Republica Dominica ←back to list
カリブ海といえば、様々な重要な音楽スタイルを生んだすごい地域です。「ブエナ・ビスタ・ソーシャル・クラブ」で最近話題のキューバのソンやマンボやルンバ、ジャマイカのレゲエは全世界共通のダンス・リズムとして広まっているし、ハイチのズーク、トリニダードのカリプソ、スチール・ドラムなども世界的に有名で根強い人気のある個性的な素晴らしい音楽です。ドミニカ共和国で有名なのはなんといっても「メレンゲ(merengue)」というスタイル。このメレンゲは南北アメリカの全体にわたっても人気があるエネルギッシュなダンス・リズムで、日本でも80年代以降大ブームになり、何人かの人気アーチストが来日も果たしました。日本でもそのルックスもあいまって大人気だった「ラス・チカス・デル・カン(Las Chicas Del Can)」という女性グループをおぼえている方も多いでしょう。彼女たちもメレンゲのグループですね。「メレンゲ」とはヨーロッパとアフリカの音楽の要素が融け合ったスタイルで、スペインから独立し半分ハイチの占有地となった共和国ならではのスタイルといえるでしょう。音楽的な特徴としては、まずタンボーラ(tambora )と呼ばれる筒型の太鼓で叩き出される独特のリズムパターンがあります。CDのジャケットの絵を見て下さい。右端の人が持っているのがこのタンボーラです。左手に棒を持ってますね。このように右手で直接太鼓の皮を叩き、左手に持った棒で太鼓のふちをたたき、低・高音でパターンを叩きます。例えば「トッッタッットントン、タタタタタン」という風に叩かれるこの最後の「タタタタタン」というような連打のパターンがメレンゲの最大の特徴的な要素で、どんな楽器編成でどんなにエレクトリックなアレンジなどされても、このパターンだけは必ずといっていいほど出てきます。このリズムパターンが出てきたら「おっ、メレンゲだな!」とわかるということです。そしてダイアトニック(ハーモニカのように押すときと引くときに違う音が出る方式)のボタン・アコーディオン、 ギラ(gira)という鉄の円筒形のものをこする撥音楽器を使うのもメレンゲの特徴です。ちゃんとジャケットの絵にこの2つの楽器を持った人もいますね。その他メレンゲの最も人気がある形式が何本ものサクソホーンを含む大きいアンサンブルで、トランペットやキーボード、ベースも入った大人数のバンドが人気を博していました。特にメレンゲ界のジェームス・ブラウンといわれるジョニー・ヴェンチューラ(Johnny Ventura)という人の功績は大きいといわれています。彼が現れてから、どちらかというとそれまで田舎の民謡的な存在だったメレンゲはスターがエンターテイメントするポピュラー・ミュージックにまで発展していったのでした。最近ではメレンゲとハウスやヒップ・ホップ(ラップ)を融合させた「メレン・ハウス」と呼ばれる新しいジャンルを作った若い世代のグループ(ILLEGALSなど)も出てきました。このCDの収録曲の中では特に8曲目が典型的なメレンゲです。
『しかし、メレンゲだけがドミニカ共和国の音楽ではない。』このCDはこういうコンセプトで編集されています。「ドミニカ共和国に旅した人は、メレンゲだけがここでローカルな音楽ではないと知って驚くかも知れない」と英文解説にあるように、メレンゲと同じく、もしくはメレンゲ以上に町のどこからも聴こえてくる「バチャータ(bachata)」というスタイルがあります。バチャータは長い間ドミニカ共和国の人々の一般の生活の一部として親しまれてきたもので、キューバの「ソン」やメキシコの「ランチェラ」を思い出させる魅惑的なス夕イルのものです。バチャータのグループはもちろんメレンゲも演奏しますが、伝統的なメレンゲとは全然ちがう楽器の編成で演奏されます。ギターや、ギターの親戚のような楽器「requinto」がメレンゲでのアコーディオンの役割をするバチャータでの最も重要な楽器で、強くつま弾かれるその奏法が特徴です。そして打楽器はメレンゲにおけるタンボーラに対してバチャータではボンゴがふつう使われます。 ギラはメレンゲと同じく演奏されます。バチャータのグループはメレンゲを演奏するときにはこのような楽器の置き換えをするのですね。歌詞の内容は、失恋や報われない愛についてのものが多く、しばしば品のない猥褻な性的な暗示を含んだ言葉も使われていたので、つい最近になるまでラジオでかかったりすることもありませんでした。「元々田舎の音楽で、貧しく無教養なところから生まれ、ギターがメインの音楽ということで、アメリカのブルースによく似ている。」と英文解説に書かれています。
