[aml 12188]
「...質問2:共同通信石山氏について」
(旧AML投稿復刻版)Fri,
14 May 1999
[aml 12188]
「...質問2:共同通信石山氏について」
[aml
12130]に続いて,「井川一久氏の書簡」[aml
11721]〜[aml 11728]
に対する質問です。
間欠的になって申し訳ありませんが,佐々木さんから井川氏にお送りいただけ
ませんでしょうか。
1)共同通信石山幸基氏に関して
[aml
11727]井川さんwrote:
>73年に個人的事情で解任され、赤色クメール(のちのポ政権)の「解放区」
>潜入取材を企てた共同通信プノンペン支局長石山氏の、赤色クメールによる
>監禁と「マヤリアによる病死」が、82年にカンプチア人民共和国政府の協力
>による同社の現地調査で明らかになったとき、同社は「タ・モックがじきじ
>きに見舞ったほどの手厚い看病」という赤色クメール礼讃調の記事を配信し
>た。担当記者の記事をそのように改めたのは、当時外信部次長(のち部長)
>に昇進していたI氏といわれる(事実はタ・モックの命令による医療行為ゼ
>ロの実質的殺害)。I氏と石山氏は学生時代からマオイズムと文革への共鳴
>で知られていた【原注1-5】。
>【原注1-5】この種の固着観念(錯覚にもとづくマオイズム礼讃)が、のち
>の日本におけるポ政権擁護・大虐殺否定の運動の大きな心理要因となった。
>4.カンボジア戦争(70〜75年)のときプノンペンに支局もしくは特派員を
>置いていた日本の各種メディアの現地人スタッフのうち、75年4月17日のプ
>ノンペン陥落までに(または陥落直後に)国外脱出の機会を得なかった人々
>は、すべて家族もろとも消息を断ったが、ポル・ポット時代(75〜79年)は
>もちろんのこと79年1月のポ政権倒壊で外国人ジャーナリストのカンボジア
>入国が可能となってからも、彼らを救うために、あるいは生死を確かめるた
>めに、何らかの手段を取ったメディアは皆無である。私を除いて、個々の
>ジャーナリストがそのように努力した形跡もない。
とありますが,以上の記述は共同通信石山委員会編
『コンポンスフーに楽土を見た〜戦場に消えた石山幸基記者の記録』1982
に記されている内容とかなり食い違うようです。
私が石山記者について存じ上げているのは上の書物を通じてだけですが,以下
この本との食い違いについてうかがいます。
1−0)まず,この本について御承知の上で石山氏についての記述をお書きに
なっているのでしょうか。
1−1)同書では石山氏が「個人的事情で解任された」との記述はありません。
失踪直前までバンコク支局あてに連絡をとっていたむね書かれています。
「解任された」との情報はどのように入手されましたでしょうか。
1−2)同書に収録されております石山氏の論文,日記,書簡あるいはそこに
あらわれている読書傾向等からは,特に「マオイズムと文革への共鳴」という
傾向は読み取ることができません。せいぜい日大全共闘にシンパサイズする記
述が少し見られるぐらいです。「I氏と石山氏は学生時代からマオイズムと文
革への共鳴で知られていた」との井川さんの評価は,同氏と直接接されての評
価でしょうか。
1−3)同書の記述によりますと,共同通信社は73年の石山氏失踪直後から調査
委員会をつくって,同時代の各プノンペン政権にたびたび救援を要請,捜索チー
ムの入国を申請している様子が書かれています。最終的には,ヘン・サムリン
政権の許可のもと,石山氏家族及び共同通信社(代表金子敦郎外信部次長)に
よる調査団が1981年7月に入国,アンサンダン村で石山氏の死をみとったとい
う元クメール・ルージュ婦人セム・ボンの証言を得,石山氏の病死を確認した,
となっています。
その「年表」の中で,次の記述があります。
=======================================================================
1981年
5・16朝日新聞外報部から、井川プノンペン特派員が石山記者は殺害された
ことがほぼ確認された、との電報を打ってきた。夕刊用に使用するので、石山
記者の名前、年齢などを確認したいとの電話が外信部に入った。
ちょうどデスクについていた金子がその記事の内容を聞いたところ、情報の
ンース、入手経路などもはっきりせず、石山の「処刑をほぼ確認」するものと
は判断されなかった。
そこで編集局デスクと相談のうえ、藤井寛局次長の談話をつくり、井川電を紙
面に掲載する場合は併用してほしいと、朝日新聞外報部デスクに申し入れた。
これと並行して、石山夫人らの家族にはこの事情を連絡、説明。また藤井局次
長が朝日新聞柴田編集局次長と会って直接この申し入れを行った。
この井川特派員電は、同日の夕刊には掲載されなかったが、翌十七日の朝刊の
