものであり、また日本人アーチストが収録された初の企画盤ということで、日本のプテュマヨ・ファンにとってとても記念すべき1枚になりました。これからもどんどんこういった素晴らしい(プテュマヨらしい)CDをリリースしていって欲しいと願っております。

(*ブックレットに載っている英文解説の「インドのチャイ」のレシピは翻訳を割愛しますが、ぜひお試しあれ。)←(リリース時、このレシピはかわいいカードになっておまけでついています。)

ではまた! 2000年8月


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