現地では日常的に愛されているものですが、ずっと重要なものとして扱われずにいたこのバチャータをメレンゲと同等の位置にまでポピュラーにし、ドミニカ共和国の音楽の大改革をしたのが、非常に人気があるミュージシャンでバチャータの英雄と呼ばれるファン・ルイス・ゲーラ(Juan Luis Guerra)です。バークリー音楽院でジャズの勉強もした彼は独自にメレンゲ、バチャータを研究し、発展させました。440というバンドを率いて彼は'90年リリースのアルバム「バチャータ・ローザ( Bachata Rosa )」という名盤で世界的にブレイクし、グラミー賞のベスト・トロピカル・アルバム賞を受賞しました('99年発表のアルバムで2000年のグラミー賞にもノミネートされています)。彼のアルバムには洗練された豪華なアレンジのメレンゲもたくさん収録されていましたが、ゲーラはあくまでもバチャータに焦点を当てていました。彼はドミニカ共和国の音楽の中にあるアフリカにルーツを持つ要素に注目し、ロック、ジャズの要素も取り入れて合体させたのでした。最近ではKinito MendezやLos Toros Band、Chichi Peraltaなどのアーチストたちがアフリカの伝統とスタイルをとりいれて人気を得ています。(残念なことに、ライセンスなどの問題でこのCDにはファン・ルイス・ゲーラの曲は収録されていませんが、このCDを聴いて興味を持たれた方はぜひ彼のアルバムも聴いてみて下さい。)
ドミニカ共和国には他にもたくさんのメレンゲ以外の音楽スタイルがあります。今までこの国の音楽については、ほとんどメレンゲについてだけスポットが当てられてきたのですが、このCDには特に今まであまり紹介されていなかったバチャータの名演がたくさん収録されています。陽気なラテン・リズムと、哀愁のギターが美しい「カリブの秘宝」のような音楽を充分楽しんで下さい。
(注 : 本CDの英文解説では「メレンゲとバチャータは別のもので、ワールド・ミュージックのガイド・ブックでも今までバチャータについてちゃんと言及しておらず、バチャータをメレンゲのバリエーションの一つとしてあつかっていて、それはおかしいと思う。我々はこのドミニカ共和国の音楽を紹介するこのプロジェクトにおいて現地でもメイン・ストリームから無視されてきた多くの魅力的なバチャータの歌を見つけ、それらがとても重要なものだと思ったので紹介したかった。」とあります。確かに有名なワールド・ミュージックのガイド・ブックでもファン・ルイス・ゲーラはメレンゲのアーチストとして紹介されていますし、本によってはドミニカ共和国の音楽の解説で全くバチャータについて触れていないものも多いです。僕は「バチャータはメレンゲのバリエーションの一つ」とするのも間違いではないと思いますし、Putumayoのいう逆の意見も間違いではないと思います。ジャンル分けについての姿勢の違いですね。この特にバチャータにスポットを当てたPutumayoの独特のセンスによって、これからいろんなガイド・ブックでされるドミニカ共和国の音楽解説が変わってくるかも知れないな、と思います。)
では1曲ずつ聴いていきましょう。
1 Luis Vargas "Tranquila " (ルイス・ヴァルガス 「トランキーラ」)
「risque(リスク)」というバチャータの一種で有名なルイス・ヴァルガスの珍しいナンバー。'80年代にファン・ルイス・ゲーラがバチャータのイメージをクリーンにしたあと、彼はユーモラスなきわどい歌詞で独特のロマンチックなバチャータを発表して国内外で非常に人気を得ました。これはrequintoのファンキーなメロディーとブラジルのサンバを思い出させるリズムがが印象的な曲で、読みとりようによってはとてもきわどい、深みのある歌詞です。
2 Juan Manuel "Para Que Me Mate Un Hombre Que Me Mate Una Mujer"
(ファン・マニュエル 「パラ・カ・メイ・マータイ・ウーン・オムブレー・ケ・メイ・マータイ・ウンナ・ムーヘア」)
若干8歳の時から父親から音楽について教育を受けたマニュエルは、そのころから「歌詞の叙情的な物語性を大事にすること」など高度なことを学んでいました。その後彼は、悲惨な失恋や、鬱積した激しい感情などについての曲を多く作る才能に満ちあふれたアーチストに成長しました。「苦み(強い酒で悲しみを紛らわすような時の心情など...)をとらえて表現できるマニュアルの歌詞は、純粋のバチャータである。」と解説されています。この曲は特にキューバのソン(もともとは英語の「サウンド」を意味する言葉で、キューバで生まれたマンボ・ルンバやサルサの基本となっているアフロ=キューバン音楽とスペインの音楽から影響を受けたスタイル。30〜40年代に流行。tres/トレース=複弦が3本ある弦楽器やマラカスがよく使われるのが特徴。)に影響を受けたバチャータで、ソンにおけるtresがrequintoに、マラカスがギラに置き換えられています。
