South African Legends ←back to list


 世界の音楽をユニークな視点で紹介しているプテュマヨ・レーベルから今回リリースされた、南アフリカのいろいろなアーチストの曲を収録したコンピレーションCD、「South African Legends(サウス・アフリカン・レジェンズ)」をご紹介します。南アフリカは、ほかのアフリカ諸国と比べてとてもユニークな音楽性を持っています。この地からさまざまな種類の世界的に影響力を持つ音楽が生まれました。

 今回このCDと同時期に同じくプテュマヨ・レーベルから発売されたミリアム・マケイバというアーチストのアルバム「Homeland(←すごく感動的な良いアルバムなのでぜひこちらも聴いてみて下さい)」の解説にも書かせていただいたのですが、南アフリカはアメリカ(ここでいうアメリカとは北米、アメリカ合衆国のことです)との関係がアフリカの他の地域よりも深く、とくにジャズやR&Bの影響を受けたポップスがさかんなところです。奴隷としてアメリカに渡った「アフリカン・アメリカン」たちは1900年代初頭からLouis Armstrong、Cab Calloway、Duke EllingtonやCharlie Parkerらアメリカの有名なジャズ・ミュージシャンたちの音楽に熱中し、それをまねした音楽を演奏、レコーディングしていました。そしてそれらの音楽は南アフリカに持ち帰られ、南アフリカではそれらの要素を取り入れた独特の音楽が生まれるようになったのです。ある研究書によると、アフリカの他の地域に比べてもともとあった音楽の構造が「南米の(ラテン)・リズム」のフォーマットよりも、北米でさかんだったジャズやR&Bやファンクに近く、他の地域音楽の多くがラテン音楽と結びつきが深いのに比べて、よりR&Bなどと結びつきが強いのだということです。英文解説に「20世紀中行われてきた白人と黒人の人権平等問題に対する闘争によって、合衆国と南アフリカは近い関係にあったが、ずっと平行関係にあった。」とあるように、政治的には問題がありながらも、ずっとお互いに影響し合ってきたということでしょう。

 特に南アフリカのアーチストには世界中にアフリカの音楽を広める役割をした中心的存在といえるアーチストが何人かいます。Miriam Makeba(ミリアム・マケイバ)、Hugh Masekela(ヒュー・マセケラ)らは60年代から祖国以外の地で活動し、アメリカ、イギリスなどを中心に世界的に成功している有名なアーチストで、彼らは南アフリカの白人に有利な人種隔離政策(アパルトヘイト)に反対して祖国から追放されたりしながらも海外で成功し、遠く離れたところから祖国の平和のために活躍し続けたのでした。ミリアム・マケイバは'67年ハリー・ベラフォンテのTV番組に出演し、その番組でグラミー賞を受賞。そして'67年アメリカでリリースされた「パタパタ」という曲(最新アルバム「Homeland」に2000年ヴァージョンを収録)が世界的に大ヒットしアフリカの音楽としては初めてアメリカのTOP 10チャートに入っています。そして彼らはコーラス・グループのLadysmith Black Mambazo(レディースミス・ブラック・マンバーゾ)などの南アフリカのアーチストと共に、元サイモン&ガーファンクルのポール・サイモンの「Graceland(グレイスランド/'86年リリース)」というグラミー賞受賞アルバムやそのコンサートでコラボレートし、南アフリカの豊かな音楽性を全世界により知らしめたのでした。そういった人たちの音楽が浸透していることもあってか、アメリカやイギリスでは「音楽ファンはワールド・ミュージック=アフリカの音楽と思っているのではないか?」と感じるくらい、アフリカの音楽に人気があります。最近では日本でもヒットしたディズニーのミュージカル「ライオン・キング」でも主に南アフリカの音楽が使われていました。

「伝説的な有名アーチスト」から「これから伝説的な存在になるであろうアーチスト」まで、日本でもファンの多い明るく楽しい南アフリカの音楽をめいっぱいつめこんだこのアルバム、存分にお楽しみ下さい。