大阪版に藤井局次長談話ぬきで一段記事として掲載された。
同井川電および共同が併用掲載を申し入れた藤井局次長談話は次の通り。
不明の共同通信記者
すでに処刑ほぼ確認
−カンボジア−
〔プノンペン十六日=井川特派員〕一九七三年十月にカンボジアで行方
不明になった共同通信の石山幸甚記者(当時三〇)=元プノンペン支局
長=が、ポル・ポト派のクメール・ルージュの手で殺害されたことがほ
ぽ明らかになった。いまプノンペンの労働組合政治学校で学んでいるタ
ケオ州出身の一学生が、ポル・ポト時代の中央政治犯収容所(ツオル・
スレング刑務所)を管理しているペン・サムリン政権の当局者に語った
ところでは、七三年末に一人の日本人記者が、当時カンプチア民族統一
戦線の「解放区」だったコンポンスプー州アムレアンからタケオ州アン
タンム県のスラコー村へ送られ、そこで米側のスパイという容疑で処刑
されたという。
石山記者が七三年にプノンベン北方の古都ウドンから「解放区」に入
り、まもなくクメール・ルージュに捕まってアムレアンに送られたこと
は、当時のウドン周辺の住民の話から確実とみられている。また記者
(井川特派員)は最近、アンタンムを訪れたさい、七三年に一人の外人
記者がアンタンム県の北方約二キロのスラコー村へ送られたという数人
の元地元住民の話を耳にした。なお、アンタンムでは一九七〇年に日本
電波ニュース社の柳沢武司カメラマンら二人の日本人が殺されたといわ
れる。
▽藤井寛共同通信編集局次長の話
石山記者の消息については、共同通信社として関係方面の協力を得なが
ら調査を続けてきた。残念ながらいまだに消息をつかむには至っていな
いが、一九七五年当時にも石山記者らしい人物を見たとの情報などもあ
り、同記者の生存を信じて調査を続けたい。
6・1プノンベン訪間中のバンコク支局長池内から「カンボジア外務省は石
山の件について極めて同情的で、七月ならいつでも共同通信の現地調査団を受
け入れる用意がある、との通告を受けた」と電報が入る。
6・12カンボジア外務省のホ・ナム・ホン次官名で、共同通信社および石山
家族の入国を受け入れるとの十日付電報が、共同本社にも入電。
6・19ニカ月近くベトナム、カンボジア取材にあたっていた池内支局長がバ
ンコクに帰任。①石山調査団受け入れについてのカンボジア政府の意向、現地
の状況②石山の解放区取材の窓口となったアンサンダン村の住民の何人かに再
会、インタビューに成功した③「石山記者が処刑されたのはほぼ確実」との朝
日新聞特派員の報道は、タケオ州アンタンム県スラコー村の現地に行って確認
取材を行った結果、そのような事実はないということが明らかになったなどの
詳細な文書報告をまとめた。
=======================================================================
以上のやり取りがあったということですが,
1−3−1)「米側のスパイという容疑で処刑」との井川さんの得た情報は,
結局あやまりまたは他人との誤認だったのでしょうか。
1−3−2)この記事が掲載されるに当たって,藤井寛共同通信編集局次長の
談話が載らなかったのはなぜなのでしょうか。
1−3−3)先日の書簡では石山氏が「監禁」され,「タ・モックの命令」に
よる「医療行為ゼロの実質的殺害」であったことが主張されています。
これに対し共同側の見解では,石山氏は解放区土地開墾等の作業を手伝ってゲ
リラ達と共同生活をし,「機関」上層部とは接触したがタ・モックに会ったか
は不明,マラリヤに腸チフスを併発したと思われる病気にかかり衰弱,セム・
ボン女の介護むなしく一月ほどで病死,ゲリラの手で墓地に埋葬された事に
なっています。
井川さんの「監禁」及び「タ・モックの命令による医療行為ゼロの実質的殺害」
との見解は確度の高い情報に基づく判断でしょうか。また,この見解を保持さ
れる場合,共同通信社と石山氏死因について論壇で争うお考えはありますか。
1−4)
>同社は「タ・モックがじきじきに見舞ったほどの手厚い看病」という赤色
>クメール礼讃調の記事を配信した。担当記者の記事をそのように改めたの
>は、当時外信部次長(のち部長)に昇進していたI氏といわれる
とありますが,同書ではこの「配信記事」は『戦場に消えた記者の足跡』とい
う題名で金子敦郎氏の署名で収録されています。
同記事を読んだかぎりでは“「タ・モックがじきじきに見舞ったほどの手厚い
看病」という赤色クメール礼讃調”の記述は見当たりませんでした。
井川さんが指摘されているのはこれとは別の記事でしょうか。掲載された媒体,
日づけについて具体的に指摘していただけないでしょうか。
また,その記事が「I氏」によって手がくわえられたというのは確度の高い情報
に基づく御指摘でしょうか。
(続く)
Posted: 月 - 1 3, 2005 at 01:28 åflå„