3 Chichi Peralta "Procura" (チーチー・パールター 「プロクラー」)
パーカッショニスト、ソングライター、アレンジャーそしてバンドリーダー。様々な才能に恵まれたチーチーも、まだ4歳の時に初めてタンボーラを手にしました。彼は色々な音楽に興味を持ち、自分の国のあまり知られていないリズムを研究して売れっ子セッション・ミュージシャンになります。ファン・ルイス・ゲーラのバンドに招かれた彼は、ドミニカ共和国で最も才能のあるアーチストたちと共に歴史的ともいえるクリエイティブな活動を8年間したあと、仲間の才能ある歌手やミュージシャンたちを集めて'97年にアルバム「Pa' Otro La'o (To the Other Side)」をリリースしました。
英語で「Try」という意味のこの曲は様々なカリビアン・ミュージックとジャズをブレンドしたもので、コロンビアのリズムcumbia(クンビア)のベースラインも使われています。このアルバムの中ではバチャータ色が少ない「新しいメレンゲ」というという感じの曲です。
4 Joseito Mateo y Luis Kalaff " Los Bodegueros" (ホセイート・マテオ & ルイス・カラフ 「ロス・ボデゲロス」)
「キング・オブ・メレンゲ」と呼ばれみんなに愛されているホセイートと、ドミニカ共和国で有名な多くのスタンダード曲を作曲している才人ルイス。この2人はドミニカ共和国の音楽の歴史における最もビッグ・ネームのアーチストで'30年代から活躍しはじめ、50〜60年代にかけて最も名声を得、今もまだ現役で活動しています。この曲は'99年録音のバチャータ・ソンで、収録されている「Los Dos Que Quedan (The Two Who Are Left)」というアルバムの素晴らしさは、彼ら2人の長老が今でもトップの座にいることを証明しています。乏しい報酬のために果てしなく精を出して働く勤勉な小売店の経営者について歌われたものです。
5 Alfredo Polonia "Lo Que Le Paso_ a Juan" (アルフレッド・ポローニア 「ロ・キ・レ・パソ・ア・ホアン」)
彼は北の都市Bonaoで生まれ、60年代半ばに音楽活動をはじめました。彼は現在や過去の歴史的な出来事や、人々の個人的な人生についてのお話を歌詞にしたバチャータを作り、「語りべ」のような存在として最もよく名前を知られています。
この「ホアンの物語」という曲の歌詞は『財産全部を自分に残すだろうとたくらんで重い病気の百万長者の女性と結婚したホアンは、悪いおもわくを隠して愛情を装っていましたが、ホアンに対する大きな愛情によって彼女はだんだんと病気から回復。そしてそのストレスで彼の方が心臓発作で死んでしまう。』というお話です。
6 Juan Bautista "Pegao de Que" (ホアン・ボウティスタ 「ペゴウ・デ・ケ」)
「ハートブレイカー」と呼ばれるボウティスタがバチャータを演奏しはじめた80年代初頭は、音楽産業界で45回転のシングル盤よりもたくさん曲の入った1枚のアルバムのほうが人気の出た初めての時代でした。少し下品なバチャータ・ソンである「Pegao」は、普通何か「ポピュラーでクールでトレンディー」なものについて歌うもので、「Pegao」というのは「くっつく」という意味で、お鍋の底にこげついたカリカリのお米のことを指し、ヒットした歌やかっこいい人、気取った人ような大衆の意識に「ひっかかった」ものを意味します。
この曲でボウティスタはSergio Vargasなど有名なメレンゲのアーチストよりも「もっとPegaoだ」という無名のミュージシャンのことを歌っています。
7 Ram_n Cordero "Nuestros Lazos" (ラモーン・コレデーロ 「ヌエストロス・ラソース」)
バチャータの創始者の1人であるラモーンは、ボレロ、プエルトリカン、キューバン、メキシカン・バラードなど全アメリカ(北・中・南米全部)の色々なギター・スタイルに影響を受けた田舎のギター奏者でした。60年代の経済変動のあと田舎からサント・ドミンゴなどの都会へ移った多くのミュージシャンの仲間たちのすすめで彼はレコーディングしはじめます。この曲で聴けるその驚くべきギターはまるで南米のハープのようです。キューバのソンの影響が明らかに感じられる演奏にもかかわらず歌い方やギターはとてもドミニカ的なこの曲は伝統的なバチャータの良い見本のような曲です。