では1曲づつ聴いていきましょう。

1 Soul Brothers "Idlozi" 「ソウル・ブラザーズ(イドゥルージ)」

'74年に結成されてからずっと南アフリカで大人気のグループで、その名の通り、血のつながりはないがソウル・ブラザーのDavid Masondo と Moses Ngwenyaが中心メンバー。リリースしたアルバムは30枚にもなり、その半分がミリオン・セラーになっています。Mbaqanga(ムバカンバ)というアフリカ音楽のエッセンスをアメリカ風70年代ファンク/ソウルと合体させたようなダンサブルな曲調。使う楽器は電気楽器に変わっても伝統的な要素を失っていないところが、長年人気を維持してきたことの秘密でしょうか。ソウルフルなヴォーカル・ハーモニー、オルガンも美しいですね。「祖先」という意味のこの曲の歌詞は「自分たちの祖先が行ってきたことのありがたさをいつも忘れないでいよう」というメッセージ・ソングです。

2 Mahlathini & The Mahotella Queens "Mbaqanga" 「マハラティーニ・アンド・ザ・マホテラ・クイーンズ(ムバカンバ)」

80年代半ばから90年代半ばまでのインターナショナルなツアーで、そのエキゾチックなコスチュームもあいまって世界中にその名をとどろかせたグループで、日本でも何枚かアルバムが日本盤としてリリースされていました。がらがら声のSimon 'Mahlathini' Nkabindeと素晴らしいハーモニーを奏でる3人のコーラス隊Mahotella Queensのコンビネーションはなんとも不思議な魅力を持っています。このマハラティーニさんの「だみ声ヴォーカル」の歌い方、ダンス・ホール・レゲエのDJたちによく似ていますね。もともとはインストで、当時とてもポピュラーだったムバカンバ(エレクトリック・ベース/ギターが強調され、サックスが入ったダンス・ポップ)はこの人達によってとても有名になりました。'86年ハリー・ベラフォンテのレコーディングに行ったときに偶然フランスのスカウトマンに気に入られ、フランスのフェスティバルに招聘され、そこで大うけし、世界進出を続けることになりました。'99年マハラティーニさんが亡くなるまで、ツアーとレコーディングを続けていました。

3 Vusi Mahlasela / Kuyobanjani Na 「ヴーシー・マーラセラ(クーヨバンジャーニ・ナー)」

「彼はまだ最近のアーチストだが、何年かあとには南アフリカの最も重要なミュージシャンになることを確信している」と英文解説にあります。プテュマヨ推薦の「これから伝説になる」アーチストということですね。プレトニアに生まれ、幼い頃からおばあさんの小屋で年寄りたちが歌うアフリカの伝統的な歌を聴いて育ちます。ギターを覚え、地元のバンドに参加し、彼はその歌手・作曲家としての才能で注目を集めるようになりました。彼が発表した3部作のアルバムでは、「亡命からの帰還について」「破壊行為なしでの平和作りについて」「南アフリカの人たちが積極的に国の再建のために働いていくことについて」といった国に問題提起するような歌詞を美しいアコースティック・サウンドにのせて歌い、絶賛を得ます。3枚目のアルバムでグラミー賞のベスト・アフリカン部門で2部門を受賞しました。アフリカ音楽界をその才能でリードしている立場なのにも関わらず、彼は生まれた田舎町にまだ住んでいて、謙虚さを失わず活動しています。彼は成功で手にしたお金で「Mahlasela Music Development Foundation」という音楽業界で成功することを目指すミュージシャンたちを助ける組織を設立しました。偉い人ですね。こういう人の名前はぜひ覚えておきましょう。英語で「How Will it Be Tomorrow?」という意味のこの曲は恋人に対しての清らかなラブソングです。なんとも美しい曲です。

4 Mahotella Queens / Mbube 「マホテラ・クイーンズ (ムブーベ)」

先ほどの2曲目でもマハラティーニさんとのコンビネーションで登場していたマホテラ・クイーンズは3人の女性ヴォーカリストのグループで、南アフリカ音楽界の重要なアーチストとして彼女たちだけでもとても有名なグループです。さまざまなアーチストたちと共演し、多くのムバカンガの名作をレコーディングしています。長年の間に何度もメンバー・チェンジを繰り返しましたが、不思議とそのコーラス・ワークの魅力は変わることはありませんでした。これは'39年にソロモン・リンダという歌手がオリジナルを発表し、大ヒットした「Mbube (The Lion)」という曲を彼女たち風に大胆に解釈したカヴァー曲です。この曲はトーケンズやナイロンズといったドゥーワップ・グループも「The Lion Sleeps Tonight(ライオンは寝ている)」というタイトルでカヴァーして日本でもヒットした有名な曲です。

