[aml12214] 「...質問6:79年ごろの共同通信電」


(旧AML投稿復刻版)Sat, 15 May 1999
[aml12214] 「...質問6:79年ごろの共同通信電」

引き続き井川一久氏への質問状です。

5)79年の共同通信電
5−1)朝日の編集体制
>私は78年9月、ヴェトナムがすでにポル・ポット政権打倒の軍事行動を決意
>していると推測し、それは必然的に中越戦争をもたらすに違いないと考え
>て、同国に全国統一後初めて取材のための入国を申請しました。しかし、入
>国が許可されたのは、ポル・ポット政権倒壊後の79年l月です。私は同月末
>にハノイを初めて訪問、唯一の西側無党派記者として中越戦争に立ち会いま
>したが、カンボジア取材は容易には許されませんでした。
>......
>これまた例外なくポル・ポット時代の「地獄の平和」を口にしていました。
>しかし、その惨状を伝えようとした私のルポ4篇は、すべて写真もろともボ
>ツになりました。([aml 11723])

井川さんが79年1月にベトナム入りしてからベトナム・カンボジア戦争の戦況
を伝えている記事は,署名記事では,朝日縮刷版では2編見ることができま
す。
1979.2.5「ベトナム・カンボジア国境を行く 荒野に残る血の匂い
     ポ軍恐れる難民 越軍は土壁の「長城」築く」
1979.2.8「なお霧の中カンボジア プノンペン〃陥落〃後一ヶ月
     民衆〃殺さぬ〃に支持」
しかし,この八日の記事は,ある種の作為的な編集が加えられています。
すなわち,井川さんの記事ともに【バンコク発N特派員】のポ政権より観測記
事が添えられており,両方を<ベトナムからの見方・バンコクからの見方>と
してワンセットにする,という操作が加えられています。
両記事を読み比べてみると,井川さんの記事は難民からの直接取材に基づくも
のであるのに対し,N特派員のほうは単なる観測記事です。観測記事にもかか
わらず,「ベトナム軍は都市部の点を押さえるのが精いっぱいで,孤立してい
る」「輸送は寸断されている」「ポルポト軍は人心把握に重点を置いている」
「救国戦線は住民の支持が得られていない」等々,今読み返してみるとまった
くでたらめの言いたい放題です。
今読み返してみれば,こうした「編集」の作為性は明らかですが,このような
ポルポト寄りの「編集」は,朝日内部のどの辺が中心になってやっていたこと
なのでしょうか?
外信部か,あるいはもっと社内の最上層部の意志でしょうか?

5−2)このころの共同通信配信記事
79年ごろの各紙の縮刷版を見ていて最も驚くのは,「共同通信電」記事のポル
ポト軍大本営発表ぶりです。「ポ軍が大攻勢」「ポ軍さらに一歩首都に接近」
「国土の大半を掌握,とポ軍が国連に通報」等々,今から読み返すとまったく
実態をふまえていない進軍ラッパ記事を,ほとんど毎日配信しておりました。
そして,全国紙のうちでこの「共同電」を最も多く採用しているのが朝日であ
るように思われます。
今になって読み返している私などはあらためて驚いてしまうのですが,このこ
ろの共同通信記事について井川さんの方でお感じになっていたこと,御存知の
内幕等,教えていただけないでしょうか。また,このようなポ軍翼賛ぶりは共
同のみならず外国通信社にも共通した傾向だったのでしょうか。
さらに,このころの共同のある〈偏向〉は,後の石山氏捜索にあたっても何ら
かの残響音を響かせているのでしょうか。(←これは禁断の問いか?)

(続く...あと2本,最後の1本にクライマックスあり!)

Posted: 月 - 1 3, 2005 at 01:34 åflå„      


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