8 Alberto Beltr_n y su Conjunto Tipico "Ca_a Brava" (アルバート・ベルトランとコンフント・ティピコ 「カーンヤ・ブラヴァ」)
1923年にPalo Blancoという小さな町に生まれたベルトランも若干14歳でデビューし、プエルト・リコに移住する前はいくつもの地元の有名なグループで活動しました。'54年キューバに移ってからLa Sonora Matanceraのシンガーになります。このグループはサルサ界の女王的歌手Celia Cruz(セリア・クルース)も専属歌手として名を連ねる有名なバンドで、1年だけですが彼の在籍中に歌ったボレーロ(ラテン・アメリカで昔から人気のある甘いラブ・ソング)は世界中で高い評価を得ました。キューバの音楽を歌っている間も彼は自分の国のリズムやメロディーを心から愛し続け、その後それに専念していきます。'67年にN.Y.のマディソン・スクエアー・ガーデンで行われたメレンゲを紹介する記念的コンサートではそのヘッド・ライナーに選ばれました。
この曲はメレンゲの数ある曲の中でも最もよく知られたもので、長くN.Y.に居た彼が故郷を思って歌った牧歌的な歌です。これぞメレンゲ!という感じの曲ですね。
9 Chech_ Abreu "Mi Ni_a" (チェチェイ・アブレウ 「ミ・ニーニャ」)
彼はもう自分の名前がクレジットされているアルバムを35枚も出しているドミニカ風ソンの先駆者で、その性格とカリスマ性から皆に「最愛の人」と呼ばれています。彼の作曲した曲は'80年のヒット曲「La Negra Pola」がドミニカ共和国のグラミー賞に匹敵するような賞を受賞したのを含めて、たくさんの賞を受賞しています。最近は彼が「bachason(バチャソン)」と呼ぶバチャータのフュージョン・スタイルで有名で、この曲も美しいギターがそのバチャータ色を強めています。
10 Bol_var Peralta "Inmenso Amor" (ボウリーヴァー・ペラルタ 「インメンソ・アモーレ」)
バチャータの偉大な詩人であるにもかかわらず、ドミニカ共和国以外ではほとんど知られていないというペラルタは、もっぱら「苦悩に満ちたバラッド」で愛のつらさを歌うシンガーです。「amargue(苦さ)」の音楽とも呼ばれるブルースにも似たセンチメンタルな歌詞が特徴ともいえる「バチャータ」の悲しい感情を、彼はそのゆらめく歌声で完璧に表現しています。
「大きな愛」というこの曲も去ってしまう女性への呼びかけという形をとった非常に色っぽい内容の歌詞です。
11 Raul_n Rodriguez "Anoche" (ラウリーン・ロドリゲス 「アノーチェ」)
アンソニー・サントス(Anthony Santos)と共にドミニカ共和国の中で最も人気がある伝統的なバチャータ歌手であるラウリーン・ロドリゲスは地元の憧れのスターで、豪華な衣装とプロ意識で「落ちぶれたバーの歌手」といったバチャータ歌手の先入観をくつがえしました。彼らはファン・ルイス・ゲーラのはじめた「バチャータの一般化」をさらに押し進め、定期的にリリースするアルバムはラジオでもかかりヒットしています。Montecristiというハイチとの国境の近くの北の町で生まれ、アンソニー・サントスのバンドのギタリストとして活動をはじめた彼はその後「ザ・チーフ・オブ・ビターネス(苦しみ)」という愛称まで得てソロになりました。
この「昨日の夜」という曲はメレンゲとバチャータのブレンドされた「バチャータ・メレンゲ」で、メレンゲ的な早いリズムとうねるベース・ライン、そしてバチャータ的なギター、甘ーい(シロッピィ=シロップのような、と原文にあります。。)歌詞がうまく混ざった曲です。去っていった彼女を思い夢にまで見て嘆き悲しむ、という内容で典型的なバチャータの歌詞といえるでしょう。
いかがでしたか?なかなか紹介されることのないバチャータのアーチストを中心に集めたこのCD、貴重なうえに親しみやすい良い曲ばかり収録されていて、僕はとても気に入りました。もし皆さんもこのCDでドミニカ共和国の音楽を気に入ったら、ぜひファン・ルイス・ゲーラやここに収録されていないメレンゲのアーチストのものも聴いてみて下さい。とってもかっこいいですよ。これからもPutumayo的なセンスでこのような音楽をどんどん紹介してもらいたいと期待しております。ではまた!
2000年5月