5 West Nkosi / Mazuzu 「ウェスト・ンコーシ(マズーザ)」

南アフリカの音楽の歴史において最も尊敬されているミュージシャン・プロデューサーの1人であるウェスト・ンコーシは、2曲目のマハラティーニ・アンド・ザ・マホテラ・クイーンズがブレイクするきっかけとなった、'86年のハリー・ベラフォンテのレコーディングへ彼らを連れていったプロデューサーでもあります。ほかにもレディースミス・ブラック・マンバーゾら数多くのアーチストのアルバムのプロデュースを手がけました。'98年の交通事故での彼の早すぎる死は、偉大な経歴を考えると実に悲劇的なものでした。50年代後半、10代で「pennywhistle jive(ペニーホイッスル・ジャイブ)」というペニーホイッスル(もともとは牛使いが使っていた木製の笛、後に金属製になる)で奏でられた音楽を演奏する自分のバンドを作り、この音楽はヨハネスバーグを中心に発展し、だんだんと大流行していきました。彼は笛をサックスに置き換えてこの音楽をより発展させた中心人物でした。

6 Hugh Masekela / Chileshe 「ヒュー・マセケラ(チレシャイ)」

彼はそのトランペットと歌で世界中に多くのファンを持つ豊かな音楽性を持つアーチストです。幼い頃からジャズに魅せられた彼は、いくつかのジャズ・バンドで演奏したあと、南アフリカの音楽とジャズ/R&Bなどをミックスした独自のものを作り続け、世界的に有名な南アフリカを代表するアーチストの1人となりました。50年代後半からアメリカに招かれ、'59年には当時彼の奥さんだったミリアム・マケイバが出演したアメリカの黒人ボクサーの生涯を描いたジャズ・ミュージカル「キング・コング」で音楽を担当するなど早い時期からアメリカをはじめ海外で活躍し、'61年Dizzy GillespieやHarry Belafonteら彼の音楽の理解者たちの協力を得て南アフリカを離れ、主にアメリカで活動するようになります。アメリカのレーベルからたくさんリリースされた彼の独自の「アフリカン・アメリカン・ジャズ」スタイルのアルバムからは'68年の「Grazing in the Grass」という曲がミリオンセラーとなり全米トップ・チャートに入るなど、大ヒットしました。今までにHerb Alpert、Manu Dibango、Dave Grusin、Simply Red、Cyndi Lauper、Paul Simonなどの世界のビッグ・ネームたちとレコーディングをしています。この曲は味のある歌声と、ジャジーなトランペットが印象的です。まさに「アフリカ音楽とジャズの融合」といえる曲ですね。(プテュマヨから同時期に発売されたミリアム・マケイバのアルバム「ホームランド」の日本盤解説にも彼に関連する文章を書いていますので、そちらもぜひご参照ください。)

7 Lucky Dube / My Game 「ラッキー・デューベ(マイ・ゲーム)」

アフリカでもとてもポピュラーなレゲエの第1人者がこのヨハネスバーグ出身のラッキー・デューベです。日本でもそうですが、ジャマイカというカリブ海の小さな島で生まれたレゲエというスタイルは全世界に広がっており、どこの国でもとてもポピュラーな音楽です。プテュマヨからも「Best Of World music : Reggae」と「Reggae Around The World」というコンピレーションがリリースされています。'80年にレゲエ界の帝王Bob Marley(ボブ・マーリー)がジンバブエで伝説的なコンサートを行い、アイボリー・コーストのAlpha Blondy、ナイジェリアのMajek Fashekのようなレゲエ・アーチストがその影響を受けました。このラッキー・デューベもその1人で、政治的、精神的な自由を曲に託して叫ぶ彼の姿勢はまさに生粋のラスタファリアンだといえるでしょう。'90年リリースの「Slave」という作品は南アフリカ音楽界史上に残る大ヒット作で、人種差別がある白人ラジオ局でエアプレイされた初めての黒人アーチストでもあります。レゲエ・マナーに則したキャッチーなこの曲でもその才能がよくわかります。後半のダブ処理もかっこいいですね。

8 Johnny Clegg & Juluka / Gijim'beke 「ジョニー・クレッグ&ジュジューカ(ギジン’ベケ)」

南アフリカの白人ミュージシャンJohnny Cleggとズールー族のギタリストSipho Mchunuhaは、'70年Julukaを結成します。アパルトヘイト反対闘争のまっただ中、異人種同士の文化を越えたこのポップ・グループは「Scatterlings of Africa」という曲の大ヒットもともなって、団結と平等の強力な象徴の役目を果たました。白人と黒人が組んだこのグループが、「差別のない未来への希望」という強いメッセージとなって、南アフリカの政治状況に世界中が関心を持つきっかけとなったのです。イギリス生まれのJohnny Cleggは6歳の時にアフリカに移住しました。アフリカの文化に興味を持った彼は現地語も習得しズールー族の音楽の研究をするようになり、自らも音楽活動をはじめます。黒人の中で活動する白人ミュージシャンということでいろいろと当局との間に問題も起こりましたが彼の意志は政府よりも強く、'85年解散するまでずっと政治的メッセージと「クロス・カルチュアル」な音楽を発信し続けました。

9 Miriam Makeba / Umhome 「ミリアム・マケイバ(アンホーム)」

ミリアム・マケイバは50年代アフリカを代表する歌手としてアメリカ、イギリスに渡り公演をし、60年代にはハリー・ベラフォンテのTV番組でグラミー賞を受賞。'67年彼女の代表曲「Pata Pata(パタ・パタ)」がアフリカ人の音楽としては初めてアメリカのTOP 10チャートに入るなど、アフリカを代表するアーチストとして全世界で有名です。彼女は南アフリカの人種隔離政策「アパルトヘイト」に反対し'60年より30年間に渡って国を追放されていました。そのような政治的な活動家としての側面も含めて祖国の皆から尊敬の念を持って「ママ・アフリカ(アフリカの母)」と呼ばれています。この曲はプテュマヨからこのCDと同時期に発売された彼女のアルバム「ホームランド」からの収録で、「新しい家族のところへ嫁いだ新婦が、うまくそこから逃げ出すが家にも帰れずジレンマに陥る」という内容。岩の上で泣きながら歌うという情景が、音楽でうまく表現されています。ミリアムさんの作詞・作曲。このアルバムは他の曲も全部とても素晴らしいのでぜひ聴いてみて下さい(アルバム「ホームランド」の日本盤解説にも詳しいプロフィールなど書いていますので、そちらもぜひご参照ください。)

10 Black Mambazo / Abantwana Basethempeleni  「レディースミス・ブラック・マンバーゾ(アバントゥワナ・バーセゼムペレニー)」

ズールー族のコーラスで世界的な評価を得た人気グループで、'73年にリリースされた1stアルバムは南アフリカだけでも25.000枚以上のセールスをあげ、南アフリカ初のゴールド・ディスクに輝きました。そして、'86年にリリースされた元サイモン&ガーファンクルのポール・サイモンのアルバム「Graceland(グレイスランド)」に参加したとこで世界にもその名を知らしめました(南アフリカの音楽に魅せられたポール・サイモンが、南アのミュージシャンたちとコラボレートして作り上げたこの名作は、グラミー賞も受賞した南アフリカの音楽を知る上でも重要な1枚です)。そのコラボレート後もコンスタントにアルバムを発表し続け、その評価はゆるぎないものになっています。ズールー族独特のアカペラ・ポリフォニー・コーラスは「iscathamiya(英語で"to walk softly."←もともとは20年代に男性ばかり労働者たちがいたユースホステルで週末歌い、踊っていたものがルーツだというこのスタイル )」と呼ばれるもので、その名の通りゆったりとした心地よい空間をかもしだします。本当に「ゆっくりと歩くような」ステージでのその優雅なダンスも音楽にぴったり合っていて、見る人を魅了します。南アフリカの音楽のある部分を代表している彼らはDolly PartonやLou Rawls、そしてAndreas Vollenweiderら有名スターたちと共にレコーディングもしています。「Ladysmith」は彼らの故郷の名前で、「Black Mambazo」とはズールー語で「黒い斧」を意味し、「相手に打ち勝つ」といった勇ましい意味を持っています。

 いかがでしたか?とても豊かな音楽文化のある南アフリカの楽しい音楽を充分楽しんでいただけたと思います。ソウル、ジャズ、レゲエ、そしてズールーの土着の音楽などがさまざまに混ざり合った個性的な音楽がたくさん生まれたとても面白い地域ですね。「すべての源流はアフリカにあり」といった言葉がありますが、南アフリカはそれだけにとどまらず、革新的なものも生まれた場所なのだということがよくわかります。プテュマヨからは、たくさんのアフリカ音楽を紹介するCDがリリースされています。興味を持たれた方はそちらもぜひ聴いてみて下さい。それではまた!

         2000年5月


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